エピソードⅥ 666同盟

[ Number Of The Beast Friends ]


 あの日が春か夏か秋か冬かも覚えてはいないのに、まだ夜が明け切らない、暁の時間帯だったことは鮮明に覚えている。いつもなら目に焼き付くほどの赤が、憂えるように仄暗く陰っていた所為かもしれない。兎角、そんな中で彼は言ったのだ。
〈僕は日本に行くよ〉
 ひそりとした声、静かな双眸。聞いて、見て、そうか、と、吐息に紛れた相槌を打った。そう言われる日を知っていたのだと思う。いつかいつか、彼はそう言うだろうと。
〈あいつらは?〉
〈連れて行かない。連れて行けるはずもない。あの子達に僕の我儘で、いらぬ罪を負わせるわけにはいかないから〉
 罪。その言葉に彼の真意を知る。彼は、一族の総意に背こうとしているのだ。
(…思うことが、言いたいことが、多々あった)
 お前が拾ったのに置いていくとかあいつらが可哀想だとか、シシィも黙っちゃいないぞとか、これは本当なら既に終わったことなんだぞ、とか。
(でもそれを言って、彼が考えを変えるとも思えなかった)
 何を言っても、何を捨てても、彼は日本に行くだろう。俺は、その手伝いをずっとしてきたんじゃないか。彼が望むまま、願うままに。
(彼女が逃げて、彼が捕まえ、その彼女が死んでなお)
 ずっと探し続けていた。身代わりのようにあいつらを連れてきた後も、育てる傍ら、暇があれば探して探して探して。そうしてやっと。
《――…見付けた》
 二百年経って、手掛かりが見付かった。それだけ時間が掛かったのは、今から思えば、科学の発展が漸く欲しい情報を引き出す水準(レベル)と釣り合った、ということなのだろう。
 彼はその発見にあからさまに喜ぶことはしなかった。傍目からは至極普通に見えた。ただ、その手は震えていた。ボロボロになった紙切れを、握り締めて。
(そんな彼を、どうして止めることができるだろう)
 止める術がなかったから、これまで盲目なまでの従順さで、協力してきたと言うのに。
〈…見付かるかな〉
〈見付けるさ。何年掛かっても、何をしたって、必ず、僕が〉
 意地悪く言えば、彼らしくない、熱い口調で返される。そして、子どもが意地を張る時と同じ、引かない瞳を向けられて。
〈……そうか〉
 見返して、笑った。彼ならきっと見付けるだろう。他の誰かには無理でも、彼なら。
〈行って来い、セリオン。こっちの心配は要らない〉
 くしゃりと髪を乱す。いつもなら嫌がる素振りを見せる彼も、この日だけは甘んじて受け入れた。長らく離れることを、惜しんでくれたのかもしれない。
〈ただし、定期的に連絡は入れろよ。無事だとか、何かやってほしいことがあるとか、何でもいいから〉
〈…君は年下のくせに僕を甘やかすのが上手すぎる〉
 そんな、よく分からない咎めを真顔で言われた後に。
〈あの子達を頼むよ、ドラコ〉
 そう言った彼は、返事も待たずに背を向けた。全てを置き去りにするような、それを厭わない潔さ。そこに、彼女の影を見た気がして。
〈…死ぬなよ、セリオン〉
 願うように、零す。本気で思ったわけじゃない。彼が死ぬと、本当に考えたわけではなかった。ただ――…ただ。
(もうここに帰ってこないかもしれないとは)
 ぼんやりと、思った。


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