エピソードⅡ 蒼月の不夜城

[ Blue Moon Castlevania ]


 長く暗い大理石の廻廊に、高らかな跫音(きょうおん)が谺する。その都度、揺らめく燭台の灯りが怯えるように身を竦ませた。
 闊歩するのは、まだ、青年の域に達していないだろうと思われる風貌の少年。白磁の肌に、柘榴石(ガーネット)の瞳と長い睫毛、そしてさらりと流れる深紅(スカーレット)の短髪が、時折燭光(キャンドル)に照らされて煌く。
 少年の表情は険しかった。冬の凍てついた空気を身に纏い、敵を見据える目付きで眼前を睨んでいた。ぞっとするほど美しい顔立ちをしているだけに、余計恐ろしさが際立つ。それは偶々通りがかりその姿を見た者達が萎縮して目を伏せたほどだった。
 何故、と彼は内心で自問した。何故、こんなことになるのか。苛立ちと焦燥とが、彼の心を乱し、眉間の皺を深くする。それを押し殺すためにギリと奥歯を噛み締めた。そうする頃に、やっと館の最奥、当主の書斎を守る彼の身の丈以上の扉が視界に入った。
〈セリオンです、入ります〉
 簡潔に告げ、今は一分一秒が惜しいと、返事を待たずに押し開いた。重々しい音を立てて、扉が彼を呑み込むように開く。室内の仄白い光が煌々と彼に降り注ぎ、廊下との明暗の差に微かに目が眩んだが、それも気にしてはいられぬと辛うじて耐えた。
 室内には男が一人いた。二十代後半の、彼に勝るとも劣らない美貌の男で、桃花心木(マホガニー)製の立派な書斎机(デスク)に行儀悪く、しかしそれを感じさせない優雅さで浅く腰掛けていた。待ち構えていた風ではないが、彼の登場に驚いた様子もない。飄々として、その口端には微笑さえ浮かんでいた。
〈耳が早いな、セリオン〉
 もう聞き付けたか、と、彼と同じ赤髪を揺らして低く笑う男に、彼はキッと睨み付けて詰め寄った。
〈…太母(ミストレス)刺客(ハンター)を差し向けるとは、些か穏やかではありませんね〉
 詰る声色を隠しもせず吐き捨てた彼は、それでも、一体何事です、と一応の礼儀を繕って訊ねた。男はいつもより血の上った彼の頬を眺めながら。
〈仕方あるまい。彼女は〈誓約〉を破ったんだ〉
 その内容は、彼の表情を唖然とさせるだけの意味と効果を持っていた。
〈馬鹿な…〉
 言葉を詰まらせた彼の顔色が、俄に青褪める。対して、男は〈そうでもないさ〉とどこまでも冷めていた。
〈女ほど現実主義者(リアリスト)夢想家(ロマンチスト)、且つ感傷主義(センチメンタリズム)をうまく使い分ける生物はいない。…経験が足りないな、セリオン。折角綺麗な顔に生まれたんだ、利用せ(つかわ)ねば損だぞ〉
 そう少年のように奔放な顔で無垢に笑う男は、ほんの少し、その程度を落ち着かせて。
〈この一件の処理はお前に任せる〉
〈な…っ〉
〈別に不思議ではあるまい。俺達にとって、血の繋がりこそが全てだ。一時通わせた愛だの情だのに意味はない。…お前も、偶には城を出るといい〉
 歯に衣着せぬ言い様に、彼は唇とともに言葉を噛んだ。なるほど、と理解できてしまった所為でもあった。だが、それでも…――。
〈――…ッ!〉
 鋭く舌打ちを零して踵を返す。これ以上この場にいることを許せなかった。口を開けば理性も理論も、矜持さえかなぐり捨てた、他愛ない言葉を吐いてしまいそうな自分を認めたくなかった。そんな自分を、男に晒したくなかった。だから。
〈セリオン〉
 その呼び声に応えない。扉の向こうに消えていこうとする頑なな小さい背に、男はやはり微笑んだまま。
〈…La multi ani, Draculea-ul meu.〉
 男の言葉に被さって、室内の時計が日付の移り変わりを厳かに告げた。
 新たな日、その日は少年の、日本においては赤司征十郎と名乗る彼の、二百歳の誕生日だった。


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