⑧my dear: 大好きで可愛い人




 熱に、弱い。自覚があった所で、それはどうしようもなかった。溺れる感覚はないのに、いつの間にか熱さに茹で上がってる。躰の輪郭を失ってしまいそうなほど、溶け消えそうなくらい、熱が躰の中で暴れてる。その癖、相手の指の動きを具に伝えてくるから質が悪い。常はひんやりとした彼の手も、この時ばかりは熱くなる。

(熱い。熱い。熱い)

 触れる手も、流れる涙も、交わされる口づけも、何もかも。その熱さが、その熱が苦手だった。自分を保っていられなくなる。頭が飽和して、自分が何を喋っているのかも分からなくなる。時折記憶もない。彼はどうやら全てを覚えているらしいのだけど。

(…ずるい)

 聞いて最初に思ったのが、それ。相手に非はないと分かっていて、詰るように思ってしまう。自分は覚えてないのに彼は自分が覚えていない何かを知っている。ずるい。なんで。

(俺だって、覚えていたいのに)

 だから熱に流されまいと頑張る。熱が自我を波のように飲み込んでいこうとするのを、引くまでじっと耐える。彼は我慢しないでいいよと言ってくれるけれど、これは言わば自分との戦いなのだ。負けられない。そう思って、もう何度も惨敗しているのだけれど。

(…でも、頑張る)

 頑張ったら、何かを得られるような気がする。それが何かは、まだ分からない。

「…また、頑張ってるの?」

 不意に額にキスが降ってくる。ついで言われた言葉には微かに苦笑が窺えて、目を開ける。涙で滲んだ視界に赤が見えた。表情までは分からない。瞬けば、淵に溜まった涙が一粒二粒頬を伝う。唇で掬われて、その擽ったさに笑った。そう言えば涙は血から血球を除いたものだと聞いたことがある。ならば彼が涙を口に含んだということは、つまり。

(赤が、赤に還るのか)

 そう考えれば、微笑は深まり笑みになる。赤。赤。赤。彼の色。手を伸ばす。赤い髪に触れ、そっと後頭部に指を這わせて近づき、赤い唇に口付ける。唇で唇を塞ぎ、赤い舌をそろりと絡ませて。

(還る赤に、自分も混じってしまえればいいのに…)

 ふと、思う。喰われたくはない。死にたいわけじゃない。

(それくらい、ただ)

「…好き」

(そう想っている、だけで)

 それはほろりと零れて、聞き逃してしまいそうな音になった。自分にさえ届いたかどうかの声。なのに、耳聡く彼は聞きつけたらしい。ぴくりと肩を一瞬跳ねさせて、ぴたりと動きを止めた。首を傾ぐ。何?、と問うように近くにある色違いの双眸を見据えれば、驚いた表情でこちらを見ている彼。そのままで少し固まっていたかと思うと。

「………光樹」
「…ぅん?」
「僕のこと、呼んでみて」

 突然、そんなことを言う。

「…は…? なん、で…」
「いいから」

 ひどく真剣に言われて、その意図がよく理解できないまま、それで気が済むのならと。

「…赤司」

 呼ぶ。本当に事務的に、名前を忘れるわけがないよという、ただの呼びかけ。だと言うのに、彼は。

「…初めてだ」
「ん、…なに…?」
「初めて、ちゃんと意識のある状態で、僕に好きって言ってくれた」

 笑う。笑う。子どもが欲しかった玩具をやっと買ってもらった時のような、純粋で幼くて、本当に嬉しそうな笑み。よく分からないけど――…可愛い。その笑顔のまま。

「光樹」
「…ん」
「もう一回」

 強請られる。よく分からない。何に驚いて、何に感動しているのかも。きっとこれも覚えていない記憶の一欠片なのだろう。いつもなら苛立って腹立たしくて、拗ねてしまうところだけど。今はそんなこと、どうでもいい。

「光樹」

 笑う彼が可愛い。催促する彼が可愛い。熱さのことなんかどうでもよくなるくらい、可愛くて。

(あぁ、もう)

「赤司」

 大好き。





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 20120808





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