朱に交われば赤くなる




 退屈な日常に光が差した。それは、帝光中学の学校見学でのことだ。

『…君、バスケするの?』

 体育館を見学中、一人の男子に声をかけられた。いかにも優等生らしい顔立ちと物静かな出で立ちに、一瞬自分に声を掛けたのではないと思い込んで周りを見る。自慢じゃないが自分でもあまり人好きのする顔ではないと自覚しているし、それどころじゃなく人相が凶悪的に悪い!、とは幼馴染の言だ。だが他の奴等は大人しく教師の説明を聞いてて少し離れた場所にいた。そこにいるのはどう見ても俺とそいつだけ。あぁ俺に話しかけているんだとそこでようやく納得して振り返る。そして首を傾げた。

『なんで?』

 端的な返しにそいつはにこりと微笑んで、あぁ本当に優等生っぽい笑い顔だと品定めした俺に気づかないまま――今思えば、気づいていて気づかないふりをしたんだろうが――言った。

『だってずっとバスケ部の練習見てたから』
『あぁ、まぁ、な…』

 それほど凝視しているつもりはなく、自分としてはちらりと見た程度だと思っていたが、他の奴等との間にある距離を見れば正しいのはどうやらそいつらしい。認めて、曖昧に頷いた。

『入学したらバスケ部に入部? 俺と一緒だな』

 その台詞と、急に言葉が砕けたような感じがして、改めて相手を凝視する。鮮やかな赤い髪は自分の色と正反対で、また浅黒いと言われる自分より肌も白い。健康的に焼けているわけでもなく、どうしたってその白さは生まれつきか勤勉さを如実に表していた。優等生だと思ったのも、そこに理由の一部があったりする。とても運動をする人間のようには思えなかった。

『…お前も?』

 だからそう聞いたのだが、相手はあっさりと頷くと。

『これでもそこそこ強いと自負しているけどね』

 なんでもないようにそう言った。日本人の性質を思えば謙虚さからは程遠い言葉に生理的に呆れながらも、けれどこいつはそう﹅﹅なのだろうと、根拠もなく信じられる何かがあった。意志の強そうな目か。物怖じしない口調か。それはどうも分からないけれど。

『しかし、この学校はバスケの名門だし、部員数もかなり多い。君はレギュラーの座を奪えるかな?』

 楽しげに、挑発的に煽られる。口元にはさっきとは違い値踏みするような微笑。あぁ、性格が悪いのか。思ったことは言わず、なんでお前はレギュラー入り確実みたいに言うんだと指摘することもせず、こちらもただ勝気に笑んでそれに応えた。

『バスケするってのは、試合に出るってことだ。俺が出なくて誰が出るっつーんだよ』

 試合と言えば、練習試合なんてもんじゃない、当然公式試合だ。そうじゃなきゃ意味がない。それを疑ったこともない。常勝を掲げる帝光中のバスケ部の、自分は核になる。

(そのためにここに来たんだ)

 学校見学なんていう、七面倒臭いものに足を運んだのも、自分が近い未来にボールとともに駆けまわるコートを見たかったからだ。そう、自分は練習風景を見ていたわけじゃない。今いる部員の動きを観察していたわけでもない。ただコートを見ていた。

『俺はレギュラーになるぜ。そんで、誰よりも多く得点してやる』

 それはもう意気込みと言うより、宣言と言って差し支えないものだった。

『―――そう』

 聞いた相手は、入部前に大口を叩くなと、呆れた素振りを見せなかった。満足気に、まるでそれでいいと言うように顔を綻ばせて。

『君、名前は?』
『青峰大輝。つーか、名前聞くなら自分からだろーが』

 それは幼馴染が日頃口酸っぱく言うことで、まさか自分が言う方になるとは思わなかった。相手は気にした風もない。目を細めて静かに名乗る。

『俺は赤司。―――赤司征十郎だ』

 それが俺の、俺達の、王サマとの出会いだった。





 俺達は順調にレギュラーになった。勝利が全てだった帝光中の方針は、俺達みたいな存在を放っては置かない。入部前に顔見知りだった赤司の他にも、緑間や紫原がレギュラーの顔ぶれに並んで、色が賑やかになる。遅れてテツと黄瀬が揃い、帝光中のレギュラーはいつからかキセキの世代と呼ばれるようになった。
 それは俺からしてみれば自然なことで、元々このメンバーでやっていくために自分達は同じ年に生まれたんじゃないだろうかとふと思ってしまうほど、俺達は六人でいるとこに満足していた。六人で、一つだった。

(でもいつからだろう)

 元より六人に連帯感などは無縁で、それでも個々の間には繋がりのようなものがあった。それは俯瞰的に見てやっと輪を作っていると言える程度の、そんな関係だったけれど、確かに自分達の間にも友情とか仲間とか、そういった思いはあったのだ。
 用事がない限り一緒に下校するし、喋りかけるのも喋りかけられるのも、その六人の中で行われるのが普通で、自分達はそれ以外の誰かを必要とはしていなかった。それは言える。その、はずだった。

(…空を目指したシャボン玉は、結局空には届かない)

 小さい頃、なんで?、を繰り返した現象。重力が関係しているとか、水分が蒸発するから、なんて言われても、結局良く分からなかった。今でもふと見かけると思う。何故そのままの形でいられないのだろう。ふわふわと幸せそうに漂っていられないのだろう。虹を作り続けていられないのだろう。そもそも。

(何故、割れると哀しいのだろう)

 …今なら分かる気がする。六人の繋がりが壊れてしまいそうな、今なら。





『…たまに思うんだ』

 赤司は一度だけ、そう言ったことがある。それは睦まじく、まるで青春真っ只中の高校生カップルが胸の高鳴りを抑えて誰も来ないはずの、そう思い込んでいる校舎裏で浅い口付けを何度か交わした後のこと。

『お前とは、敵として出会うべきだったと』

 今現在、チームを組んでいる相手に、まして躰を寄せ合っているその状態で言うべき言葉ではないだろうに、と呆れながら。

『…ロミオとジュリエット?』

 返答に困ってそう零せば、どうやら笑いのツボに入ったよう、馬鹿、とさして有難くない言葉を放った赤司は、寄りかかっていた俺の胸に額を付けてくくと喉で笑った。それでも押し殺しているつもりらしい。まったく失礼な奴だと眉間に皺を寄せてそっぽを向いた。確かに、自分らしい言葉ではなかったけれど。

『笑いすぎだろ』

 照れ隠しに不機嫌を装って言えば、赤司はごめんと一言謝って、肩を揺するのを止めた。でもその謝罪にだってまだ笑いの残滓がある。
 こんな笑う奴だっけと、まだ顔を上げないままでいる赤司の赤髪を見下ろした。夕暮れ時で、一面が橙色に染まる放課後。赤司の髪はその夕陽の色を吸い取って、いつもより一層、鮮やかに赤かった。目を奪われる。心を奪われた。だからこうして、俺は赤司の接触を許している。

(…いや、逆か)

 自嘲を浮かべるでもなく、俺は冷静に訂正した。自分の方が、赤司に触れることを許されているのだと。

(俺も赤司も、惚れた腫れただのとは縁遠いくせに)

 その頃には赤司がどういう奴かは理解していた。とは言っても、その理解している部分だってきっと、赤司が俺達に見せていいと自分の中で区切りをつけた部分で、だから本心などというものには到底届かない、浅瀬の部分なのだろうと薄っすらと勘付いてもいた。赤司が何を考えているのかなんて分からないし、本当は自分をどう思っているのかさえ、知ることはできない。それでも、思う。

(これは、恋なんてもんじゃない)

 自分も、赤司も、人目を忍んでキスを何度繰り返そうが何をしようが、そんな思春期を抉らせたようなものに陥る人間じゃなかった。だからって、敵として出会うべきだったと言う意味はなんだろう。しばし頭を悩ませたが、それも時間にして瞬き一つの間。早々に考えることを止め、俺は赤司に聞く。

『…お前は、俺を負かしたいのか?』

 それは赤司の生きる理念を知るからこその問いだった。赤司は勝ち続けることで生きている。負けは即ち死だ。そんな覚悟で俺と真っ向勝負をしたいのか。そうなれば、もしかするかもしれないのに。
 赤司は頭を動かしてちらりと俺を見上げたかと思うと、直ぐ伏した。けれど朱色の瞳がゆらりと揺れたのを見て、より怪訝な思いが募る。そうじゃない。小さく呟かれたそれに赤い髪の旋毛を見下ろすと。

『お前を生かすためなら、その方が良かったかもしれないと、…そう思ったんだ』

 …なんだ、それは。一瞬、返ってきた言葉に戸惑いが胸に来た。それが心に届いた頃、口元に笑みを作る。俺のためか。俺のために、お前は自分の命を投げ打つのか。そう思えば、キスをしている時以上に首筋がぞわぞわした。

『お前は強敵には燃えるタイプだからな。今の状態だと、つまらないだろう』

 確かにその頃俺は試合相手に満足していなかった。いや、あんなもの試合とは言わない。勝てるゲームにしかやる気にならない奴が多くなった。キセキの世代を倒そうと意気込む奴が、いなくなってしまっていた。

『お前が敵になって俺を楽しませてくれんの?』

 考えただけで楽しい。俺は試合で楽しみたい。赤司は試合で勝ちたい。命懸けで、向かってくる。それはどんなに、―――愉しいだろう。その愉悦を思い描いて俺が笑ったのに気がついてか、赤司もまた笑った。言っておくが負けないから、と言って、そして。

『そうしたら、みんなも楽しくバスケができるだろう?』

 お前が楽しくなさそうだと、みんなもノらないからな。そう、なんでもないことのように言う。…あぁそうだな。お前が言うなら、そうなんだろう。

(でも、だから、―――何?)

 途端、浮かんだ笑みが消えていく。浮いた心が沈んでく。夕陽で温まった肌が唐突に冷えていって、心が寒い。

(みんな、なんて、今はどうだっていいのに)

 それは思ってはいけないことだ。でも、考えることをやめられない。それが六人でいる心地よさを知って尚、俺達がバラバラになりかけている理由だと分かっているのに。

(お前のためだと、それだけで言葉を呑み込んでくれたなら…)

 でもそれを言うわけにはいかなくて。だから。

『…そう、かもな』

 俺はそう返すしか、なくて。





 こうしてバラバラになっていく。赤司のたった一言で一喜一憂する俺達は、赤司のたった一言のために散っていく。

(…赤司は誰のものでもない)

 俺もみんなも、それを嫌というほど知っている。だからこれは恋じゃない。恋であるはずがない。ただの餓鬼の我侭だ。手が届かないものを欲しがる、ただそれだけの。

(割れると知りながらシャボン玉をいつか空へ届けようと藻掻く)

 餓鬼の夢に似ていた。





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