⑤on/off:パブロフの犬




 黒子はぼんやりと見ていた。部活後にボールを直しに来て見つけた、体育館倉庫のマットの上で戯れる火神と降旗を。

「ぎゃはッ、ばか、火神、そこ、ふはははっ!」
「参ったか! おらおらっ」
「わ、わかった! 降参! ギブギブ、ふ、あははは…ッ」

 まったくこの人達は何をしているのだろう。じゃれ合う二人は非常に楽しそうで何よりだが、場所が場所だけに傍から見れば火神が降旗を組み敷いて楽しげに躰を触っているようにしか見えない。…変態だ。冷静にそう思い観察していた黒子は、まぁ自分のことではないし関係ないか、と見て見ぬフリで去ろうとしたが、魚の小骨が喉に引っかかったような、どこか釈然としない思いがあることに悶々とした。なんだろう…、と首を傾げて、少し。あ、とその理由に思い至る。そして思い立ったが吉日とばかりに持っていた携帯でパシャリとその現場を押さえると、くるりと踵を返して体育館倉庫を後にした。
 その夜。

「―――あ、もしもし」

 自室のベッドに腰掛け、携帯の電話帳から名前を選んで通話ボタンを押した。出るかどうかは運次第で、最悪はメールにしようかと考えていた矢先に繋がった音がして、開口一番、どうした、と挨拶も抜きに相手、赤司が問うた。
 まったく、自分が電話を掛けるとすれば問題が起こった時だけだと決めつけているのではないだろうか。確かに今は聞きたいことがあったからその問い方で間違いはないのだけれど、と黒子は些か面白くない。いつか絶対くだらない話ばかりしてやろうと決めた所で、今日体育館倉庫で見た一部始終を赤司に告げた。

『へぇ。で、それがどうかしたのか』
「ちょっと気になったんです。降旗君、火神君に躰を触られてもまったく反応しなかったので」
『反応?』
「えぇ。だって君と降旗君の関係を考えれば、降旗君に何かしら変化があってもよさそうなものでしょう? 結構際どい所、触られてましたよ」
『あぁ、そういうこと。まったく反応しなかった、ね。ふふ、ちゃんと効果は現れてるみたいだな』

 その言葉に、おや、と黒子はふと思った。これはどうやら赤司が一枚噛んでいるらしい。

「どういうことです?」
『…教えてもいいけど、悪用しない?』
「悪用と言うと、降旗君を泣かせるようなことですか?」
『そう』
「心外ですね。僕は降旗君を泣かせたりしませんよ。そもそも、赤司君の意に沿わないことをするわけがないでしょう?」
『うん、信じてるよ』

 疑ったくせに、心底そう思っている声で優しく言ってくれるから質が悪い。そう言われればどうしたって裏切れない。裏切るつもりなんて元から毛の先ほどもなかったけれど。
 本当に自分のことを熟知している人だと、黒子は怒りたいやら嬉しいやら恥ずかしいやらで綯い交ぜになった心を整頓して耳を澄ます。そうだね、と赤司はそう言い置いて。

『光樹をその気にさせるには、ちゃんと手順を踏まなければいけない』
「手順?」
『そう。ただ暗がりで触れたってだけじゃ駄目だ。きちんとした順序でシチュエーションを整えてやらないと』
「あぁ…古典的条件付けを仕込んだんですね」
『さすがテツヤ、そうだよ』

 なるほど、と黒子は頷いた。それでは火神との接触で降旗が反応を示すはずがない。赤司は喜々と言葉を紡いだ。

『会える時間はそうそうないから、仕込むのに結構かかったよ。でもそれがちゃんと僕以外の相手にも機能しているのかさすがに試すことができなくてね、今日のテツヤの報告は正直有難い。僕の努力が報われた証明だからな』
「お役に立てたのならよかったです」

 と返しつつ、黒子は「しかしなんでそんなことを」と問うと。

『…光樹はちょっと、鈍くてね』

 赤司はそんなことを言う。よく分からなくて「鈍い?」と聞き返せば、思いの外真剣な声で答えられた。

『元々光樹は、気持ちや感情のスイッチの入れ方に自分で条件付けしているような節があったんだよ。そのスイッチを入れるかどうかはギリギリまで見極められていて、だから光樹は気持ちや感情の出し方について間違うことはないけど、少々発露が遅い…つまり常に”鈍い”状態にある。しかもそれは無意識だ』
「…なんだか面倒ですね」

 いつもの降旗の素振りを思い返してもそうは思えなかったが、誰よりもちかしい赤司が言うのならばそうなのだろう。黒子のそんな気持ちを察してか、しょうがないさ、と赤司は向こうで苦笑したようだった。

『光樹は、そうして自分の感情が爆発しないように制御するしかなかったからな』

 その言葉に、あぁ、と黒子は零す。降旗と赤司が出会い、付き合うまでになる関係の原点にそれが関わっていたのを思い出してのことだ。確かにそれを思えば、降旗が自身に課すシステムは枷となっていたはずで、そうすることで余計な傷を負うことを忌避していたのだろうと考えられる。
 何事も過ぎれば、か…。黒子は不意に青の彼を思い出した。彼も降旗と同じようにブレーキをかけて生きていたらまた違っただろうかと思い、思った瞬間打ち消した。そうじゃないから、彼は彼足りえた。良くも悪くも、だからこそ”彼”だった。

「…難しいですね」

 色んな思いを込めて呟かれたそれに、赤司もそうだなと同意する。

『だから僕はそうするしかなかった。面倒でも難しくても、ね』

 優しい声音に、愛だな、と黒子は思って苦笑う。見せつけてくれると笑った。まだどこか納得尽くでない彼等の関係に、それでも口を挟めないのはこういうところがあるせいだ。赤司が降旗をいつくしんでいる。嫉妬さえ起こらないほど、徹底的に。
 お姑さんの気持ちってこんなのでしょうか、と内心しみじみ思う黒子を他所に、それに、と言葉を継いだかと思うと。

『僕以外の男が光樹に手を出して光樹が善がる、なんて躰に、僕がみすみすするわけないだろ』

 赤司はそれまでの優しさを裏切るように、不敵に楽しげにそう言い放った。

「え」
『光樹はさっき言ったように少々面倒だが、その分気を許した相手には僕が困るほどに素直でブレーキが利かない。だからきっとそういった相手に触られても、僕に見せてくれるような反応を返すだろうことは想定済みだ。それも踏まえた上で仕込んであるよ。ふふ、今の光樹は僕相手じゃないと、女の子に迫られたって反応しないと思うね』

 それは、どうなんだろう…。自信満々という風な赤司に、黒子は思わず言いそうになって押し留めた。まぁ消去もできるし、と自身を納得させる。

『それで、テツヤ』
「はい」
『当然、火神と光樹の写真、撮ってるよね』
「…はい」

 何故知っている、と問うことは無意味だ。だって赤司だから、で全てが解決してしまう。黒子は素直に頷いた。

『後で必ず送るように』

 それが何に使われるかなんて考えずとも分かる。だからこそ、

「…程々にしてあげてくださいよ」

 そう言ったのに。

『何を言ってるんだ、テツヤ』

 赤司は驚いたような声で言った。

『僕はただ光樹を愛でるだけだよ』

 そうして新たな仕込みが開始されることになる。それがどんなものかは、降旗かれのみぞ知る。





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 20120623





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