-introduction-

[序章]

 雨季に入り、朝となく夜となく、しとしとと雨が降る。雫の落ちる音はひどく静かで、耳を傾けてもその音が耳朶じだを震わせることはない。そっと窓に手を置いて目を閉じる。そうすれば微かに雨が窓を叩く振動が手に伝わって、それが視覚以外で雨を感じられる唯一の手段だった。
 聞こえない音に耳を澄ます。無意味で不利益なそれを、僕は何度も繰り返す。
 雨が特に好きなわけではなかった。じめじめと肌を侵食するような湿気は不快に思うし、少し外に出ればどう傘を傾けようとどこかしら濡れてしまうのだから、好きになれという方が難しい。けれどこうして内と外に隔たった場所でなら、僕は雨を愛好することができた。
 静寂が好きだった。晴天の時には感じられない、ひっそりとした雰囲気が好きだった。理由はただそれだけで、―――あぁ、だから自分は戦争が嫌いなのだろうかと、他人ごとのように、思った。





 国が戦争を始めたのは僕がほんの小さな頃だった。身長なんてまだ両親の膝くらいまでしか達しておらず、幼児教育機関へ通い始めたばかりの頃だ。戦争という言葉も聞かないような、それが死語にさえなりかけていた、とても平和な時代。両親の言葉の端々を理解することも難しかった。子ども用に作られたはずの遊具さえまだ少し僕には届かなくて。もどかしくなるくらい、小さく、幼く、けれど一日一日に余さず新鮮さが溢れていた。僕はその時代、幸せという言葉を知らないまま幸せに生きていた。
 そんな幸せも両親も、平穏無事な生活も、奪われたのは突然だった。
 誰もが寝静まった夜に、空は赤く燃えた。いつか映像で見た、火山が噴火した後に流れ出したマグマが地を這うように、地平線は赤一色に染まった。僕は僕を守るように躰を丸めた母親の腕の中から這い出て、その光景を見た。おぞましいとは思わなかった。悲しいとも思わなかった。よく分からなかった。ただ熱くて、ただ、自分の髪の色と同じだとぼんやりと思って。それを伝えようと振り返った先、倒れていた父と母。揺り動かしても目を覚まさない。いつもなら小さく笑んでキスの一つでもくれるのに。ぺちぺちと頬を叩いた。髪を引っ張ってみた。起きない。そうするうちにいつしか疲れて、寄り添うように眠っていた。
 次に目覚めた時、僕は集会所のような所に連れてこられていた。見渡しても知らない人ばかりで一様に大きなモニターを見つめている。傍にいた医療服を着ていた人にみんな何をしているのと問うと、生きている人は全員ここに集められていて、何やら政府から発表があるらしいと言う。じゃあ父と母はと聞くと、その人は困ったような顔をして、何も応えてはくれなかった。その頃にはもう、漠然と二度と会えないのだろうと、幼いながらに理解していた。
 暫してモニターに政治家が映し出され、事の顛末を話し始めた。ひどく機械的に、戦争が始まったこと、以前から外交上で隣国と意見が相容れなかったこと、国民一致で勝利することなどを、ファクシミリが延々紙を吐き出し続けるように喋っている。どこか知らない国の話ではないだろうか。物語の中のできごとではないだろうか。みんなそう思っていたに違いない。怒るでもなく、集められた人々は呆然としていた。僕も、その中の一人だった。


〈設定〉

 その後全ての子どもは軍学校に入学し、赤司は徐々に頭角を現しエリート街道驀地まっしぐら。キセキの世代達が赤司の周りに集まり、軍学校でも一目置かれていた。
 高等教育課程に入った頃、赤司は一人の少年と再会する。それが降旗で、彼は幼児教育時に一時赤司の近所に住んでおり、当時は「首振り人形」とあだ名されていた。それは降旗が呼吸器系に持病があり、常にマスクなどをしていたせいで声が出しにくく、意思表示には常時首を振っていたため。それを思い出した赤司は降旗が軍学校にいることに疑問を抱く。持病がある者は基本的に入学することはできず、科学者になったり工場に雇用されるはずだから。降旗はその疑問に病気が治ったと言う。「ほら、今普通に喋ってるでしょ」と。後にエリートの特権で降旗の入学時に提出された健康診断書を見た赤司は、確かに完治した旨が書かれていることを認める。そのため降旗は同年でありながら、一年留年していた。
 その後はエリートの道を行く赤司と通常の士官である降旗は偶に会うことはあったが喋る機会は減っていく。むしろ赤司はそれを避けていた。会っても降旗に冷たくあたるばかり。キセキの世代達はそれを宥めるけれど聞く耳持たず。曰く、「エリートである僕が雑兵に無闇矢鱈に声をかける訳にはいかない」とのこと。
 そうした関係が連綿と続き、軍学校を卒業した赤司達は軍に配属されることになる。赤司を司令塔に着実に功績を上げ続けるキセキの世代。一年ほど経った頃にはその地位は盤石なものとなっていった。そんな時、キセキの世代にとある任務が舞い込む。一軍を率いて敵軍に奇襲をかけるというもの。軍に入って一年ばかりの彼等には大役と言っていい任務だが上官の命ということもあり、断ることはできない。また、彼等も遂行できないとは思わなかった。自分達の力を過信したわけではなく、それぞれの力を知った上で任務達成を確信していた。だがそれはキセキの世代を疎む者達の計略であり、渡された任務内容はほとんどが書き換えられていた。任務地は激戦となり、キセキの世代は死地に立たされる。その中で赤司が負傷し、そして。





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 20120701
 /前略/
 仮題の紫陽花はこのお話を思いついた7月1日の誕生花です。花言葉は「貴方は美しいが冷淡」。





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