TroubleShooter

[ 調停者(霜花落処) ]



 教室から逃げ出した阿部は、取り敢えず言ったことを本当にしようと、購買近くの自販機でサイダーを買った。日頃はあまり好まないのだが、今日はテンションが変に上がってしまっているせいか、選ぶのに躊躇いはなかった。ガコン、と聞き慣れたアルミ缶の落下する音。取り出し口に手を差し込み、ひやりと冷えた缶を取る。持ち上げてプルタブを開けようとし、そこで阿部の動作が止まった。見下ろす缶のパケージの爽やかな水色に目を奪われたのだ。そればかりか。

『は、あ!? 大事にしてんだろうが!』

 思い出すのも恥ずかしすぎる自分の台詞が、声付きで脳裏にリフレインしたりして。

(…何言ってんだよ、俺…)

 一気に飲む気が失せ、傍らのベンチにどかりと座って大きな溜息を吐く。全く、なんであんなことを。

『もう一組の子になっちゃおうかなぁ』

 ……あぁ、そうだ。

『巣山のが、俺んこと大事にしてくれるし』

 あいつが、あんなこと言うから。…だからって。

(どの口が言うんだって、話だよな)

 阿部とて自分の日頃の言動が些かキツイことを自覚していないほど鈍感ではない。三橋と出会い、バッテリーとしての自覚が出て以降は”言葉を矯める”ことを覚えたが、どうも水谷相手には発揮しきれていないようだった。水谷が所謂イジられキャラという立ち位置にいるのも一因だろう。あの栄口だって、水谷に対しては時折優しい顔で結構グサリとくることを言ってのける。まぁその後に宥めることを忘れない所が栄口が栄口たる所以だが。

(…俺も、なんかフォローしとくべきなのか?)

 そうであればあんなことを水谷に言わせなくてよかったのか。言われなくて、よかったのか。考えこむ阿部に突然影が差した。気づいて顔を上げると、そこには。

「よっ」
「巣山…」

 ノートを傍らに持った巣山が太陽を遮って立っていた。どうやら課題について教師に話を聞きに行っていたらしいとその姿から分析した阿部の隣に、巣山がごく自然な動作で腰を下ろした。教室に帰らないのか、と阿部は不思議に思い、腕時計をちらりと見る。昼休みはあと三十分もない。

「昼飯食べたか?」
「あぁ、今日は用事ついでに別の教室でな。で、阿部は?」
「あ? あぁ、俺ももう食べたけど」
「違う、そーじゃなくて」

 と苦笑する巣山は、とんとんと自分の額を叩いて。

「眉間の皺、すげーことになってんぞ」

 試合中の顔みてーだと言われ、阿部は気まずげに巣山から視線を逸らした。そんな顔で考えていたのはあろうことか水谷のことで、しかも巣山に指摘されたことが一層阿部の気鬱を増長させた。

『巣山のが、俺んこと大事にしてくれるし』

 またその言葉を思い出して項垂れる。部内一の男前と名高い巣山と比較されると、自分の小ささが浮き彫りになるようで辛かった。また、巣山がわざわざここで足を止めた理由についても分かってしまった。自分の常とは違う様子に、このままほっとけないと思ったのだろう。そんな巣山に、勝てるわけがない。…いや、勝ち負けの話ではないのだが。

「本当にどうしたんだよ。なんかあったんなら、話聞くけど」

 促す巣山に、阿部は少しの間口を閉ざした。なんと言ったものかと迷う。不思議と言わないという選択肢は、阿部の中になかった。

「いや、大したことじゃねぇんだけど……水谷のことでさ」
「喧嘩した?」
「ちが、う、けど…」

 知らず言葉が溢れて、阿部は事の経緯(いきさつ)をすっかり巣山に喋っていた。聞き終わると巣山はなるほどなぁと苦笑して言った。

「水谷は単純だからなぁ」
「…知ってっけど」
「あー、違くて。んー…単純って響き悪いな。素直って言った方がいいか。うん、素直なんだ」

 どっちでも同じじゃん、という声は阿部の心の中に消えて、大人しく巣山の言葉に耳を傾ける。

「偶にいるだろ? 子どもがそのまま大きくなったような奴。生きるにつれて酸いも甘いも噛み分けていく筈なのにさ、いつまでも子どもっぽいっつーか、子どもの頃の心を忘れずに育っちゃった人」

 そのまんま水谷だな、とぼんやり思った阿部は、次の巣山の言葉にぴくりと肩を揺すらせた。

「小せぇ頃の弟にそっくりでさ。俺の言葉で一喜一憂すんの。そりゃ見事なくらい素直に信じこむんだ。でもそういう奴って、すげぇ生きづらいと思う」
「…なんで?」
「心に鎧がないから」

 どういうことだと目を細めれば、巣山はあのなと阿部に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

「柔らかいままなんだよ。俺達だって打ち込みをすれば手の皮が厚くなる。それって何度も肉刺(マメ)が潰れて、皮膚が傷ついて傷ついて、その過程を経てやっと傷つかなくなるってことだろ? 心が強くなるのも、外からの刺激に耐えられるようになるのも、それと多分同じなんだ。なのに水谷の心はなんでか柔らかいままで…そういやあいつ、肉刺できにくい体質っぽいんだ。キレーな手、してんの」
「…そりゃああんま真剣にやってないってことじゃねぇの?」

 胡乱に返す阿部に笑った巣山。けれどそれには少し影ができていた。

「…俺、それ言っちまってさ、んで水谷も自分でそう思っちまったみたいなんだよ」
「は?」
「なぁ、阿部。本当に水谷が真剣にやってないって、思うか?」

 問われて、阿部はぐっと言葉を噛んだ。数瞬躊躇って、緩く首を横に振る。

「だろ。水谷だって頑張ってんのはみんなが知ってる。でも俺は、『キレーな手だな』って言っちまったことで水谷を貶めた気がするよ。水谷が頑張ってることを否定した気がするんだ」
「んなの…」
「実際、最近水谷、ちょっと無理するようになったろ」

 確かに、そうだった。日頃組まれているメニューは、部員それぞれの体力に見合ったもので、それ以上するのは負担がかかりすぎると監督が判断して決められたものだ。それを水谷もちゃんと分かっているのに、どこかで、部員や監督、マネジの目の届かない所でプラスアルファの練習をしている節があった。それは少し薄くなった躰に、疲れがとれていない顔に、休み時間全部を睡眠に充てる様子に覗えて、でも現場を押さえられないから他の部員は何も言えないままでいる。もどかしいと、阿部だって何度思ったかしれない。

「それは俺の言葉が原因なんだろうと思う。なのに水谷は俺を嫌わないで、且つ大事にされてるって言う。それは水谷が本質的に俺が水谷を嫌ってないって、好意的に見てるって部分をそのまま受け取ってるからだと思うんだ。俺の言葉が、どうであれ、な」

 淋しく笑う巣山に、阿部は掛ける言葉を見つけられないでまた視線を逃がす。別に水谷のオーバーワークを巣山の所為にするつもりはない。阿部と同じく、他の部員だって巣山を責めはしないだろう。巣山の言葉を受け取って、どう捉え、そして何をするかを決めるのは水谷だ。しかし、でも、とは思った。もし自分がそう言って、水谷が躰を酷使し始めたのだとしたら。

(それはどれだけ、辛いだろう)

 もしかしたら今までも自分の言葉で隠れて無茶をしてきたかもしれない。もしくは、それの積み重ねが偶然巣山の一言で爆発した可能性だってある。考えれば考えるほど恐ろしかった。だとしたら”素直”というのは大分質が悪い。まして言葉を受け取る心が柔らかく、守る鎧がないのなら。

(それだって、どれだけ辛いんだろう)

 そんな考えに耽り、鬱屈した気分に沈もうとする阿部を引き上げるように、巣山がポンと阿部の肩を叩いた。

「だから、阿部、水谷はちゃんと分かってんだ。阿部の言葉がどんだけキツくったって、阿部が本心でお前を嫌ってないって知ってるんだよ。や、自覚はしてないかもしれない。それでもお前の言葉をそのまま受け入れるくらいに、お前を信じてるし、どっかで救われてる部分もあるんだと思うぜ」

 そう力強く言いながら、根拠はないけどな、と悪びれもせず付け足した巣山に、いつのまにか躰に入っていた力が抜けるのを感じながら、阿部は。

「…なんか、シガポの喋り方伝染ったんじゃね? 巣山」
「回りくどかったか?」
「ん。…でも、すっきりしたつーか、繋がった」

 穏やかに笑えば、巣山もそーかと朗らかに笑う。その時ふと、脇に置いたままだったサイダーの存在を思い出し。

「これやるよ」
「お、いいのか。サンキュ」

 何も言わずとも阿部の真意を汲み取ってさらりと受け取る巣山に、やっぱ敵わねぇなぁと、阿部は悔しがるでもなく、素直にそう思ったのだった。





 その後、実は巣山が弁当を食べていなかったことを栄口から聞いた阿部は、謝罪の意を込めて後日パンを数個巣山に渡した所、偶然それを見ていた田島や泉に組み合わせの微妙さから変に勘繰られ、「阿部が巣山に賄賂を渡していた」という話に何故かなり、例の昼休みを知る花井と栄口から、

「そこまでして水谷を巣山に渡したくないのか…」

 ととんでもない誤解をされるのだが。

「阿部と巣山は仲良しなんだねぇ」

 という水谷の脳天気な一言で、阿部も巣山も、どうでもよくなったとか。





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 20130102





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