さよならの続き

[ 03 春告げ鳥の鳴く頃に(霜花落処) ]



 多分、野球部の中で水谷と最初に仲良くなったのは俺だった。
 水谷と同じクラスになったのが根が真面目な花井と阿部だったのは、後になってみればよかったのかもしれないが、初対面から仲良くなる相手としては些か難しい奴らだったと言わざるを得ない。
 水谷と花井、水谷と阿部なんて、普通の出会いだったらきっとただのクラスメイトで終わったと思う。
 だから、水谷はクラスメイトの二人より、最初の日にキャッチボールをした俺と仲良くなった。
 ポジションが近かったことも、よく喋るようになる一因だったかもしれない。
 水谷は野球部らしくない容姿と男にしてはふわふわした表情と喋り方で損をしているような奴で、でも慣れてみれば田島や三橋より喋りやすい相手だった。
 くるくる変わっていく表情を見るのが好きだった。
 どんな距離でも、いずみー、と語尾を伸ばして呼ばれるのも心地よかった。
 応えてやれば嬉しそうに綻ぶ笑顔に、こっちまで笑顔になった。
 どっちかと言うと趣味は違う方向を向いていたけど、そんなこと気になりもしなかった。
 多分、絶対、俺が水谷の一番の友達だった。




< side IZUMI >




(……辞めた、って、なんだ?)

 ぽつり、と思う。なんだそれって思って、思っている間、花井の言葉や田島の怒鳴り声が磨りガラスの向こう側から放たれているように聞こえた。モモカンの真剣な顔を見て、その後ろに控えてるシガポの笑顔の一切見えない顔と、しのーかの泣き出しそうな顔を見た。その途中、転校って言葉も、聞こえた。夏なのに周囲の空気が凍った。風もないのに項がひやりとする。…なんなんだ。

(意味、分かんねぇ)

 頭の巡りはいい方だ。それは勉強できるって意味じゃなく、物事の順序を整理するのが得意って意味で、だから、人の話を聞いてて分からないなんてことは滅多にない。あるとしたら、興味がなさすぎて最初から理解する気がおきない話か、知らなかったり難しい単語ばかりが並ぶ話の時だけだ。今はそうじゃなかった。分かってる。酷く平易な言葉ばかりだった。分かってるんだ。ほんとは、全部、理解できたんだ。

「……ッ」
「っ、泉!!」

 理解したく、なかったんだ。





 呼び止める声を無視して走った。グランドを横切って、道を全力疾走。校舎に着けば下駄箱で靴を脱ぎ捨てて靴下のまま階段を駆け上がり、廊下を走った。まだ始業時間には大分早いからすれ違う生徒はあまりいなくて、時折授業の準備をする先生の「走るな!」という叫び声が後ろから追ってくる。無理な話だ。今走らなくて、いつ走るんだ。

「泉っ!」
「い、ずみっ、くん!」

 田島と三橋の声だ。追ってきたんだろう。気づいて、でも止まらなかった。多分二人も止まってほしくて呼んだ訳じゃないんだろう。だから何も返さなかった。今は一刻でも早く辿り着きたかったんだ。いつも眠気と空腹と戦いながら授業を受ける教室にじゃなく、用がある時か気が向いた時にしか足を向けない教室へ、水谷が阿部に弄られて花井に呆れられながらも健気に笑っていた教室へ行きたかった。

(そこに、いんだろ?)

 だっていつもいたんだ。忘れた辞書を借りに行った時、ちょっと通りすがった時、教室を覗き込めばふわりと笑う水谷がいた。声をかければ何をしてたって寄ってきてくれて、別になんもねーけど、とつっけんどんに言っても、何だよそれー、と怒ったふりして、でもそんな顔、結局長続きしなくて最後には笑ってくれた。笑ってたんだ。最後に会った、三日前だって。

『あ、いずみー』
『…お前、体調悪いんか?』
『へ? んーん。なんで?』
『ならいいけど…無理してんなら、遅刻するよか休めよ。しっかり休んで練習する方がずっといいぞ』
『…ん。ありがとね』

 気をつける、なんてへにゃりと笑って言って、だからその日の放課後、二学期が始まるまでの三日間、休みを挟むってモモカンから聞いた時、あいつにとっていいことだと思ったんだ。みんなで練習できねぇのは面白くないって思ったけど、それで少しでも水谷が元の状態に戻れるならいいって。

(俺が望んだのは、それだけで)

 だからきっといるはずなんだ。扉を開けて教室に入れば、いつもと同じように自分の席で音楽を聞いて、誰かがいればそいつに喋りかける水谷が。

(俺が顔を覗かせれば、そんなに焦ってどうしたんだって緊張感のない笑顔を見せてくれる)

 そう、信じてた。

 ガタッ

 力の加減もせず扉を開けて、即座に空で覚えた水谷の席に視線を移しながら呼びかけた時はまだ。

「ッ、みずた…に…?」

 信じてたんだ。

(ほんとに、本気で、愚かなほど)

 水谷の机がなくなっているのを見るまでは。





 追いついた田島と三橋が、立ち尽くす俺の横を通って教室に入ったのを呆然と見ていた。二人は教卓の上にある座席表と机を照らしあわせて、その後、水谷が使ってたはずのロッカーを開けた。田島の厳しい顔と三橋の泣きかけの顔を見て、聞かなくてもロッカーの中に何もないことを知った。

「…んでだよ」

 声が、零れた。震えてみっともない声だ。手を握れば自分の躰も震えてたことに気がついた。滑稽だ。笑いたくなる。胸に色んな感情が渦巻いてて気持ち悪い。吐き出さなきゃ。その思いで叫んだ。

「なんで何も言わねぇでいなくなっちまうんだよ…!!」

 誰もいない教室に、そしてそれは廊下にまで響いた。その残響の中、田島の深く息を吸って吐く音が聞こえた。三橋の啜り泣きが徐々に大きくなる。パタパタと、多分残りの野球部の奴らの足音が廊下の向こうから聞こえてきた。もう、何もかもが滑稽に思えた。馬鹿らしい。笑いたい気持ちと泣きたい気持ちが胸の中で混ざり合う。でも、全部遅いんだ。

(俺達は今、とっくに幕が下りて片付けられた舞台に遅れて登場した三流役者(ピエロ)を演じてるにすぎないんだ)

 そんなシナリオを書いたのは神様か? そんでこれはコメディなのか。やってらんねぇ。せめて一発殴らせろ。

(そしたら、そんだけで許してやっから)

 だから、なぁ。

(水谷を返してくれ)

 俺はもう、誰かが欠けるなんて嫌なんだよ。





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 20121224
〈哀しいんじゃなくて悔しかった。また何も言ってもらえなかった自分に、腹が立ってしょうがなかった。〉





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