All or Nothing

[ 全か無か(霜花落処) ]



 栄口が浮気したらどうする?

 阿部は一度、水谷にそう聞いた。意地悪のつもりはなかった。真剣に聞いた。栄口の性格からして世界のあり得ないTOP3にはランクインしそうな事を聞いておきながら、それでも本気で聞いたのだ。
 それを水谷は察しただろうか。意外と肝心な所で己の心を隠すのがうまい水谷は、ふと一瞬考えた後、笑って。

 バイバイって言うかな。

 と言った。

 なんで?

 間髪いれずに突っ込む。引き留めないのか。文句は言わないのか。頬を張るくらいならやりそうだ。そんな事は言わなかったけど、雰囲気の中に、視線の中に器用に混ぜる。と、水谷はやっぱり察したようで、ふわりと一層笑い。

 だって栄口が浮気したのなら、それはその人生の方が幸せになれるって思ったからだよ。その人と歩く事を決めたんだ。栄口はあれで優しいだけじゃなく男前な性格だし、だから浮気って言っても、好きな人ができたよってちゃんと言ってくれる。ごめんねって謝って、でも多分、心変わりはしないんだ。
 お前を捨てるのに?

 阿部の容赦ない追求にも、水谷は笑んだまま、(そこで阿部は水谷の笑みがさっきからちらりとも動かないことに気がついた。単位で言うなら一ミリか、極端に言えばナノサイズの変化率でさえ動いているとは思えなかった。つまりは水谷は笑いながら、そのくせまったく笑っていないのだと阿部は気がついてしまったのだった。阿部は微かに瞼を下げた。それは投手の指から放たれる球の種別を見分ける目で、バットから飛び立ってしまった球の処理と外野手への指示を考える一瞬の表情に相違なかった。それが決して笑う友人に向ける目でも表情でもないと阿部自身知りながら、それでも。)そうして。

 そうだとしても、俺は栄口の幸せを祈るし、幸せな栄口が好きだから、それでいいんだ。栄口が俺と一緒にいるより、他の人と一緒にいる方が幸せなら、それでいいよ。

 そう言い切る水谷を、言い切ってしまう水谷を、阿部は至極冷静に、そして微かに憐憫を視線に混ぜて見た。
 可哀想だと思った。問いと同じくらい、それ以上に真剣に。

(…報われねぇ)

 栄口が可哀想だと、思ってしまった。





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 20130318
〈全部くれないなら、全部いらない。そう言い切ってしまう水谷は、殉教する敬虔な信者にも思えるけど、でも。(さよならを躊躇わない人に、幸せは来ないよ。)〉





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