淵に雨




 帰り道、自然と赤を中心として色の隊列が組まれ、それは不平等のないよう毎回変わるのが常だった。だが今日は黄瀬がどうしても赤司の隣がいいと駄々をこね、赤司が了承してしまったために緑間は最後尾を歩くことになってしまった。
 本当なら赤司の横を歩くのは自分であったのにと、離れた距離の赤と黄色に、自然、表情が厳しくなる。そのふくれっ面に青峰が背を叩いた。

「ま、今日はお前の自業自得だな」
「自業自得だと? 何故なのだよ」

 睨めつければ、驚いた顔をされてまた眉間の皺が深くなる。何だ、と目線だけで問うと。

「お前、今日のゲームで黄瀬のことまったく考えなかったろ」

 その言葉にはたと気付く。黄瀬のこと―――そう言われれば最近黄瀬が勝った記憶がないことに思い至り、次いで今の状況はもしかして黄瀬のことを考えず勝利を掴んだ自分に対する嫌がらせなのかと考えれば合点がいった。
 理解したのを表情から読み取った青峰が「ほんとに気づいてなかったのかよ」と溜息を吐く。その心底呆れたという表情に、緑間は言い訳めいた言葉を吐いた。

「…何故か今回に限って俺の携帯にえらく情報が舞い込んでくると思ってはいたんだが、なるほど、そういうことだったか」

 つまり今日は黄瀬が勝つはずの日だから、黄瀬のために情報を寄越せということだったのだろう、と遅まきながら気がついて、ちらりと窺うように黄瀬を見る。赤司に笑いかけて何やら話していた黄瀬がそれに気付いたかと思うと、あからさまに拗ねた顔をしてそっぽを向かれた。

「あいつはあのツラで勝率上げんの難しいんだからよ、もうちっと気にしてやれよな」

 多分根に持って暫くはお前の邪魔ばっかしてくんぞ、という青峰の言葉に、そうだろうと易く想像できる未来に辟易として苦い顔をする。
 恐らくあの体育館の扉を叩く蛮行それ自体が既に緑間の独断的な勝利に対する邪魔、というか制裁だったのだろう。緑間の行動をどこかで見ていた紫原か黒子が黄瀬に緑間の勝利を知らせたに違いない。そうと考えなければ、常にない黄瀬の到着の速さと行動の乱暴さの説明がつかなかった。

「…面倒なのだよ」

 この様子では恐らく紫原や黒子も当分の間は自分の味方はしてくれまい。青峰もこうして忠告してくれてはいるが、それも口だけで同情してのことではないだろう。思い出せば黄瀬と共に現れ扉を叩いて勝利の時間を邪魔をしたのはこの青峰だった。

「だから自業自得だっての」

 素気なく言われたその一言にやはりなと諦めたように吐息を零す。
 だが直ぐに致し方ないとも思った。欲しいものを手に入れるゲームで順番だの平等だのと言う方が本来はおかしいのだ。今まではそれに甘んじてきた。それが最善だと思って。だがそれでは結局茶番にすぎず、欲しいものは決して手に入らない。今日のように邪魔されることをしょうがないと諦めてしまうのも嫌だった。
 緑間の心の中でいつしか育っていたジレンマ。仲間の調和を取るか。欲しいものを腕ずくで獲るか。どちらも決めかねて、迷って、けれどもう、今の状態でいることに意味を見出せないでいた。

(何をするにも六人みんなで―――それに何の意味がある)

 いっそ誰かが奪ってくれればいいのにと思ったこともある。それが誰であったとして、きっと得られるのは安堵だ。やっと均衡が崩されたという安心感。優劣のない関係は心に重くて仕方ない。
 それを楽しむ時期は疾うに過ぎ、今ではこの関係が薄氷の上に成り立つものだと気づいてしまった。安穏と立ってはいられない。誰が崩すかなどと悠長に待ってはいられない。ならば寧ろ、自分の手で―――。

「あんま、変なこと考えんなよ」

 と、思考を断つ静かな声。硝子レンズを盾にちらりその方を見る。視線も寄越さず、青峰が言葉だけを緑間に向けていた。
 声に冷たさはない。棘もない。それはただ平淡に零され、表情もいつもと変わりない無表情。なのに言葉だけが異常に重い。纏わりつくようで、泥のように、おもりのような。青峰は言う。無意味なことだからやめておけと。

「あいつが選ばない限り、選んだとしても、どっちにしたって俺達に選ぶ権利なんてねぇんだから」

 …それはきっと真実だ。赤司は誰のものでもない。それは赤司が誰も選ばないからに他ならなかった。例えば青峰が、緑間が、お前が欲しいと赤司に直接言ったとして、赤司はなんと答えるか。答えられる前から答えなど知っている。―――赤司はただ笑うだけだ。優しくもなく穏やかでもなく、ただ甘さだけを含んで楽しげに。
 分かっている。見たこともないのに、知りもしないのに、強固なほど確信している。そう、選択権は赤司にある。だが例えそうだとしても。

「…それでいいのか」

 それで、俺達は待ち続けて、ただそれだけで。もしかしたら結末は違う色を見せるかもしれないのに。苛立った響きが底に隠された声に、青峰はやっと笑った。小さく微かに、皮肉さえ込めて。

「……黄瀬は、赤司が絶対手が届かねぇ存在だから好きなんだと」

 脈絡もない言葉に目を見開いて言った青峰を凝視する。その視線を気にした風なく、少し分かる気がすると、青峰はひそりと静かに言った。欲しいものは奪う、掴み取る。そう豪語してやまない青峰が、そんなことを言う。

「手が届かねぇから伸ばすんだろうし、想いが届かねぇから届けようと藻掻くんだろう。あいつが言う意味は多分そういうことで、それが好きって感情なのかはよく知らねぇし分からねぇ。総合的に見てそういう感覚を好きだと勘違いしてるだけなのかもしんねぇ」

 でもその言葉がぴったりとくるって思っちまってる以上、その言葉が一番あいつの中で適切なんだろう。だからその言葉で間違ってないんだろう。そう零し、そう言って、青峰は緑間を見た。

「お前だってそうだろうが。手に入れられねぇから、お前は赤司が好きなんだよ」

 歩くことを、忘れてしまいそうだった。事実緑間の歩調は乱れて、表情は硬いものとなった。衝撃というほどの衝撃もなく、けれどその言葉は確実に緑間の心に届いていた。
 青峰にそれを気にした素振りはない。ただその動揺を認めるように見て、視線を緑間から引き剥がして前を見る。誰を見ているのか、誰も見ていないのか。その横顔からは分からなかった。

「俺達は似てる。よくよく手に入らねえものを欲しがるところなんかそっくりで、それが手に入った瞬間興味が失せるなんてところも、嫌ってくらい似てやがる」

 だからやめておけと青峰は言った。この関係がいつか変わるとしても、変えるのはお前ではないからと。

「……そうか…」

 言って、緑間は何故だか微笑んだ。青峰が言ったことは尽く的を射ていた。きっとそうなのだろう。緑間が赤司に向ける感情の理由も、受け入れられてしまえばそれがどうなるのかも。だが、それではまるで。

(俺達の感情は白熱灯に身を摺り寄せて死ぬ羽虫か)

 恋に焦がれて焦がして死ぬ。儚いのではなく、一時の激しさを求める情死のように。自虐に似た思いでそう零す。笑える。笑える。面白くも、ないのに。

「…お前は、赤司が好きか」

 気づけばそう聞いていた。笑みは既に口元にない。真摯というほどの厳しさもなく、それは穏やかでさえあって青峰に向く。青峰はもう、緑間を見なかった。

「好きだと思ったことはねぇ」

 はっきりと返される。潔いほど清冽に、青は今こそ遠い赤を凝視して。

「ただ、欲しいとは思う」

 理由は知らない。瑣末なことだ。ただ最初に会ったその日から、視界の端に、思考の隅に、赤が消えた日は一度もない。





戻る






PAGE TOP

inserted by FC2 system