phantom pain

[ 幻痛(霜花落処) ]



 恋はしておきなよ、と水谷は笑って言った。
 人を好きになる事を忘れては駄目だと。いくら野球が好きで大切でも、人との繋がりを省みないのは駄目なんだと。
 だから、恋はして良いんだよと水谷は言った。
 笑って言った。優しくて、柔らかくて、その顔になら何を言っても許される気がしたから。
 いるよ、と言った。恋はしてるんだと。
 静かに言って、それは放課後の橙の教室にじわりと響いて溶けて行く。水谷は俺のその声を聞いただろうに。いつもなら女みたいにきゃあきゃあ騒ぐ言葉だったろうに。
 そう、と静けさを引き継いだまま、目を瞑って相槌を打つ。明日の天気を聞いただけのように。
 その俺の好きな奴を、水谷は誰だと思ったんだろう。彼女か、彼か、それとも。推測は底をつかない。水谷はもう自分の(せかい)に籠って俺の声を聞かない。俺を見ない。
 酷い奴だよ。いつかのバント職人の言葉を思い出す。…あぁ、そうだな。酷い、奴だよ。

(言わない俺も、言わせないこいつも)





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 20121218
〈休憩中、陽溜まりの中の失恋。〉





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