縁起の悪い話

[ 頭が良くて、愛しい(バカな)人 ]



 亡者の列を眺める。毎日毎日人が死ぬ。地獄に来る。審査を経て、どこに堕ち、どこに行くかが決定される。休む間もなく地獄の官吏達が働く姿を横目に、桃太郎はすたすたと天国へ通じる門へと歩く。
 大変だなぁ、冷徹の権化みたいなあの人も、今頃閻魔様の隣で頑張っているんだろうか。
 他人ごとのように思って、ふと疑問を持った。ちらりと亡者を見て、地獄で働く鬼達を見る。あぁそう言えばと、歩みを止めず微かに首を傾げる。今から向かう先、帰るところにいる彼にも。

(死というものがあるのだろうか)





「さぁ、どうだろうねぇ」

 薬湯を掻き混ぜながら店の主は言う。のんびりとした声だ。貴方もいつか死ぬんですかと聞かれて答えた声としては、些か的外れに穏やかだ。そう簡単に気分を害す人でないということは、知っていたけれど。

「んー…よく分かんない、ってのが正直なところかな。世界と共に生まれてから今まで、一度も死んだことも、あぁこりゃ死ぬなって思いもしなかったんだから」

 まぁ今まで運良く死ななかっただけでこれから死ぬかもしれないけどね、と軽口を叩く彼が死ぬところなど、確かに微塵も想像できない。ずっと自由気ままに生きていそうな気がする。この姿のままこんな様子で、女の子と遊び、薬を作り、酒を呑んで、ずっと。
 今と変わらない何年も先を想像して苦笑する。有り得そうだ。そこに自分はいるだろう。不健康な生活を送り続ける彼を叱咤しながら、笑顔に流されて有耶無耶にしてしまう。そんな細かいところまで想像できてしまうのに。

「別に、消える方法がない訳じゃあ、ないけどね」

 聞こえた言葉に思わず彼を凝視する。気づかないのかその振りをしているのか、こちらに視線を寄越さないまま変わらず笑んだままで、彼は。

「神が消えるのは、人よりちょっと大変な時もあるけど、存外簡単なものだよ」

 まるで、頭痛薬を作ろうか、と言うように、なんでもない口調で滔々と彼は語る。どうやって?―――反射のように浮かんだ問いは、喉に詰まって言葉にならない。言葉にしてはいけない気すらしていた。だから、飲み込んだのに。彼はこちらのそんな気苦労に気づかない。まるで子どもにお伽話を聞かせるよう。続けられた声に、躊躇いはなかった。

「神様はね、別にただそこにいる訳じゃない。無意味に存在している訳じゃない。人にとって必要だから創られて、人からの祈りやお参り、尊敬や崇める気持ちがあるからこそ存在していられる。逆に言えば、祈りやお参りなんかがなくなった神は、存在していられないんだよ。桃タロー君も見たことあるんじゃない? 荒れた御堂とか御社とか。あれは人が神様を信仰するのを止めてしまって、神様が消えてしまった場所。桃タロー君が生まれる前に消えていった神もたくさんいるよ。地方独特の土地神なんかは狭く信仰されている分、その傾向が顕著だ」

 脆いもんだよ、神様って。そう言った彼は少しだけ長く目を瞑った。ただそれだけで存在できて、ただそれだけで消えてしまう。諸行無常とは、よく言ったもんさ。

「神は存在を忘れられるだけで消える…。その意味ではそれは人の死と同義だよ。全く同じ、とは、言わないけどね」

 人に望まれて創られた。人の都合で消えてしまう。神。その一員である、彼は。

「だから僕が消えるには、…そうだね、僕なんかは有名所だから、現世にある僕のことが描かれた書物や電子情報から僕に関する記載を消して、百年、二百年くらいか、それくらい経てば誰も知らなくなる、かな? そうしたら、僕の死の完成だね」

 さぁ薬湯ができたよと、そう言うような気軽さで言ってくれる。とは言っても彼の声に真剣さはない。そんなことを考えている風でもない。だから大丈夫、落ち着け―――と、ざわつく心にいくら言い聞かせても。

(……ねぇ)

 何を、不安に思うんだろう。分からない。分かる訳ない、自分が、この人の考えていることなんて。いつもいつも、今も。だから。

(そんなこと、しませんよね…?)

 そんな言葉が、思わず口をついて出てしまいそうで怖かった。息の震えで彼に何を考えているか見透かされるのが怖かった。さっきまで鮮明だった今の繰り返しのような未来が、水に溶けるように崩れていく。あぁ気づかないで、知らないで。―――そう、思うのに。

「だから、ねぇ」

 彼は言う。いつもの調子で、穏やかに、静かに、楽しげに。

「いつか僕が死にたくなった時、桃タロー君は僕を忘れてくれるかな」

 そんなことを、どこまでも優しい、笑顔で。





 夜半を過ぎた頃、店の扉を叩いたのは仕事終わりの鬼だった。なんだお前かという彼の心の声を表情から察しつつ、鬼は気にせず上がりこむ。
 何なんだと既に三角巾を取り払っていた黒髪を掻き乱す彼の傍らで、鬼は勝手知ったるなんとやら、椅子に座って頬杖をつく。なんだか迎えるように椅子に座ってやるのも癪だと、彼は作業台にもたれかかった。それを見てから鬼が言う。愛想もなく素っ気もなく、ただ無表情に。

「すみませんね、桃太郎さんじゃなくて」
「………シロちゃんのところに行ったんだな」
「今日は帰って来ませんよ。私が見た時には既に泥酔してましたからね」

 そっか―――繋がっているようでそうじゃない会話も、彼には安心材料となったよう。それまでの機嫌の悪さを払拭し、安堵したようにふにゃりと笑った。よかったと零した。一言出かけるとだけ言って帰ってこない助手を、こんな時間まで心配して張っていた気が一気に抜けたようだった。鬼の視線が、傍目からでは分からない程度に、それでも確かに和らいだ。

「心優しい部下を泣かせるんじゃありませんよ」
「…お前にだけは言われたくないけど…、そうだね…」

 珍しく鬼の言うことに素直に頷いた彼は、少し俯いて自嘲気味に笑った。

「ちょっと、桃タロー君の優しさに甘えちゃったなぁ…」

 桃太郎の人の良さ。それはひどく心地いいものだった。どんなに呆れられるようなことをしても、怒られるようなことをしたって、桃太郎が彼に愛想を尽かしたことはない。いつだってしょうがないなと笑って許してくれる。だから時たま、彼は桃太郎を試すようなことをしてしまうのだ。

「それでも、自分の死を取り上げて人を試すのは感心しません」
「…わかってるよ」

 言いながら、でも、と思う。何も嘘ばかりではないのだと。彼は長い長い時間の中で色んな神々を見てきた。沢山の人に望まれて生まれたはずの神が、最期はたった一人で静かに消えるところを見た。小さな村で祀られていた神は、最後の村人を看取って消えてった。神は自分の作り手である人を忘れられないのに、人は簡単に自分が望んだ神を忘れてしまう。神を置いて行ってしまう。そんな場面を見る度に思うのだ。

(自分はどうやって消えるだろう。自分はどんな風に死ぬだろう)

 歴史が進んで人が神に頼らなくなった時、その時が来たら。

「…鬼灯」

 僕は――…。

「馬鹿なこと考えてないで、いい加減寝なさい」

 鬼は鋭くそう言ったかと思うと、素早く立ち上がって彼の手を引いた。抗議する間もなく寝室に連れて行かれ、布団の中に押し入れられる。手加減なしの力技に、掴まれた手首がひりひりした。

「お前優しくないな!」
「私まで優しくしたら、貴方、より一層駄目になるでしょうが。貴方を甘やかす役割は桃太郎さんだけで充分ですよ」

 飴と鞭です、といけしゃあしゃあと言い放った鬼は、それでも優しく彼の首元まで布団をかけて。

「さぁ寝なさい」

 寝るまで傍にいますから。

 思いがけないことの連続に飽和していた彼の頭が、その言葉の意味を了解したのは言われてから数十秒後。理解した途端、「はぁ?」と目元を赤くした彼は、

「子どもじゃないんだけど…」

 と小さく文句を言って、けれど結局鬼を追い出すような真似はしなかった。眠かったのかもしれない。いつもより遅くまで起きていた彼は、布団に入って僅か数分でうとうとし始めた。
 鬼は邪魔にならない程度にその寝顔になりつつある締りのない顔を見ていた。その眼差しを彼も無意識に感じているのだろう。彼の唇が時たま小さく動いて何か呟いていた。暴言だろうか。耳を澄ませる。彼から零れる音を聞く。そうしてようやく。

 ごめん…、ごめん………ありがとう……。

 その言葉を聞きとった。鬼は一言、馬鹿ですね、と呟いた。既に夢の国に旅立っていた彼は、その優しい声を聞かなかった。





 寝入ってしまった彼の髪をさらりと撫でて店を出る。夜風が耳元を掠めて遠ざかった。寂しげなそれに、不安を込めて自分の名を紡いだ彼を思い出す。

(自分にあの不安は分からない。既に死を乗り越えた自分達には、決して)

 けれど、と思う。何故分からないのだろう。千年以上の付き合いがある自分だけでなく、付き合いの浅い桃太郎でさえ分かっていることを、何故あの神獣は分からない。

『鬼灯さん…、俺、ショックですよぉ…』

 ぐすぐすと、それでなくても酒で真っ赤になった鼻を更に赤くして、桃太郎は泣いた。

『お、俺が、白澤様のこと、…忘れ、たり、一人にするはず、なんて、っ、ないのに…!』

 消えてほしくないから泣いたのではない。彼のことを忘れ、置いていく存在になり得ると思われていることが、桃太郎にとっては泣くほど哀しいことなのに。そのことに今も気づかないままでいる彼は、またふとした拍子に桃太郎を傷つけるだろう。悪意なく無邪気に、甘えに身を寄せて零した言葉で、どこまでも人のいい助手を。

「ほんと、あの人はどこまで馬鹿なんでしょうね」

 頭が痛くなる。聡明で? 森羅万象に通じる? 誰が作ったと詰りたいほど、伝承に反してあの神獣は馬鹿だ。愚かしいほど自分の存在に無頓着で、哀しいほど周りを誤解したままでいる。

『…鬼灯』

 縋るような声。不安に彩られた瞳。それを向ける相手が自分をどう思っているかなんて、微塵も分かっていやしない。考えたこともないのだろう。まったく。何度言っても足りないくらい、馬鹿だ。

「忘れませんよ。…忘れられる訳ないじゃないですか」

 貴方みたいな性悪の神獣なんて。

「もうそこにあるのが当然の、悪夢みたいなものでしょうが」

 そう言って憎まれ口を叩いた鬼は小さく笑った。来年どころかこれからずっと先の話をしている自分に、笑った。





 悪夢は自分が見てあげる。
 だから貴方はいい夢を。

(どうかどうか、優しい夢を見るといい。)





戻る



 20120601
〈忘れたくないとは、まだ、言えないけれど。〉





PAGE TOP

inserted by FC2 system