さよならの続き

[ 02 籠の中の歌えない金糸雀(霜花落処) ]



 きつく当たったことなんて、数え切れないほどあった。
 別にあいつのためを思ってとか、そんなこと言うつもりは微塵もない。
 腹が立って、苛立って、だから暴言も吐いたし、梅干という暴挙に出たこともある。
 なんでやれることをやらねぇんだと、何余計なこと言ってんだと。
 辞めちまえと、言ったこともあった。
 遅刻が多くなって、エラーが多くなって、だから中途半端な気持ちでやるなと言いたくて、でもあいつは笑って理解する気がなさそうだったから。
 そんなんだったら辞めちまえって言ったんだ。
 あいつは一瞬ぽかんとして、でもそれは一瞬で、一つ瞬きの後、またへにゃりと笑う。
 ひどいなーなんて、笑って、笑って、笑って。
 傷ついた素振りはなかった。
 逆に傷ついたのは自分だとさえ思っていた。
 こんだけ言うのに、なんで分からねぇんだと。
 辞めちまえって言ったんだ。
 俺が、あいつに言ったんだ。




< side ABE >




 静寂が耳に痛い。ざわめきもしない。風がないから、蝉の鳴き声の方が大きい。じりじりとまだ現役の夏の日差しが肌を焼く。隣に立つ三橋がふらついて、足を踏ん張ったのが視界の端に見えた。その”動き”に停止してた頭もやっと回り始める。でもそれで、その言葉をすんなり飲み込めるはずも、なくて。

(…何、言ってんだ?)

 冗談は止めて欲しい。それでなくても最近色々疲れてんだ。怪我したせいで躰は鈍ってるし、マネジやあまり足を使わない裏方仕事の補佐もして、ベンチも楽じゃねぇなって分かり始めた頃なんだ。止めてくれ。

(そんな、笑えねぇ冗談)

 そう思っても、モモカンはちっとも笑っちゃいない。じっと一人ひとりの部員の、その驚愕と何か言いたそうな顔を目に焼き付けるように見渡すだけ。それが自分の所まで来て、静かな瞳とかち合った。思わずパッと目を逸らして下を向く。耳奥にいつかの自分の怒声が蘇って、背筋が震えた。

「…理由…聞いても、いいっスか」

 花井の震えを抑えた声が、遠くに聞こえた。それによって張り詰めていた緊張の糸がふつりと切れる。息がしやすくなった気がして、一瞬目をきつく瞑ってまた開けた。もう前を見てもモモカンの視線は余所へ、恐らく花井へ向き、俺を見ない。息を吐く。知らず手が胸を押さえていた。心臓がどくどくと畝るように高鳴っていた。

「そうね…」

 モモカンはそう一呼吸置いて、一回思案するように目を伏せたかと思うと。

「理由は、言えない」

 また顔を上げて、言い切った。いつものように強い目だ。試合の流れを見極め、いつも下を向きそうな俺達を鼓舞する目だった。でも駄目だ。今、この目で見られても、その言葉に素直に頷くことはできそうになかった。ざわり、と今度こそざわめきが生まれた。

「い、言えないって、そんな…!」
「知ってんなら教えてよ!」

 花井の声を遮るように田島が叫んだ。

「なんで教えてくんねぇの!? 水谷が辞めちまったんだぞ! 俺達と一緒にこれまで試合に出て、練習してきた仲間が急に辞めたのに、そんな言葉だけじゃ納得できねぇよ!!」

 敬語さえ取っ払った田島の言葉は、真実俺達の言葉だった。みんなの顔を見なくても分かる。理由を教えて欲しかった。納得できるような、それじゃあ仕方ないって思えるような言葉が。それにモモカンが気づかないはずはない。モモカンだってこの状態で練習を続けることに何のメリットもないって分かってるだろう。理由があるなら言って、すっきりして、今は納得できなくてもいつか分かる日が来るって希望を持たせた方が俺達のためだって、分かっているだろうに。

「田島君の言うことも分かるよ」
「じゃあッ」
「でもね!」

 う、ぉ、とモモカンの大声にビビった三橋の呻き声が小さく聞こえた。他のみんなもひくりと肩を揺すらせて、その勢いと声の大きさに呑まれて後退りそうになる。辛うじて堪えられたのは、プライドでも恥ずかしさからでもなく、モモカンの真っ直ぐすぎる目に躰を動かすことができなかったからだ。

「水谷君と約束したの。理由は言わないってね。伝えて欲しいって言われたのは、また別のこと」
「別のことって…それは、なんですか…?」

 沖が怖怖とした声で問う。モモカンはそう聞いた沖を見て、みんなを順繰りに見渡した。また俺の目とモモカンの目がすれ違う。今度は、一瞬も逸らさなかった。

「甲子園で待ってる、って」

 夏の終わり、朝の空の下で、その言葉は酷く重く聞こえた。聞いて、鋭く息を呑む。やっぱ野球のことなんだなと思って、なんだ、野球が嫌いになって辞めた訳じゃねぇんだって笑いたくなった。笑いたくて、———できなかった。

「……待ってるって、なんスか…?」

 声が震えて、引き攣って、もうちゃんと立てるのに、膝が笑ってる気がした。声は自分で分かるくらい小さくて、でも周りに響いたように聞こえた。誰もが息を潜めたからだ。俺と同じ疑問を持ったんだろう。それが当たってないことを、祈ってたんだろう。

「なんで、そんな…もうここにはいねぇって風に言うんスか?」

 だって同じ学校に通ってんだ、同じクラスにいるんだ。例え野球部を辞めたって、甲子園で待つって言葉は変だろう。そう思って、でも、何言ってんのと笑い飛ばして欲しかった。言い方が悪かったねって、言って欲しかった。疑心暗鬼になりすぎだといっそ怒られてもよかったのに。モモカンは笑わないし、怒らなかった。ただ静かに目を伏せた。たったそれだけのことで、日向に影が差したよう。その顔で。

「…水谷君は昨日の内に別の学校に転校したの」

 弱く、そんなことを言う。

「もう野球部どころか、この学校の…西浦の生徒でもないんだよ」

 咄嗟に口が開いていた。何か言いたかった。何が言いたいのかなんて考えもせず、反射的にそうしてた。でも、何も声にならなかった。空はずっと変わらず青で、雲は白、燦々と照りつく太陽の光はこれから時間を経るごとに強くなるだろう。じりじりと肌を焼く。暑い。朦朧とする。

(だから誰かなんか言ってくれ。冗談だろって、エイプリルフールじゃねぇんだぞって言ってくれ)

 そうして早く終わらせてくれよ、この茶番劇を。誰か誰か、誰か。

(なんでそんな暗い顔してんだ、シガポも、しのーかも)

 止めてくれよ、ふざけんな。

『お前、野球辞めちまえよ』

 馬鹿か。全然、面白くねぇよ。





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 20121224
〈腹が立って、苛立って、そうして暴言までぶつけたあの笑顔に、今は会いたくて仕方ねぇ。〉





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