⑦weak point:愛は盲目




 それはまた、キセキの世代が全員、それこそ奇跡的に集まった時の話。

「…あの、赤司君」

 話の途切れ目を狙って、黒子がそっと赤司を呼んだ。何?、と麦茶のグラスに口をつけたまま、ちろりと目線を上げるだけで問う赤司。他の四人も「なになに?」と興味深そうに黒子と赤司の会話に目を遣り耳を傾けた。衆人環視の中、黒子は少し言いづらそうにしつつも、好奇心には勝てなかったのだろう、覚悟を決めるように大きく息を吐いてから「あのですね」と言い置いて赤司に問う。

「もしかして、ですけど、降旗君と…その、致す時なんですが、…正常位のみ、だったりするんですか?」

 ぐっ…。何人かから飲み物や食べ物を喉に詰まらせたような音が聞こえた。赤司もその一人で、辛うじて吹き出さなかったものの、数瞬咽むせたように咳をした。いち早くその状態から脱出した青峰が「はぁ!?」と素っ頓狂な声を上げる。

「テツ、お前いきなり何聞いてんだよ!」

 それまでまったくそんな話をしてもないし、猥談に流れ込む雰囲気でもなかった。そもそもまだ夜に程遠い、昼食が終わったばかりの時間帯だ。だからのんびりと麦茶なんかを飲んで寛いでいたというのに。

「すみません。突然思い出したら、気になってしまって…確かに今出す話題ではなかったですね」

 無表情の中に深い反省の色を見て、青峰も「いや、まぁ…」と、それ以上強く言えず押し黙る。黄瀬はまだ咽ていて、紫原は静観することに決めたらしく、もそりとまいう棒を咥えてしゃりしゃりと音を立てていた。赤司は黒子をじとりと見ているし、なんだか次の一言を出す雰囲気でもない中。

「…何を思い出したのだよ」

 緑間が黒子の言葉の中でふと引っかっかった部分を聞いた。無言の帳が破られたことで強張った雰囲気も綻びる。あぁそこから話すべきか、と黒子が「えぇっと」と記憶を引っ張りだすように視線を空中に彷徨わせた。

「ある人から聞いた話なんですが――…」





「…なぁ、降旗ってさ、躰触られても赤司にしか反応しねぇんだってな」

 それは部活後の、着替えで部室がわいわいと賑やかな時になされた会話だった。唐突なそれに、黒子はまず降旗が遠くにいることを目視し、次いで周囲に誰も聞き耳を立てている者がいないことを確認してから言った相手をちらりと見た。

「…誰から聞きました?」
「青峰」
「あぁ、やっぱり…」
「へー、その反応からするとマジなんだな。あいつのホラ話かと思ってたけど」
「…鎌かけましたね?」
「へへっ。だってあいつの話、嘘臭ぇからさ、お前だったら知ってっかなぁって」
「はぁ…で、それがどうしたんです?」

 だったらなんなんだ、とジト目で見れば、相手は頬を掻いて。

「いや、この前その話聞いて、それっておかしくね?、って思ったんだけど、なんでそう思ったのか全く分かんなくてさ、最近やっとそう思った理由に思い当たった」

 えへん、と子どものように胸を張る相手に、「それはよかったですね」と口を滑らせてしまった決まり悪さも手伝って素気なく返すも、相手は気にした様子もなく。

「あいつ、すげぇ背中弱いから、俺が触ってもめちゃくちゃ反応してたぜ?」

 あっけらかんと、そう言ったのだ。





「多分、その人の言う〈反応〉は性的なものではないと思いますが、それでも具体的に聞くと”腰が砕けた状態になった”と聞いたので、僕もおかしいと思ったんです。赤司君の話だと、降旗君はパブロフの犬状態で、一定の手順を踏まない限り反応はしない。ならばどういうことかと考えて、そこで立てた仮説が」
「正常位のみの性交、ね…」

 呆れたように赤司が零す。黒子は「はい」と頷いて。

「もしかしたら、赤司君、降旗君が背中が極端に弱いこと知らないんじゃないかなって。だからその可能性を想定せずに仕込みを終えてしまったのかな、と」

 ただ、飛躍している仮説だとは黒子自身思っていた。正常位のみの性交など、ありえるだろうか。丁度自分達は多感な時期で、身体的にも性的にも旬であると言っていい。そんな時期に恋人がいれば興味本位で様々な体位を研究するのも有り得る話で、しかも彼等は遠距離恋愛ときている。再会の夜は熱いものになるだろう。それに――と、黒子はこの問題で一番ネックになっていることを考えた――彼等は同性同士のカップルだ。それを黄瀬も気がついたようで、あれ?、と首を傾げた。

「でも、男同士の場合、正常位より背中からの方がやりやすいって聞いたことあるっスよ?」
「…誰にだ」
「俺、見たまんま業界人なんで!」
「黙れks」
「青峰っち、ひどい!」
「イラッとした」
「むしゃくしゃしてやった、みたいに言うな」

 緑間の苦言を綺麗に無視して青峰は赤司に向き直ると、率直に疑問を口にした。

「で、実際どうなんだよ?」

 それに、赤司はどことなく拗ねたような顔をして。

「…別に正常位だけじゃないけど…背面の体位は、光樹が嫌がったんだ」

 とだけ言って口を噤んだ。それ以上説明がないのを見て取って、…まさか、と五人の顔が以前のように強張る。代表するようにまたもや紫原がそっと窺うように赤司を見て。

「赤ちん…嫌がったからって、それだけで弱いかどうか確かめず、なんてことは…」
「……」
「…そうなんだね…」
「……だって光樹が嫌だって、泣くから…」

 それを聞いて、あー…、と五人はなんとも言えない顔をした。赤司が降旗を溺愛と形容できるほどいつくしんでいることを知る五人には、それだけで赤司が行為を中断する理由になり得るのだと納得できた。確かに、降旗に泣かれるほど嫌がられたのなら、赤司にはそれ以上手の出しようがない。自分達の主将であった頃は誰が泣こうが喚こうがお構いなしだったというのに、この差はなんだろう。…愛か。

「お前ってやつは…ほんと…」
「…なんだ、青峰。何か不満か?」
「いんや。ただ今まで聞いた話からして、俺、お前が降旗に尺八やるだけやって、やらせてなくても驚かねぇな、って」
「……」
「…図星かよ」

 それでいいのか、とは、もう聞かなかった。いいのだと返されるのがオチだし、それが自分の愛なのだと言われればそうなのだろう。青峰には理解できないが、赤司がそれで満足しているのなら自分に言えることなど何もない。他の四人もそうらしく、諦めたというより悟った顔をしていた。心情で言えば、合掌、と言ったところか。と、気もそぞろに考え込んでいると、赤司が黒子に水を向けた。

「…で? テツヤ」
「あ、はい」
「その相手というのは、火神だな?」
「……」
「そうか、分かった」

 黙秘するも赤司に通じるはずはなく、呆気なくバレて黒子が小さく「すみません、火神君…」と項垂れながら口にしたのが耳に入る。

「…なんか火神あいつのあずかり知らぬところで、赤司の中での火神の評価が順調にどんどん下がってくな」
「例の写真と言い、あいつはよくよく降旗に絡むからな」

 しょうがないのだよ、と緑間は憐憫を抱いた風もなく言う。ひでぇな、とまるで火神の肩を持つように言う青峰だが、よくよく考えれば青峰が火神に漏らさなければそのようなことにはならなかったはずで、だから自覚のない分、酷いのは明らかに青峰だろう。とは、誰も突っ込まない。言ったところで「だから?」と悪びれもなく肩を竦められるだけだ。どちらにせよ、わざわざ火神の評価を回復させる二人ではなかった。

「てゆーか、降旗っちに自分達の夜の営みが俺達に筒抜けってバレたらどうなるんスかね?」

 すっと放られた疑問を、紫原が気怠げに打ち返す。

「そりゃ、別れるとかって話になるんじゃないのー?」

 赤司の降旗に対するものとは流石に格が落ちるものの、キセキの世代達の赤司に対する愛情も中々のもので、そうなったらそうなったで自分達が慰めてやろうという魂胆がある。が、しかし。

「…そうなったら、僕もバラすだけだよ」

 お前達を。

 赤司からさらりと零れた言葉が恐ろしい。ギギギ、と油のさしてないブリキの人形の如く五人が赤司を見遣れば。

「バレなきゃいいんだよ?」

 にこりと向けられた静かな微笑みが、嘗て試合中にミスをした時の表情と被って五人の背筋を凍らせた。赤司は愛しい。だがこの表情は恐ろしい―――心底。

「や、やだな。俺達がバラすわけないじゃないっスか、ね!」
「そ、そうだぜ、赤司。そんな血迷ったことするわけねぇだろ」
「…誓って」
「赤ちん、信じて」
「火神君にも言い聞かせますから」

 さり気なさを装った必死の弁論に、赤司は余裕を持って。

「期待してるよ」

 と言って微笑んだ。





 そんな赤司も後日、不意を突いて背中を一撫でしただけで大変可愛らしく啼いて腰を抜かした降旗の。

「光樹…」
「だ、だって、別にどうでもいい奴に触られたって変になるのに、恋人のお前に触られたらもっと変になるに決まってんじゃん! 俺、お前の手、って言うか、お前が好きだし…!」
「……」
「だから、俺、ヤダって…っ!」

 そんな泣き言に、怒るどころか相好を崩したとか。また、それを影で見守るキセキの世代の。

「…降旗君の弱点が背中だとしたら、赤司君の弱点は降旗君ってことですか」
「ここはリア充爆発しろって言った方がいいか?」
「「「「「爆発されたら困る(んですよ・のだよ・し・っスよ)」」」」」
「…お前等結構複雑なんだな」

 そんな様子に、火神はなんだかキセキの世代が可哀想になったとか。色々彼等の床事情に纏わる逸話は尽きない。





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