空想に耽ける放課後




 橙色の空だった。他の色は混じらない、橙の濃淡と、後は雲の凹凸で構成される夕方の空。その空を、教室から眺める人がいた。鳥や虫、飛行機といったものが飛んでいるわけでもないのに、彼は延々、窓の外だけを見続ける。行儀悪く他人の机に腰掛けて、足をぶらつかせながら空を見る。何も見えていない自分の目が可笑しいのではと錯覚してしまいそうなくらい、真摯に。

「…何か、見えますか」

 それが数分を数えた頃、笑うでもなくそう聞いた。背後からひっそりと歩み寄って、静かに。だから普通の人なら飛び上がって驚くのに。

「なぁんにも」

 端的に返した彼は、そこに僕がいることに驚かない。肩を小さく跳ねさせることさえなく、わざわざ視線をこちらに寄越すこともない。もともと教室に二人の人間がいて、それは互いに知人で、今、ふと思い出したように片方が片方に喋りかけただけ、という風だ。それは正しい。まったく、正しいのだけれど。

「詰まらないです」
「ん、何が?」
「こうも反応が薄いと、僕が普通の人のようで、困ります」

 途端、困ることはないだろうと彼が吹き出した。西日に染まったはしばみの短い髪と細い肩が小刻みに揺れ、その都度遠慮のない笑声も揺れた。

「お前、普通じゃないことに慣れてんなよ」

 くくと喉を鳴らしながら彼は言い、振り返って笑顔を見せる。と同時に、髪色を薄めたヘーゼルの双眸が柔らかく細められ、そこには少年の奔放さと、夕陽に似た温かみが同居する。そう、彼はどことなく大人でありながら、どこまでも子どものような人だった。
 そんな彼を、僕はいつだって目を細めて見る。総じて陽の光がガラスに反射したからとか、目が悪いからだとか、下らない言い訳を携えて。正直に彼自身の明るさが眩しくてと言えるほど僕は大人でも、まして口が上手いわけでもなかった。

「…それは無理ですよ。僕はどうしたって普通じゃありません」

 目の前にいながらその存在を気付いてもらえない人間なんて、そうはいない。自虐でもなく思う。殆ど生まれつきといっていいこの存在感のなさを、気にしたことがないとは決して言わない。ただ彼の言うように慣れただけだ。慣れてしまっただけだ。それが哀しいことだと思わないまま、習慣のように。
 哀しいと知ったのだって、彼と知り合ってからのことだった。彼があまりにも自分を普通の人のように扱うから、段々感覚がこんがらがってくる。気づいてもらえることの嬉しさに気づいて、気づいてもらえないことの哀しさに気づいてしまった。

「だから、僕に気づく君だって、結構普通じゃないですよ」

 それは、憎まれ口、というようなものだろう。子どものようだ。不貞腐れて言いたいことを言う。傷つけたいわけではないのに、他に言いようを知らない幼児のよう。
 彼はそれを受け取って、微笑を口端に残したまま一瞬目を伏せ、そしてまた窓の外に目を向ける。空を見る。沈む太陽の傾きで、夕焼けが一層彼の髪を色濃くした時。

「そっか。俺も、普通じゃないか」

 その言い方は言葉をどこか遠くに放るようでいて、その癖、口調は普段とまるで変わりない。言う横顔も、穏やかな笑みを見せて、ただ静か。
 だからこそ、余計空虚に聞こえて慄いた。普通じゃないなんて、軽々しく言うことじゃない。例え自分が言われ慣れていたとして、彼は自分とは違うのだ。

「…すみません、無神経でした」

 と、僕が言おうと口を開くより一瞬早く彼が振り返り。

「じゃあ俺とお前で、普通じゃない者同士、仲良く街に繰り出すか」

 あっけらかんと言い放つ。

「……はい?」

 唖然とする僕に、今までずっと考えていたんだ、と彼は無邪気に笑った。―――今週末、お前とどこに行こうか、ってさ!





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