DarkHorse

[ 穴馬・予想外の実力者(霜花落処) ]



 浜田が三橋の旧知だと判明し、三橋が浜田君から浜ちゃんへと呼称を改めた頃、田島もその響きを気に入ってか浜田の事を浜ちゃんと呼ぶようになった。
 当の本人である浜田は「なんだか変な感じ」とだけ言って受け入れ態勢にあったのに対し、三橋は田島が浜田をそう呼ぶ度に何か言いたげに顔を曇らせた。
 それに気づいた泉は、三橋に「嫌なら田島に言えよ」と促すより手っ取り早いからと田島の方に「あまり言うな」と注意したのだが、田島は「なんでなんで」と不満げで、注意した泉も何故三橋があんな顔をするのか分からないだけに最後は言葉に窮してしまった。
 拗ねてしまった田島と戸惑う泉の間に流れた剣呑な空気をぶった切ったのは、意外にも傍らで話を聞いていた水谷だった。

「あのねー、田島。三橋には他の人に譲れないもの、あるよね」
「マウンド?」
「そ、マウンド。んで、他にもあると思うんだけど、あと何か分かる?」
「あと? …あとはぁ…」
「…阿部、か?」

 考え込む田島の代わりにそう答えたのは泉。

「うん、そう、阿部。ねぇ、その二つを、なんで三橋は譲れないんだと思う?」

 何故。問われて、田島と泉が互いの顔を見交わした。

「ピッチャー、だから?」
「投手だからか?」

 異口同音に、田島と泉がほぼ同時に答える。二人にはその答えしか思い浮かばなかったのだが、水谷は「それもあるかも知れないけど」と前置いて、穏やかに、二人にしてみれば思いがけないことを言ったのだ。

「どっちも、三橋が欲しくて欲しくて、でも手に入れられなかったものでしょ?」

 中学の頃、確かに三橋はマウンドに立っていた。でも立っていただけだ。捕手もいた。でもその捕手は三橋の球を求めてはくれなかった。どちらも中学の頃の三橋が、手に入れたくても手に入らなかったものなのだ。

「…それって、浜田も、ってこと?」

 話の流れからそうなのか、と泉が水谷に問う。田島もなんとなく話の行き先を感じてか、水谷を真っ直ぐ見た。水谷の視線は泉と田島を行き来して、そして優しく頷いた。

「多分、だけど。だって浜田さんって、三橋に野球を与えてくれた人なんだってね。浜田さんがいなきゃ、三橋は野球をやってなかったし、今の三橋もいないと思うんだ」

 野球をやっていない三橋。それは、どんなだ。泉には想像がつかなかった。いや、容易く想像し得たのだ。だが”それ”は”三橋ではない”と強く思った。田島もその結論に至ったのか、泉の隣りで首をぶるんぶるんと大きく左右に振っていた。そうして見えた横顔は、試合の時のように神妙で、真剣だった。

「だから三橋にとって浜田さんは、一度失って、そうしてまた取り戻した大切な人なんだと思うよ。その浜田さんを浜ちゃんって呼ぶ事は、三橋の特権で、マウンドや阿部と同じくらい他の誰にも譲りたくない事だろうし、その意味で、田島が踏み越えちゃいけない一線なんじゃないかな」

 静かに言われた言葉に田島は目を見開いて、泉は言葉を失くした。水谷はいつものようにへにゃりと笑っていて、ただ次の授業の過ごし方をとうとうと喋っただけのよう。けれどそうして語られた言葉は、泉にとって、そしてきっと田島にも、とてもとても大切なことのように思われたのだ。

「…そっか」

 少しして田島が大きく頷いた。顔を上げて、ニッと大きく笑う。

「んじゃ、俺は浜田でいーや!」

 そう言う田島の表情には、もう不機嫌の欠片もない。それを見て取って、ようやく泉の顔にも笑みが浮かぶ。

「そーだぜ。浜田は浜田で十分なんだよ」

 それって酷くない?、と苦笑する水谷は、それでもいつも通り穏やかに。

「ま、二人がそれでいいなら、いいけどねー」

 ゆるーく、のほほんとそう言った。
 田島と泉は目を見交わしてそれを受け入れ、そして次の日から三橋の顔が曇ることはなくなった。





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 20130323





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