意地っ張りと傍若無人が同居中

[ 天使達の井戸端会議 ]



 秋に近づき、日差しが緩くなったとは言え、まだまだ残暑は続いている。玉のような汗はでなくとも、じわりと滲む程度には暑い。そんな頃にぱんぱんに膨れた15リットルの袋三つを持っていれば、自然と汗は滝のように流れていく。女としてはどんな時でも涼やかに歩いていたいのに。

(もう、大ちゃんの、ばかー!)

 桃井は心の中で幼馴染に悪態をついた。罵詈雑言が後から後から溢れだして、蓄積していくそれにむかむかする。怒りのメーターが上がっていくごとに、比例して更に暑くなるよう。発散できない怒りを抱えては暑さを増していくその不毛なサイクルを断ち切ろうとするも、中々できない。両手が塞がっていて汗を拭えないことも関係して、苛立ちは最高潮に達していた。

(テツ君に言いつけてやる…!)

 と、幼馴染に怨嗟の念を送りつけていた、その時。

「あの…っ、重そうだから、持とうか?」

 背後からそう呼びかけられた。振り返ると、同年代くらいの一人の青年が数歩の距離を開けてこちらを見ていた。
 榛色はしばみの髪が太陽の加減で金にも見え、前髪から覗く双眸はヘーゼル。緊張しているのか表情は硬く、躰も強ばっていて、立ち方がどこか軍隊のそれっぽい。右手には今時の若者然とした容貌からは似つかわしくない、洗剤や歯磨き粉といった、日用品が無造作に入れられた袋を持っていて、振動が伝わる度に中で擦れてかさりかさりと音を奏でている。袋に印字された店名は、さっき桃井が立ち寄ったスーパーのものだった。

「あ、別に、ナンパとかじゃないけど…」
「あぁ、うん、別にそういうことを心配してたんじゃないの。でも、なんで…」

 ナンパだと思われていないと知って、彼の顔が安堵の色を見せて綻ぶ。もともと見知らぬ人においそれと声をかけるタイプではないのだろう。彼の純朴さが見えた表情に桃井はそう考え、ならば何故自分に声をかけたのかと首を傾げる。彼の言葉から察しはつくが、それでもただそれだけで見ず知らずの者にあんなことを言うだろうか、と思っていると。

「俺、君の直ぐ後にスーパーを出て、重そうだなぁって後ろから見てたんだけど、どうも同じ道行くっぽいし、だったら途中まででも持ってあげた方がいいのかな、って」

 なんか黙って見てるだけなのも居心地悪いって言うか…、と拙く言葉を足した彼は更に。

「それに、女の子にその量は大変でしょ?」

 と、にこりと無垢に笑って言い、そんな彼に桃井は感動のあまり涙を流しそうになった。

(だ、大ちゃんに見習わせたい…!)

 もともと彼に対して自分でも不思議なくらい警戒心を抱いていなかった桃井だが、ここにきてその理由に思い至った。彼にはどうも人を騙すとか、そう言った後ろ暗いことが似合わないのだ。外見こそ今風だが、雰囲気がふわふわしていてすれたところがなく、人当たりのよさが滲み出ている。今の桃井にしてみれば、マイナスイオンが出ていても可笑しくないと真剣に思えるほどだ。

「貴方、良い人ね」

 さすがに道の往来で急に泣き出すのは自分にとっても彼にとってもまずいと、それを隠すように笑えば。

「頑張ってる女の子には適わないよ」

 と照れた微笑みを返されて、堪えた涙がまた零れそうになった。

(この子、いい子だ…!)

 自分より身長の高い彼のあまりの純粋さに、桃井は小さな子どもを見ているような気分になった。





 結局桃井は彼が言うまま袋二つを持ってもらい、家まで続く道を二人並んで歩く。彼はあまり互いのことに踏み込むべきでないと考えているのか、またはナンパでないことを証明しようとしているのか、桃井の名前を聞いたり名乗ったりせず、当たり障りのない話題を選んで話していた。その中で桃井が彼について知ったのは、彼が自分と同い年で、都内の大学生であることと、桃井が入ったスーパーを彼がよく利用していることくらいだった。

「私、あのスーパー、初めて行ったんだ」
「そうなんだ。あ、そっか、ここらへんにも大きなスーパーあったよね。あれ、でもじゃあなんであんな所まで…」

 既に桃井の家まで半ばという所で、確かにその近くにはここら一帯の主婦御用達のスーパーがある。大抵のものはそこで買えるんじゃないの?、と不思議がる彼に。

「買い物行くけどなんか要るのある?、って聞いて幼馴染が欲しいって言ってたのが、そこになかったの」

 桃井は頬をぷくりと膨らませてそう言った。

「…それだけで?」
「そう。だから次に近くて大きいスーパーって言ったらあそこだったから、あのスーパーに行ったの」
「それって絶対要るものだったの?」
「違うと思う。だって頼まれたの、季節限定のお菓子だもの」
「……」
「でも買って帰らないと機嫌悪くなるんだもん! 俺部活で忙しいから頼んでんのに、とか言われるんだよ?! しかも渡されたの150円で、コンビニで買ったら微妙に予算オーバーなの! どうせ後から余剰分請求しても絶対払ってくれないんだから! だったらスーパーに行くしかないじゃん!」
「そ、そうだね」
「だからってわざわざ一回近くのスーパー行って荷物置きに家に帰って、また同じ道通ってさっきのスーパー行くより、一回で済ませたかったから、あのスーパーで全部買うことにしたの」
「うん、俺もそうするかな」
「そしたら後からメール来て、あれもこれもそれも買っといてって言われて、どんどん買うものが増えたの。絶対あれ、自分がお母さんに言われたのだよ! 実質貴方に持ってもらってる二袋、その幼馴染から言われたものだからね!」
「…それは、なんというか…」
「横暴でしょ?!」
「…うん。知らない人のこと悪く言うのはあれだけど、ちょっとね」

 彼はそう言葉を濁し、苦笑しながら。

「でもその人のために君が頑張るんだから、きっとその人も良い人なんだろうな」

 そんなことを、言う。桃井はびっくりして、自分でもよく分からないまま頬が熱くなったのを感じた。彼の純粋さに中てられたのか、幼馴染を褒められて、且つ遠回しに自分も褒められたから恥ずかしいのか。分からない。でもそこで素直に頷いてしまうのはなんだか悔しくて。

「そ、そんないい風に思わないでね。ほんと、横暴で乱暴なんだから」

 慌てたように桃井は言って。

「…憎めないのは、確かだけど」

 と小さな声で付け足した。彼は聞かないふりをして、ただ柔らかく微笑んでいた。





 ここでいいよ、と桃井が言ったのは、小さな商店街を抜けて家まであと五〇メートルもないという所でだった。さすがに家の前までは、と思ってのことで、彼も変に追い縋ることもなく、そっかと言って荷物を桃井に返す。
 じゃあね、と言葉をかけて別れようとした桃井は、そこでふと、彼が腕時計を見て思案する顔を覗かせたのを見逃さなかった。それはどこか躊躇うようで、心細さを感じた。

「…どうしたの? 帰りたくないの?」

 なんとなく直感的にそう尋ねれば。

「や、あの…」

 歯切れ悪く笑って誤魔化そうとする彼に、自分の言ったことの正しさを知る。桃井はここまで付き合ってもらった気軽さや、どこか彼に感じる子どもや年下の相手に対する責任感も手伝って、こんな所じゃなんだしと、遠慮する彼を連れて商店街まで戻り、馴染みの喫茶店に入った。

「さ、お姉さんに話してごらんなさい」

 着席して一言目のそれに、彼は同い年だろと桃井に突っ込んで、しかし同時に表情が明るく柔らかくなった。笑顔が垣間見えたことに桃井もほっとする。注文した桃井のアイスティと彼のアイスコーヒーが運ばれて二人が喉を潤した後、彼がそっと口を開いた。

「…実は、ルームシェアしてる奴と喧嘩してて…」

 ちょっと帰り辛いんだ、とぽつりと言う。初めての情報に少し驚きつつ、日用品は親に頼まれたものじゃなかったのね、と思いながら。

「だから私の荷物持って、遠回りしたかったの?」

 意地悪く微笑めば。

「や、あれは純粋にそうした方がいいかなって…でも今思えば、そうだったのかも」

 ごめん、と謝られて、逆に桃井の方が恐縮する。そんなつもりじゃなかったのと宥めて続きを促す。

「なんで喧嘩したのか、聞いてもいい?」

 彼は数回、口を開いては閉じてを繰り返し、一口アイスコーヒーを嚥下して、ようやく言った。

「…ほんと、下らないんだけどさ」
「うん」
「全く家事を覚えないんだ」
「家事を?」

 厳密に言えば炊事方面のことなんだけど、と言った彼は、色々と思い出したのかほんの少し眉を険しく顰めた。また喧嘩の原因を言ってしまったことで口の紐が緩んだのか、今度は次から次へと言葉が溢れる。

「ルームシェアの相手は、多分それまでの生活とか、生まれ育った環境からして、自分で家事なんかやったことないだろうなって奴なんだ。育ちはよさそうだし、一回家にも行ったけど、でかかったし」
「そりゃそんなの相手にしたら大変だよ。なんでその子とルームシェアしたいなんて思ったの? 高校で仲がよかったとか?」
「思ってはなかったし、特別仲がいいってわけでもなかった。学校自体違ったし。ただ、大学に入ったら一人暮らししたい、って言うか、家を出たいと思ってたんだ。そんなことを部活の奴等に喋ってたらさ、ルームシェアの方が色々と便利じゃない?、って話になって、それもいいかなぁって思ったんだけど、そんな簡単に相手見つかるわけないって思ってたら、どうも部活の奴がそいつに喋ったらしくって、向こうからよければって話を持ちかけてきたんだ。そいつも一人暮らししたいんだけど、家族が一人は駄目だって言ったらしい」
「殆ど見ず知らずじゃない。よく決断したね」
「最初はすっごい躊躇ったんだよ。育ちもそうだけど、そいつの性格がちょっと、うん、過激?、…でさ。でも覚えるのは得意だって言うし、数回料理作ってもらったんだけど、レシピ見て初めて作ったって言われて驚くくらい美味かったんだ。それにそいつに漏らした友達も、何かあれば自分が口添えするからって言ってくれたし、じゃあいいかなって…だからルームシェアの相手に選んだんだけど…」
「実際一緒に生活してみたら、想像と違った?」
「全ッ然だよ。覚えられるのに、覚えようとしないんだ。大体俺任せでさ、俺より先に帰っても洗濯物取り入れようとしねぇの。料理だって俺とあいつで作る割合が9:1だよ? まぁ、ちょっと失敗しても食べてくれるからいいけど、ってか作らせといて文句言ったら許さないし。一人で買い物行かせた時は最悪だった。言ったものと違うの買ってくるんだ。いや、素材そのものは同じなんだけど、普通バイトで家賃も食費も出してたら出費を抑えようと安いの買ってくると思うんだけど、そいつ、こっちの方がいいと思ってって、高い方買ってくんの!」
「あぁ…主婦としては辛いわね…」

 大学生になり、高校の時より時間の余裕があるということで、桃井も家事を率先して手伝うようになった。真っ先に母親から叩き込まれたのが買い物の仕方で、その時の教えからして、また彼が自分で家賃や食費を出していることを思えば、彼が激高するのも頷ける。

「その時のにこやかな笑顔のムカツクこと…いいことしたと思ってるんだ。そりゃあいつはいいよ。何してるか知らないけど、俺より収入は得てるみたいだし、だからそれ相応の物を食べたいってのは分かるよ。でも食費は折半だし、最初にそう決めて、向こうもそれでいいって言ったんだ。だったらこっちの都合も考えずそういうことされるとほんと困る。だから怒んのに、あいつ、そんだけ怒るんなら自分が多く出すって言ってくるんだ。けど、そういうことじゃないじゃん」

 そう言って、彼はきゅっと唇を一度噛み締めたかと思うと。

「俺は、ちゃんと対等でいたいんだ」

 小さく、それでもはっきりと言った。しかし言ってから恥ずかしくなったのか、繕うようにへにゃりと笑い。

「…男の、変な意地なのかもしれないけどさ」

 と照れたように言い足した。桃井はそれを見て、優しく微笑む。

「いいじゃん。そういう意地、私は好きよ」

 言われて、彼の表情が驚きに染まる。そうかな、と微かに俯き自信無さげに零された声に、えぇ、と桃井は力強く頷いて。

「そういうの、あっていいと思うし、相手の余裕に呑まれない貴方も凄いと思うよ。そんな相手を真正面から怒れるのも偉いし、今それだけの世間知らずと付き合えるなら、これからどんな人に出会ったってお手の物じゃない。怖いものなんてないよ」

 それに、と桃井は言葉を接いで。

「それでも、その人とルームシェアし続けてるんでしょ?」

 そう言ってにこりと笑った意味を、彼はどれだけ理解しただろう。ハッとしたように顔を上げた彼は、けれど赤面する様子もなく、ただわたわたとして。

「べ、別に悪いだけの奴じゃないからさ。一緒にいて楽しいって思う時もあるし、優しい時もあるし。料理とかはそんなだけど、掃除とかはやったら向こうの方がきっちりしてるし、あ、ゴミ出しとかはそこそこやってくれるかな…」

 と相手を擁護する彼に、殊更ことさら優しく桃井は笑う。

(そう思って、毎回許してあげちゃってるんだろうなぁ。ねぇ、自分にとってそういう人のこと、なんて言うか知ってる? …とか言ったら、びっくりするかな)

 ふふっと笑って、桃井はそれにしてもと小首を傾げる。

「その人、私の知ってる人とちょっと似てるわ」

 どことなく聞いていて嘗てのチームメイトを思い出すと桃井が呟けば、彼は一転、弁護を吐いていた口を歪ませて渋面を作った。

「えー、あいつがもう一人いるとか、怖いんだけど」
「でも違うかも。その人、そんなに他人にベタベタする人じゃなかったし」
「べ、ベタベタ? いや、結構ドライな関係だと思うよ、俺達」
「だって、覚えられるのに覚えないって、それって貴方に甘えてるんだよ? その人」
「え、そうなの?」

 心底驚いている彼に、桃井は。

「案外、貴方達っていい凸凹コンビなのかもね」

 と柔らかく破顔した。彼は一層眉間に皺を寄せた後、ふっと力を抜き、そうかも、と同じように笑った。諦めと呆れと、どこか照れたような笑顔だった。





 そろそろ時間も遅くなったと、喫茶店を出る。相談に乗ってもらったからと奢ろうとする彼に、桃井は名前も知らない人に奢ってもらうわけにいかないと言い包めて、結局割り勘にすることにした。出た所で、彼は微かに苦笑して言った。

「そう言えば名前も知らないのに込み入った話をしちゃって、ごめん」
「聞かせてって言ったのは私なんだから、気にしないで」

 笑い返して、一歩後ろに下がって距離を取る。また会おうとも、名前は?、とも口には出さず。

「その人と仲良くね」
「君も」

 それだけで、手を振ることもなく互いに背を向ける。耳を澄ませば、彼の足音が商店街のざわめきに消えていく。十歩も進めば、もう彼の足音を捉えることはできなかった。できればまた会いたい。また会って、その人とどうなったのか聞いてみたい。悩みがあるのなら、相談して欲しい。でもそれを、敢えて言葉にしようとは思わなかった。

(偶然に、委ねる)

 そう思いながら、きっとまた会えると信じて疑わなかった。今日みたいに、きっと背後から彼に声をかけられる。躊躇いがちに、躰も 表情も硬くした彼に。その時に名前を聞こう。その時に名前を言おう。そう、思っていると。

「さつき」

 今度は前から声をかけられた。立ち止まって顔を上げると、そこには幼馴染の青峰が、どこかいつもより厳しい表情で立っていた。

「あれ、大ちゃん。なんでここに」
「おめーが遅ぇから迎えに来たんだろうが」

 確かにちょっとスーパーに行ってくると言って出てきたにしては、時間がかかり過ぎている。しかしその原因の発端に青峰が絡んでるだけに、ありがとうと言うのも何かなぁ、と思って桃井が黙ったまま歩き出すと、青峰も釣られて並んで歩く。しばらく無言で歩き続けて、家の直ぐ前まで来ると。

「あれ、誰だよ」

 青峰がそう聞いてきた。娘の身辺を気にする父親のようだ、となんだか可笑しく思いつつ、桃井は反射的に返した。

「知らない人」
「…おめーは知らねぇ奴に荷物持ってもらって、仲良く喋りながら家まで帰って来んのか」

 変な奴だったらどーすんだよ、と珍しく至極真っ当なことを言う青峰に少し感心しながら。

「大丈夫だよ。だってあの子、今時珍しいくらいの好青年だったよ。それに、好きな人もいるみたいだしね。無自覚っぽいけど」

 だから大丈夫、と笑う桃井に、青峰が怪訝な顔をする。

「…会ったばっかの奴なのに、なんで分かるんだ?」
「なんとなーく。女の勘?」

 ふーん?、とよく分からんと言いたげに返した青峰は、もう彼への興味を失くしたようで。

「あ、あれ買ってきたか?」

 と、腰を屈めて桃井が持つ袋の中を凝視する。桃井は一気に最初の苛立ちを思い出すと。

「買ってきたよ! 遠くまで行ったよ! ほら、これでしょ!?」

 ガサガサとスーパーの袋の中を漁って青峰にドンッと突き出した。

「あー、それそれ」
「感動薄いな! 私がどんだけ頑張ったと思って…!」
「おめーにやる」
「…はい?」
「毎年食べてんじゃん、そのシリーズ。まだ今年食ってなかったろ」
「そ、うだけど…」
「んじゃ有り難く受け取れ」
「って、買ってきたのも苦労したのも私なんだけどっ」
「金は出してやったじゃねぇか」

 ―――150円! その150円でいつものスーパーじゃ駄目だったんだけど!、と言うのも哀しくて、桃井は青峰を見上げて睨む。それをどう勘違いしたか。

「嬉しいか」

 とニカッと笑う青峰に、咄嗟にぶっきら棒に返した。

「わ、私、ちっちゃい子じゃないんだから…っ」
「知ってるよ」

 じゃーなと、ひょいと桃井から二袋を掻っ攫って家に入っていく青峰。見届けて。

「〜〜何よっ、言うだけ言って帰っちゃって…」

 ぷくりと頬を膨らませて、ふんっ、と軽くなった荷物を振り回しながら家に帰る。玄関に入り、背中を扉に預けて、少し。

「……ありがと」

 桃井は手の中にある青峰からのプレゼントを見詰めて、くしゃり、と笑った。





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 20120922





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