In silence

[ 沈黙のうちに・静まりかえって(霜花落処) ]



 あべは"いつか"を信じたの?

 詰るのではなく、だがただ問うたのとも些か違う声端の、奈辺に何かが潜む響きをもって返された言葉。水谷は泰然として静寂。夜の片隅を体現する傍ら、ひそりと光る空色の双眸は朝の胎動を思わせるほど生き生きとしていて不均衡。だがそれも瞼を閉じてしまえば夜に沈み、水谷の周辺もそれに倣って(シン)とした。
 重苦しい空気がいや増した気がした。それは己の心情の反映か。さもありなん。思いながら形ばかりの溜息を吐き、視線を水谷に遣って、それは通り過ぎて空へ。
 白月が闇夜を彩っている。白々しさはいっそ神々しくも見えた。と、笑みが口元に刻まれる。
 馬鹿な。
 阿部は笑う。馬鹿馬鹿しさに笑う。それは月にか。それとも己にか。答えは阿部の中にある。恐らく、水谷の中にさえ。
 いつか、と阿部は昔日水谷に告げた。それがどの言葉に掛かりどの役割を持ったかは別の話として、兎にも角にも言ったのだ。恥ずかしげもなくのうのうと。
 馬鹿な。
 また同じ言葉が同じ響きを持って脳裏を抉った。いつか。それは永遠に訪れない時を指すのだと、経験から知っていたのに。
 指先をさりと擦り、月に向けていた視線を水谷へ。横顔が見えた。精悍と言うよりは柔弱な顔つきは、それでいて意志の強そうな瞳がある程度その"弱さ"を打ち消していた。それを見て阿部は片笑む。苦さはない、ただただ優しいだけの微笑を水谷に惜しげも無く注ぎ。

 ごめん。

 拙い謝罪がその笑みを象った唇から零れた。夜の空気を震わせ、数える間もなく、今こうして考えている間にも水谷に届くだろう。
 その先は知りたくないと思った。静けさの泉水に沈んでいたい。阿部と言う男を鑑みるに、その希望はあまりにも脆弱さを曝け出していたが、今更取り繕う事でもないような気が阿部にはした。
(…遅いんだ)
 手遅れで、どうしようもない。
(遅かった)
 どうにも。
(俺は、)
 いつだって。

 あべ。

 水谷の声。あぁ、断罪の時がきた。阿部はジワリとした痺れを後頭部に感じながら、再度窺うように月を見た。先程と同じだった。
 月は変わらず、味気ないまま空にある。





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 20130327
〈それはけしてさよならではないけれど。〉





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