fire exit
[ 非常口(霜花落処) ]水谷は自分に自信がないのだと言う。頭も容姿も野球の才能と言うかセンスさえも、自分に疑問があるのだと。
「だからね、いつかぽいって捨てられちゃうかもしれないねぇ」
「阿部に?」
「そう。阿部に」
静かな声は夕焼けの橙に溶けて、残るのはあまりにも穏やかな微笑だけ。不均衡。何故かそう感じて、栄口は背筋をほんの少し伸ばした。首筋に鳥肌が立った事を誤魔化すように。
そうは言っても、水谷に栄口の様子を気にする素振りなど微塵も見られない。対面していると言うのに、水谷は水谷の意識と躰に殉じていて、世界など窓硝子の向こうに広がる
時折見られる水谷のそう言う思考の断片と言うか、在り方に、栄口は嫌悪を抱くより不安を覚える。それでいいのかと喚きたくなる。
いつか壊れる事を知っていて、なのに何もできない無力感に苛まれるのだ。未来予知など出来もしないのに、嫌に強固な確信としてその思いは栄口の心に鎮座していた。
厄介な事だ。
水谷という存在は唯一無二で、水谷が誰にもなれない代わりに、誰にも水谷になり代われない事など、みんながみんな重々承知で、それは栄口どころか阿部でさえ理解している事だと言うのに。
「…水谷はさ」
「ん」
「もっと自信持った方がいいよ」
「何に? 俺は何も、持ってないのに」
自信だけ持てと言うの?
自嘲気味に笑い零された声に応える。
「阿部に心底好かれてるって自信を、だよ」
真っ直ぐ見て、真っ直ぐ見られる。まぁるく開いた水谷の瞳。そこに映る栄口の顔が、じわりと滲んで。
「……ん」
笑う。笑う。今度は子どもみたいに泣きながら。
そうだね、と言う声と涙は、忍び寄る夜に呑まれていく。
20130302