made in SEIRIN -デート編-

[ 星座が最下位だって、二人ならマイナスとマイナスでプラスだもん。]



 今までだって、決して誇れるような子どもじゃなかった。自分で望んだ訳じゃないけど喧嘩に明け暮れた日だってあったし、テストでとんでもない点を取ったこともある。親孝行なんてまだまだ先で、出来ることと言えば怪我も病気もなるべくせず、ちゃんと学校に行くくらい。それでもいいよと笑ってくれた両親に。

(すっげぇ謝りたい…何これもう、ってか死にたい…)

 覚悟はしていた。そういう脅…約束だったから。腹を括ってにこやかに笑む彼氏に連れられて、朝も早くにそういう店を訪ねたんだ。そういう…秋葉原的な。

(も、やだ…)

 帰りたい。逃げ出したい。場違いと言うか、心底自分が気持ち悪くてしょうがない。東京の街はなんだってこんなにショウウィンドウが多いんだ。見たくないのに、映り込みたくないのに、少し歩けば歩くだけ、自分の姿がちらちらと窓に入り込む。前髪と少し余分に左右の髪を流したままハーフアップに結われた長いハニーブラウンの髪が波打つ様も、ロングスカートがふわりふわりと足首あたりで揺れる様も、見たくないと目を伏せても見えてしまう。
 次第に情けないやら虚しいやらで、意図せず涙が溢れてきた。いつもだったら素直に流れるのだが、なにせ今は文化祭の時のように、いや寧ろあの時以上に目元までばっちり化粧をしている。涙は目元の淵と長く強調された睫毛に雫のように付着して零れない。…もうほんと、泣きたい。

「うぅ…」

 知らず、心細さから握っていた彼氏の手をきゅうと握りしめてしまう。気づいた彼氏が、赤信号で停まったのをいいことに顔を覗きこんできた。逸らしてももう遅い。伸びてきた手が優しく頬に触れ、スポーツをしているとは思えない細い指が目尻に溜まった雫を拭った。そして。

「笑ってほしいな。女の子の涙なんて見たくない。特に可愛い子のは、ね」

 素知らぬ顔でさらりと言ってくれる彼氏―――赤司に。

(俺は男だ!!)

 降旗は心の中で叫んだ。





 文化祭で自分のクラスがメイド喫茶をやるとなった時、浮かれたのは確かだ。そういうコスプレに興味というか、見てみたいという思いはあったし、女子の滅多に見られない格好にドキドキするのは年頃の男子ならば仕方ない。
 でもまさか自分までメイドのコスプレをすることになるなんて!
 誰が言い出したかはもう忘れたが、確か女子の悪乗りだった気がする。メイドの中に一人だけ男子を混ぜてゲームをしたらどうかと、そんな提案だった。それを何故可決してしまうのか。
 偶然うちのクラスはスポーツ系の女子が多く、バレー部やらバスケ部に所属する子も多かったため、身長を理由にその提案を跳ね除けることはできず、有耶無耶のままいつの間にか決まってしまっていた。
 でも別に良かったんだ。自分が被害にあわなければ当事者をからかう役回りで済むはずだったんだから。なのに何故かそういう時に限って自分は貧乏くじを引く。
 そう。最終的にくじ引きすることになって、俺はハズレを引いたんだ。王冠マークのついた割り箸を…。
 そして文化祭当日。

『…降旗君、その格好…』
『気合入ってんなぁ』

 黒子や火神には見つかるし、そこにはキセキの世代も大集合だし。それはまぁ、まだ良かった。偶然文化祭の日時が重なった赤司だけは来ないのを知っていたから安心してたのに、彼等と写真を撮ったら直ぐバレた。しかも。

『大輝達とはその格好で外に出て写真も撮れたのなら、僕ともできるよね』

 にっこりと笑ってたけど、内心はどうだか。案外嫉妬深い彼氏様は有無を言わせない笑顔でそう言うと、翌週、つまり今日、早速京都から東京にやってきて朝から如何わし気な店に連れ込んで、俺を上から下までオンナノコに仕立てあげた。
 化粧も服もネイルも、ウィッグも全部プロ仕込み。特に化粧は、文化祭の時のような女子の可愛らしくも精々こんなものというレベルのものではない。事前に赤司が俺の写真を送っていたらしく、それを元にどんな風に化粧をすれば可憐な女の子に見えるかを研究した上での実践だった。
 正直、出来映えは俺の想像以上、赤司の想定内と言ったところで、俺は絶句、赤司は非常に満足しているようだった。曰く。

「光樹の可愛らしさが前面に出てるね。これで光樹に惚れない男はいないよ。惚れたら殺すけど」

 もうなんなんだ、この男。バレたら恥ずかしいとか気持ち悪いって言われたらどうしよう…とか憂慮してた俺の純情を返せ。
 そんなことを言いたくて、でも何がなんだかもう頭の中が滅茶苦茶で、グロスを塗った唇が気持ち悪くて、何かする度にボロが出そうで、結局何も言えず、赤司の袖を掴んで店の外に出た。それからずっと、

「今日は僕がエスコートするよ、お姫様」

 と、とんでもないセリフを吐いた赤司に連れられて歩いているけれど、顔を上げる勇気はなく、俯いたままでいた。
 いくら綺麗に顔を整えてもらっても心はどうしたって男で、男の自分が女のカッコで東京の街を練り歩いている現状に心が付いて行かない。
 兎に角歩き方だけ仕込んでもらったのは女子に感謝と、厳しく音を上げかけた半月を思い返す。…まさかこんなことになるとは、微塵も思わなかったけれど。

「さて、そろそろご飯時だけど、リクエストはある? ミツキ」

 ミツキ―――光樹をコウキではなく女の子風に言い換えたそれは赤司の案で、確かに名も呼ばず会話だけするのは少し変だし気持ち悪い。だが慣れるはずもないので、どうしても反応が遅れる。しかも話す時は声が周りに聞こえないように赤司の耳元で話さなければならない。
 いずれにせよどこかおかしなカップルだよな、と思いつつも、街中で赤司とこれほど近くで歩けたことは今までになく、どんな姿形であれ、手を繋いで歩いている事実にほんの少しだけ幸せを感じてる俺って、安い男だよな―――と、降旗は小さく笑いながら思った。





「おーおー、バカップルが」

 双眼鏡を覗いて一言、そう言ったのは青峰で、野鳥の会よろしくその隣には順に、黄瀬、緑間、紫原、黒子がそれぞれに双眼鏡を持って赤司と降旗のカップルを少し離れた場所にあるマジバの二階の窓際席で見守っていた。
 そして、そんな彼等から心底離れたいと願う火神も黒子の隣にいた。逃げられないのは偏に黒子にシャツの背中部分を鷲掴みにされているからだ。細く見えてもそこはキセキの世代の一人、腕力もそこそこだ。

「てかお前等なんで綺麗に揃ってんだよ。紫原は学校どうした!」
「学校より赤ちんのが大事ー」
「当たり前だろ」
「今更何言ってんスか、火神っち」
「学校なぞ赤司に比べれば…」
「何故問われるのかが分かりません」

 ピシリと返ってきた答えに項垂れる火神を他所に、五人はやんややんやと騒ぐ。

「しっかし、ほんと傍から見たらただのバカップルっスね」
「赤ちんちょー嬉しそー」
「少なくとも降旗がいつも通りにしていたらそうは見えないのだろうが、如何せん、恥じらいが前面に出ているから余計に女子力がアップしているのだよ」
「それにあの会話の仕方、周りにはイチャイチャしてるとしか見えないですよね」
「ただ男の声隠すためだけなのになー」

 青峰の突っ込みにうんうんと頷く他四人。火神もなんだかんだで興味はあるのか、黒子から双眼鏡を借りて赤司と降旗を探す。
 二人はどうやら昼食に屋台の手軽に食べられる物を選んだらしい。確かに今の降旗では洒落た店や麺類を出す店ではボロが出るだろうし、あまり気負わず食べられるジャンクフードが適当なのだろう。
 丁度赤司が注文しに降旗から離れたのを見て、火神は降旗に焦点を当てて倍率を上げた。降旗の顔が仔細に見える。

「おぉ、前よか全然決まってんじゃん。前がメイドなら、今回は姫ってとこか。ただおどおどしてんのがどうもなぁ…」

 急に語り出した火神に若干引きつつ、青峰達は嬉々として絡みだす。そこはそこ、彼等もやはり高校生だった。

「おっとバカ神、急にどうした? 気に入ったか? 略奪する気か?」
「ばっ、なんでそうなる!?」
「略奪愛、燃えるっスねぇ」
「でも相手が悪いね。赤ちんだよ? 赤ちん」
「次はハサミじゃ済まないのだよ」
「寧ろ刃物で済んだら御の字じゃないですか?」
「刃物で御の字なのか!? 侮り難し、赤司…!」

 そんな茶番を広げかけて、いやいや、と火神は軌道修正をかける。自分が言いたかったのはそうではなくて、と。

「あぁいう女が、変な奴に引っかかりやすいんじゃねぇかなって思っただけだ!」

 誤解をとこうと強く言えば、まぁそういう可能性もあるわな、と思いの外青峰が素直に頷いた。黒子もそれに同意する。

「確かに、今の降旗君は少し危険ですね。見目の良さと大人しそうな風貌で邪なことを考える人間に目をつけられやすいでしょうし、しかも彼自身は声を出せない、服のせいであまり派手に動けないなど制約がかせられてます。本来なら火神君を伸すことだってできるでしょうが、今の彼ではどうしたって躊躇いが最初にきて、反応が遅れてしまうでしょうね」
「だろ!? だからちょっと心配しただけじゃねぇか…」

 純粋な好意での発言だっただけに、火神は少々傷ついたようだった。しかし当然、それでキセキの世代達が素直に謝るはずもなく。

「オカンか」
「お母さんっスね」
「随分年の近い母娘だねー」
「父親は誰だ?」
「水戸部先輩のお株を奪う気ですか」
「母親でもねぇしあいつは娘でもねぇ! ついでに父親はいねぇし水戸部先輩は関係ねぇだろ!」

 と息巻けば、おーツッコミだ、だの、怒った怒った、だのと喚き立てる。くっ、キセキの世代はボケばっかりか!、と突っ込み仲間の降旗を懐かしく思う火神を放って置いて、キセキ達はのほほんと話す。

「ま、確かに可愛い顔してっけど、バカ神が言ったようなことが早々起こるわけねーよ」
「それに傍には赤司っちもついてるし、だいじょーぶだいじょーぶ!」
「俺達がいなくても、赤ちんがいれば百人力だしー」
「二人ともその可能性については話し合っているだろうし、心配せずとも………」

 と、言いかけた緑間が言葉を切って唖然とする。即座に気付いた黒子が双眼鏡を火神から奪ってさっきまで見ていた辺りを凝視する―――が。

「……降旗君がいません」

 その言葉に、途端さぁっと六人の顔が青褪める。実は今日、彼等六人が綺麗にここに揃っている理由。それは赤司から前もってお願いされていたからだった。

『デート中、やむを得ず僕と光樹が離れることもあるだろう。そこでお前達には光樹の身の回りを見守っていて欲しい。デートコースは事前に言った通りだから、先回りするか同時進行で頼む。今回は色んな面で光樹の方が危ないんだ。僕を優先したら…どうなるか分かってるね…?』

 ジャキン―――幻聴だろうが、そう聞こえてしまったものは仕方ない。六人は背筋が凍る思いで了承した。キセキの五人だけでなく火神も数に加えたのは、これは黒子の推測でしかないが、五人だけでは徐々に集中力が散漫になり、まとめる者がいなくなるのを懸念してのことだろう。言ってしまえば五人はボケ、火神はツッコミ兼オカン、である。そんなことより。

「ちょ、どこいった!?」

 一斉に双眼鏡を取り、辺り一帯を探す。そう言えば赤司の姿も屋台の傍にない。気づいた彼等は立ち上がるとマジバの階段を駆け下りた。外に出る。

「青峰と黄瀬は南! 緑間と紫原は北を頼む! 俺と黒子は東西の短い通りを担当! 見つけたら即行で連絡しろ!」
「「「「「了解!」」」」」

 火神の号令にそれぞれが散開する。昼の太陽が、そんな彼等をのほほんと見下ろしていた。





 そうして六人が慌てだした頃、降旗は。

(弱ったな…)

 少々困った事態に巻き込まれていた。

「道教えてくれてありがとう。お礼にさ、お茶してかない? ほら、ここの店がさっき言ってた俺の知り合いが経営してる店なんだよね〜」
「マジ? 俺も混ぜろよ」
「混ぜろって何? 何しよーと思ったわけ?」

 下卑た声が路地裏に反響する。耳障りで、耳を手で覆ってしまいたい。そう思いながら、おかしいと思ったんだよな、と降旗はひっそりと溜息を零して少し前のことを思い返す。
 最初は、そう、ただ道を聞かれただけだったのだ。





 赤司が昼食を買いに行ってしまって、手持ち無沙汰になった降旗は腰掛けていたベンチで足をぶらぶらさせていた。少し視線を離しては赤司を探し、視線を足元に彷徨わせてはまた赤司を探す。
 それを繰り返していた時、急に影ができた。なんだろう、もう赤司が帰ってきたのだろうかと顔を上げれば、そこには見知らぬ男が一人いた。ゲ、これは赤司に散々注意されたナンパだろうか、と身構えたが、しかし。

「すみません、道を尋ねたいのですが…」

 ほとほと困ったという様子に、降旗は慌ててもしものために用意していたハンドサイズのノートに、

〈ごめんなさい、私、声が出せなくて〉

 と書いた。そう書いておけば大抵のやつは去っていくよ、と言った赤司の言葉を守ったのだが、相手に気にした風はなく、

「あぁ大丈夫です。道を教えてほしいだけなので」

 と言う。これは本当に困っているのかもしれないと、降旗は今度は〈どこに行きたいんですか〉とノートに書いた。
 男は友人の店に行きたいと前置いて、友人から聞いたと言う道順を長々と口頭で言った。それは降旗がここら一帯を網羅しているから分かる道順で、確かに初めて行くのならば迷いかねない説明の仕方だった。

「途中まででいいんです。ここまで来るのも、人に聞いてやっと辿り着いたくらいで…」

 そう頼み込まれれば降旗の人情が傾く。〈じゃあ知ってる所まで〉と分かりやすいように文章で説明しようとした降旗だが、元より国語はあまり得意ではない。結局相手は理解できず、いつの間にか目的地まで送り届けることになっていた。
 焦ったものの、そのことに安堵している風の相手を落胆させるに忍びなく、赤司の方をちらりと見てさっさと帰ってくれば大丈夫かと思ってしまった降旗は、身振り手振りで相手を導いたのだった。そして別れようとした時に、仲間と思わしき男達が二人新たに現れ、降旗を囲んでさっきの会話へと続くのである。





「や、ほんと彼女親切でさぁ、道分かんないって言ったら、ここまで連れてきてくれたんだぜ?」
「今時そんな女神みたいな女の子に会えるとは!」
「感激だなぁ。俺もいいところに連れてってもらいてぇ」

 ぎゃははと笑う彼等を他所に、降旗は俯いて考えていた。そもそも降旗が男であるからだろうが、自分を呼び出すのにこういう策を弄されたことは初めてで、うまく吊られた自分に少し腹が立っていた。声が出せなくてもいいと言ったのは、悲鳴を上げなくて都合がいいということかと、遅まきながら気づく。
 それにしても常の喋り方だと女は引っ掛けられないと、馬鹿は馬鹿なりに頭を使ったようだ。かなり間違った使い方だが、そのことにこいつらが気付くことは一生ないのだろう。そのことに憐憫さえ抱く。

「あっれ、彼女俯いちゃった」
「怖くないよぉ。俺達、優しくしてあげるからね」
「紳士って評判なんだからよぉ」

 そう、男達が油断している隙に。

「ッ――…!!」

 降旗は三人の間を掻い潜って走りだす。途端、後ろから怒号と聞きたくもないほど汚い言葉が投げかけられた。
 あれで紳士だと? 降旗は顔を歪ませる。だったら火神だって王子様だ。
 思いながら、元の道を目指して走った。赤司の元へ帰るんだと急ぐ。けれど。

「ぁ…ッ」

 慣れない靴に、足を取られた。直角を曲がりきれずに壁にぶつかる。男達はそのチャンスを逃しはしなかった。

「ったく手間ぁ取らせやがって!」
「大人しくしてろや!」
「可愛がってやるっつってるだろうが!」

 囲まれた。後ろは壁。もう油断はない。この体格差で三対一は自殺行為だ。いっそ男だとばらして隙を狙うか? 危険な賭けだ。こいつらなら激高して殴り殺されかねない。それにぶつかった拍子に肩が痺れた。この肩では殴りかかってもさほど威力はでないだろう。踏ん張るための足も、大きめの女物の靴を選んだとは言えやはり無理があったのだろう、所々に靴擦れができている。脱いだとしても意味があるとは思えない。しかもこの服では、足捌きに問題がありすぎる。
 考える。考えた。

(…駄目だ)

 勝てる要素が、ない。ギリ、と唇を噛み締める。望みは暴行されている間に自分が女でないと知って見逃されることか。…ハッ、消極的だ。まったくもって俺らしくない。そんな相手に自分の命を委ねるなんてやり方は、この降旗光樹の喧嘩戦歴には一つだって載ってない。まして。

(……赤司…)

 誰かに助けを求めた過去もない。一人で切り抜けてきた。いつだって、ずっと。…でも、駄目だ。

(…赤司)

 その名前が、心に溢れて仕方ない。来てくれるわけないのに。こんな複雑な路地を抜けて、ここまで来られるはずがない。来た頃には、もう。

(――…遅い)

 男達が舌なめずりをしている。獲物を前にした肉食獣の顔を気取って醜い顔を晒している。…まったく。

(笑ってほしいって、お前が言ったんだぞ…?)

 …赤司。

 祈るように目を瞑った。願うように名を呼ぶ。意味はない。期待もない。ただ覚悟を決めただけだ。何をされようが、絶対帰って赤司を詰ってやると。

「…うそつき」

 笑えない。笑えない。エスコートしてやるって、言ったのに。





 降旗は見ていた。三人の男がにじり寄ってくる様を。そして後は跳びかかるだけ―――という所で。

「おやおや、お姫様はこんな所にいたのか」

 やけにのんびりした声が、緊迫した雰囲気をぶち壊す。ぴたりと誰もが固まった。ただその声と足音は途切れない。降旗は、目を僅かに見開いた。

「お迎えに参上するのが遅くなり、まことに申し訳ない。下僕らも使えない者ばかりでね」

 興が削がれたと男達が敵意と殺意を剥き出しに声のした方を振り返った、その瞬間。

「ぎゃっ」
「ぐ、ぅ…!」
「ヒッ!」

 三人を一度に気絶させ、現れたのは赤司以外の何者でもなく。

「ごめん、怖い思いをさせた」

 汚れるのも構わずへたり込んだ降旗を抱き締めて耳元で囁く。登場の時とは打って変わった真摯な声に、降旗の瞳に涙が浮かんだ。

「ほんとだよ…ッ…王子の、くせに…!」
「うん、ごめん。もしもの時のために君の服に発信機をつけてて本当によかった」
「……へ…?」

 発信機、だと? …おい、初耳だぞ。

「どうせ君のことだから、何かあるだろうなって」
「……信用ないな…」
「でもその通りになっただろう?」

 肯定するのも悔しくて、降旗はぷいと赤司から顔を背けた。けれどそれを赤司は許さず、優しい手つきの割に強引に降旗の顔を自分の方へと向けた。

「さて、君は僕を責めたけど、君も僕の言いつけを破ったね」
「ッ…」

 赤司の言いつけ。それは今回のデートで、決して赤司の傍を離れないこと、もし何か離れなくてはいけない事情ができても事前に連絡すること、それ以外では目視できる所にいること、知らない人に付いて行かないことなどなど、小学生が守らされるようなものばかり。だが降旗がそれを尽く破ったのも、確かだった。

「み、道分かんないって言うから…教えてあげなきゃって…」
「言い聞かせたよね、君は今日の変装で、周りには完璧に女の子に見られてるって。僕、言ったと思うけど?」
「……うん…」
「男には気をつけろとも言った。僕がいればどんな相手だろうと蹴散らせるけど、君一人では無理だと」
「………ん…」

 段々声が小さくなっていく。精一杯逸らされる瞳と逃げを打つ躰に、赤司は深く笑みながら。

「…まぁいいよ。結局無事だったんだから」

 言えば、あからさまにほっとする降旗。それを見届けた上で、

「帰ったらお仕置きだけどね」

 そう、爆弾を投下するのも忘れない。

「―――…ッ」

 絶句する降旗にそれはもう王子さながらに優しく微笑むと、赤司は降旗を姫抱きにして歩き出す。即座に降旗が暴れだした。

「ぎゃ、馬鹿、止めろ、俺に恥かかせる気か!」
「こら、暴れない。どうせ靴擦れして歩けないだろう?」
「ぐ…ッ」
「僕がちゃんと送り届けてあげるから、安心しなさい」
「できるか!」
「はい、失言二個目。お仕置きの回数が増えました」
「は、あ!? 何それっ、てか二個目ってなんだ! 一個目は…!」
「『うそつき』」
「!」

 ぴきり、と固まった降旗に、僕が嘘を吐くはずないのにと零して、赤司はネタばらしをしてあげる。

「発信機にはね、便利なことに盗聴器の機能もつけてあるんだ」
「…便利すぎだろ…」
「僕が作ったからね」

 まったく王子様なのか魔法使いなのかはっきりしてほしい。降旗は思った。性格の悪さで言えば、確実に悪の魔法使いだが。

「…お前嫌い」
「失言三個目」
「……もう気にしないし。別にいいし」
「その割に躰が震えてるよ」

 穏やかに指摘すれば、降旗は赤司を睨めつけて。

「嘘って気付けよ、ばかッ」

 と顔を真っ赤にして言う。赤司は朗らかに、そんなこと、と笑った。

「知ってるよ。光樹が僕を好きだってことも。それと同じように僕が光樹を好きだっていうことを、光樹がちゃんと知ってることもね」

 だから、と一瞬止まって赤司は降旗に触れるだけのキスをする。

「僕は君の王子様だし、君は僕のお姫様だ。今日に限った話ではなく、ね」

 優しい顔に柔らかな微笑、そして誠実な声に降旗は少し長く目を瞑り。

「……好きにすれば」

 精一杯、それだけを言ってどうとでもなれと赤司の首に縋り付いた。

「あ、でも失言は『ばか』も入れて三個だからね」
「…好きにすればッ」

 降旗の反応に、赤司は楽しそうにくすくすと笑う。その足で一歩一歩元の世界へと戻っていく。暗がりから昼間の光の中に。
 路地裏から街中に唐突に姿を現したそのカップルがタクシーに乗ってどこかへ消えてしまうまで、暫くの間街の人々は固唾を飲んで見守ったという。





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 20120711





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