Never say die!

[ 弱音を吐くな!(霜花落処) ]



 阿部にね、相手されてる間は、大丈夫だって思うの。

 沈黙を縫ってひそりと零された言葉に阿部は水谷の横顔を見た。静かなものだ。
 たまに水谷はこう言う顔をする。常の煩雑さは仮面とでも言うように、(実際は静の水谷も動の水谷も地であると今は知るからいいものの、最初の頃は結構本気で戸惑った)、表情にも声にも陰影を濃くして語る事がある。取り止めのない事が多いが、根底にはいつも水谷のどこか風変わりな見解と言うか見方と言うものがあって、自分と、そしてその他大勢の一般論とは一線を画するそれに、阿部は一層の困惑を抱くのだ。それでもその困惑を殺して阿部は言葉を挟まず耳を澄ます。
 どういう事だと言う疑問の声を阿部の視線から聞き取ったように水谷は言葉を繋ぐ。

 阿部はさ、好き嫌いがはっきりしてて、人に対しても容赦無く区別するでしょ? それってさ、見てる方としてもキツイんだ。いつ自分もそう見られるだろうって怖くなる。嫌われるのって、怖いから。

 それは阿部とて同じだった。阿部は取捨選択を厭わない。それは時間の使い方や授業の身の入れ方、人への接し方さえその選択の範囲内。だからと言って嫌われるのは怖いのだ。でもそれを躊躇ってしまった結果、望まない友好関係を築く無駄があってはならない。その思いに重点を置いて阿部は何かを切り捨てる。それは水谷も承知して。

 そんな阿部に構われるって事は、喋ってもらえるって事は、拾われたって事でしょ? 捨てるより拾う方に選ばれたって事。人数が少ないからしょうがなくだって言われたらそれまでだけど、でも、それでもいーんだ。それで、いいんだよ。人数合わせで拾われてもいい。拾われてる間、俺は一生懸命頑張るだけ。また何か取捨選択の場面があっても、そこで拾ってもらえるように頑張るの。お喋りでウザイなーって思われても、野球でちょっと役に立つくらいには頑張ってるつもり。

 水谷はふわりと小さく笑って目を細めた。動かされた視線は、けれど結局阿部に向かず窓の外に向く。窓の向こうの、野球部の練習へと。
 不意に思い出したようにツンと鼻奥を薬品の臭いが突いた。ベージュより薄い黄色のカーテンが風に靡く。水谷の髪も風に嬲られてさらさらと揺れ動く。水谷に気にした風はない。野球部である事を思えば少し長すぎる茶色の髪が水谷の顔にかかって斑に隠す。同じ横顔を見てるのに、不安が増した気がした。

 水谷。

 空白を埋めるように呼ぶ。もしかしたらその先の言葉を拒みたかったのかもしれない。だとしたら思惑は失敗したのだろう。水谷はまた薄っすらと唇を開いて。だからね、と。

 阿部に嫌われたら、捨てられたら、俺は俺をやめるんだ。

 どこか拙く、なのに悲壮な決意を滲ませて、強く弱く言い切った。

 阿部にも相手されなくなったら、俺、多分本当に駄目だ。

(何、言って)

 野球部としても、人としても、駄目なんだよ。

(んな事ねぇだろ。勝手に俺を基準にすんな)

 駄目なんだよ…。

 空気に溶けるように消えて行く言葉を追いきれなくて見失う。水谷は、何が言いたいんだろう。戸惑うより怖さを覚えた。

 なんで、そう思うんだよ。

 やっと絞り出した声は震えを抑えようとしたためか不自然に硬くて、それで水谷が怖がってしまわないかと懸念したけど、その心配は甚だ無用だったようだ。声を出すために息を吸った水谷は”いつも”を騙ってへらりと笑みを変えて阿部を見た。真っ直ぐ向けられた笑みと視線。それで何を言われるだろう。瞬きを忘れて、身を硬くした。手に汗握って外の野球部の声を聞かず、全神経を水谷に寄せれば。

 阿部は、優しいから、ね。

 言う水谷こそ優しさで構成されているかのような声と笑みをしているくせに。そもそも、日頃の自分を見てよくそんな事が言えるな。言いたくて、言えない。
 だってそう信じてるから水谷は頑張っているのだと気づいてしまった。阿部の優しさに報いようと、そうする事で阿部に拾われる自分でいようと、自分を保っていたのだろうと分かってしまった。それは我等がエースに勝るとも劣らない信頼だ。寧ろ彼等が似た者同士なのかもしれない。自分に全て預けると。
 迷惑な、と思って、でもそれ以上に心が震えたのを無視する事はできなかった。心地よくはない。重すぎる。だって彼とは違い、水谷は自己否定にまで及んでいた。でもそれはそうなったらの話だ。仮定の、話だ。阿部は一つ大きく息を吸った。保健室特有のなんとも言えない臭いが肺を満たして出て行った。

 水谷。

 今度は幾分柔らかな声が出た。水谷は、ん?、と阿部を見上げてその無垢な顔を曝す。その両頬をパチリと両手で軽く叩き、唐突の事に見開かれた榛の瞳に自分が写り込んでいるのを見ながら。

 俺に捨てられたくなかったら怪我なんざとっとと治せ。
 阿部…。
 前俺がしたのと比べりゃ大した怪我じゃねぇ。だろ?

 包帯で巻かれた水谷の足。暫くは動かせない。きっと今日、自転車で帰る事もできないだろう。でもそれがなんだ。

 怪我は治んだよ。ずっとじゃねぇ。俺みたいに食って寝てりゃあ嫌でも治る。
 …ほんと?
 俺がお前に嘘言った事あったかよ?
 …ない、よ。
 だったら信じろ。俺の言葉と、お前の躰を。
 ……ん。そ、だね。俺が、信じてやらなきゃね。

 自分に言い聞かせるように言って、水谷は阿部を見た。へにゃんとした笑顔。

(あぁやっと。)

 ありがと、あべ。やっぱ優しーね。
 うるせー。

(いつもの、君。)





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 20121230
〈君の前では、優しさ二割増し。〉





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