③in a trance:夢現
光樹は普段僕を「赤司」と呼ぶ。訳を聞くと、征十郎って言い難い、と、なんともひどい答えが返ってきた。それから何度言っても彼は聞かない。だから彼はずっと僕を「赤司」と呼ぶ。その方が楽だと嘯いて。
けれど、あの時は違うんだ。
「…光樹」
事が終わってくたりとベッドに沈む光樹。熱に孕んだ虚ろな双眸は涙を留めておけなくて、淵からぽろぽろと熱い涙が次々落ちる。赤らんだ頬を滑り落ちていく様は、少しだけいやらしい。舐めればしょっぱくて、人から零れる何もかもが口に含むには適してないなと薄っすら考えながら。
「今日は少し無理させたね」
ごめん、と抱き寄せれば、キャパシティ以上の享楽を得て飛んでいた光樹が、猫が飼い主に擦り寄るように僕の胸に縋る。でもしっかりと意識を取り戻したわけじゃない。その証拠に。
「…せい」
僕を、そう呼ぶ。夢心地のまま、小さい子どものように。
どうやら意識が飛んで理性の外に出れば、光樹は子どものようになるらしい。言い換えれば、とても素直になる。僕にも、感情にも、欲にも。その境目は僕の呼び方で知ることができて、そうなれば多少無茶を言おうが光樹は受け入れてくれる。僕が言わなくても光樹から誘ってくることもある。本当に、素直だ。
それは光樹の本心というか、無意識下の本音なのだろう。そう考えれば合点がいって、そう思えば僕の頬は緩む。頑なに「赤司」と呼び続ける彼が、本心では「征」と呼びたいだなんて、可愛いじゃないか。
最も、飛んでいる時点で彼の躰に一定以上の負荷はかかっているから、戯れもほどほどにしなくてはいけないけれど。
「今日はもう寝ていいよ。そうしないと、明日の君に怒られる」
「…きもちいいし、いい、よ…?」
「駄目だ。君がよくても、意地っ張りな方の君は許してくれない」
なにぶん、光樹はまるっきりこの時の記憶が抜け落ちている。だから僕は普段の光樹が絶対に許さないようなハメの外し方をしてもバレないが、翌日その遊興が光樹の躰に負担となってのしかかった時、光樹に恨みがましく睨まれる。君が了承したんだよと説き伏せようとしても、光樹はそんな覚えはないと言い張る。僕の言うことは正しいし、そして光樹の言い分も正しい。光樹が覚えているはずがないからだ。それでお遊びが過ぎた最初の頃はよく泊まりに行っても締め出しを食らった。遠距離でメールに返信してもらえなかったのも僕の精神衛生上よくなくて、結局今では数回に一度と制限を設けている。
僕の言葉に光樹は面白くなさそうに唸って、けれどまぁいいやと諦めたらしい。飽きるのが早いところも、まるで子どもだ。でも、だからこそ。
「…せい」
「ん?」
「すきだ」
言葉も真っ直ぐで、その瞬間、いつも心がくすぐったくなる。嬉しくなる。僕もだよと口づけて表現したい。心ではそう思いながら。
「…できれば素面で聞かせてもらいたいな」
大人な僕は、そう誤魔化すことに余念がないけれど。
そんな二面性のある光樹を手懐けるのは大変で、でも楽しんでいることもまた事実。意地っ張りな君がいていい。素直な君がいていい。どちらも等しく、僕は好きだ。
だから呼び方なんて本当はもうどうでもいいんだと、そう思っていることを光樹は知らないんだろうな。
「光樹」
「ん、何?」
「僕のこと、〈征〉って呼んでご覧よ」
聞いた瞬間、光樹は顔を真っ赤にして叫ぶ。
「誰が呼ぶか!」
ほらね。