rainbow chaser

[ 空想家(霜花落処) ]



 最近、水谷が一組に避難してくることが多くなった。

「なんかあった?」

 巣山が委員会の仕事で席を外している時に、唐突に思い出したかのように聞いた。この頃ずっとそのことに思考をとられていたのだとは、微塵も感じさせないで。水谷はそんな俺の思惑なんてちらりとも気づかないまま、えとね、と躊躇いを見せながらも幼く言って口火を切る。ずっと誰かに聞いてほしかったのか、それとも、俺だからこそ話してもいいと思ってくれたのか。恐らく後者だろうと自意識過剰でなく思うのは、それまでの浅くない付き合いの賜物だ。それを嬉しくも思うし、反面、時折疎ましく思うこともある。それは。

「阿部が、さ…」

 こういう、時。

「阿部? 阿部が、どうしたの」

 語尾が俄に下がる。それは微妙な差異で、思い悩む顔の水谷にやっぱり気づいた風はない。俺の言葉に、ふるふると首を横に振って。

「阿部は、どうもしない。違くて、そうじゃなくて…」
「水谷、ゆっくりでいいから」

 言葉に感情が追いつかないのか、ふわりと大きな目に水の薄い膜が張る。ん、と素直に頷いて、水谷は少しの間黙った後。

「阿部がさ、口悪いって言うか、キツイのは、もう知ってんじゃん。未だに俺のことクソレって言うし、何かあったら容赦なく啖呵切ってくるし…でもそれはさ、別に俺を嫌ってのことじゃないってのは、野球部だったら分かってることでしょ」

 泉が毒舌というのなら阿部のは暴言だね、とは、西広の言葉だっただろうか。言い得て妙だと酷く納得した記憶がある。どう違うのかなんてのは言ってしまえば感覚の問題で、でもすっと納得したからには”そう”なのだろう。人は、何故だろう、毒舌より暴言に傷つく。それでも原理は同じで、嫌われてないと分かってしまえば、そんな暴言もなんとなく流せてしまうのだ。

「でも、ね、クラスの奴らは、それが分かんないの」

 水谷が言うには、野球部では普通になってしまったやり取りが、けれど接点の少ないクラスでは理解されず、阿部が水谷を怒鳴るのは嫌っているからだと同情の目で見られるらしい。いくら違うのだと言っても、水谷は優しいなと、阿部の評価ばかりが下がっていく。それで、水谷は傷つくのだと。

「だって俺、阿部に言われんのは慣れたし、って言うか、阿部が俺を嫌ってないって分かってるから、何言われても大丈夫なんだ。阿部って嫌いな奴には口きかないタイプだと思うし、だから、俺は全然平気なんだ。寧ろ喋りかけてくれる方がいい。言ってしまえば、俺達のコミュニケーションのとり方が、そうだったってだけの話でさ。俺は何度もそう言ってんのに…」
「周りは、理解してくれない?」
「…阿部は悪くないのに。ただ、素直じゃないだけで、言葉がちょっとキツイだけでさ。俺はちゃんと知ってんのに、周りがそうじゃないから、俺と一緒にいたら阿部が悪く言われる。その言葉を聞く方が、俺には辛くて…」

 水谷はそこで一つ息を吐いて、ほんのりと困ったように笑った。

「俺、駄目だね…直ぐ顔に出ちゃうから、哀しい顔も隠せなくて…そうするとまたクラスの奴に何か言われるし、阿部にだって気づかれる。そんなの、望んじゃいないのに、ね」

 だからここに来てしまうのだと水谷は言った。

「…阿部に余計な心配かけないために?」
「だって、周りの言葉で傷つくのは、阿部の所為じゃないじゃん…俺が、勝手に傷ついてるだけだから…」

 だから、このことで阿部にヤな思いしてほしくないの、と健気にも言う水谷に。

「水谷は、阿部が好きなんだね」

 壊れそうな微笑とともにそう溢せば、きょとんと、それこそ子どものように水谷は俺を見て。

「俺、栄口も好きだよ?」

 なんとも無邪気に、そう宣ったのだ。





 あぁ、無垢な雛鳥よ!

(君はいつか、この醜い世界を知るだろうか。)





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 20121231
〈「好き」は一辺倒だとお思いで?〉





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