哀しい景色
[ ふわり、ふわ。]思うことがあるんだってばよ。
カカシ先生の髪、銀色を見ていたら。
思うことがあるんだってば。
特にこういう日、太陽の気持いい日なんかは、特に。
その子は、ひどく大人びた横顔を晒して、ひどく静かな色を湛えて遠くにいる彼を見つめた。
何時か何時か、タンポポの綿毛みたいに。
ふわってどっかに行っちゃいそうだって…。
それは静かな声、月に似た。
けれどその子は真実太陽の子で、だからきっとそんなのは幻想でしかありえないのに。
月に似た声、空の瞳が、ふわりと聴覚と視覚を刺激して、僕の心に爪痕を残す。
何時か何時か、タンポポの綿毛みたいに…――。
(その言葉が、ずっと心に残って消えないでいる)
すとんとそれは不思議なほど心に落ちてきて、すんなり定着してしまった。
うまいことを云う。
そんなんだけど、そう云うことでは、なくて。
あぁそうだねと。
いつかふわりと、何の未練もなく振り向きもしないで、後に何が残されるのかすら鑑みずに。
どこか遠くへ行ってしまいそうだと。
確かに、思った。
お日様と、お月様と
「…――そう。そんな事云ってたの」
上忍待機所の片隅で向い合ってソファに身を投げる彼と僕。
笑い事じゃありませんよと、肩を揺すらせ窓を見る銀髪の彼の横顔を睨む。
春の陽差しに似た笑みが、いつもなら同じように笑むことができるのに、今はなんだか途轍もなく僕を不安にさせた。
ふわふわとした微笑と言葉と雰囲気が、僕の心をざわめかせて。
見透かしたように、彼はふふと声に出して笑った。
「てんぞーも、心配?」
「あ、たり前、でしょう」
突っかかった言葉を何とか言えば、また彼は笑って楽しげ。
それを見やりながら、当たり前でしょうと心の中で繰り返す。
ねぇあんたは。
(あんたは何処に行こうとしているの)
あの子どもの言葉を聞いたからじゃない。
そんな心配は、本当はずっとずっと前からあった。
季節の変わり目、いつも捕まらない彼。
ふらりとどこかへ行き、ふらりとどこかから帰ってくる。
へらっと笑って帰ってきたよと云う彼に、僕は何度拳を振り上げただろう。
その手を何度、彼に触れることもなく、力なく下ろしただろう。
言葉なく、縋っただろう。
そんなことをしたい訳じゃなかったし、ただ心配したんですよと詰ってやりたかったのに。
ごめんねと云う風に、彼がいつだって静かに静かに笑うから。
何も言わずに、微笑むから。
いつかその日が来たとして、自分じゃ彼を引き止められないことなんて。
だからとうの昔に、分かっていた。
「あぁ、それにしても」
ソファの上で器用に体育座り。
その膝に彼は腕を置きその上に右の頬を乗せて薄く笑う。
「あの子がそれを、云うとはね」
笑う笑う笑う。
それは唇の端にだけ存在する小さな奇跡。
温かいそれは、けどだからこそ哀しくて。
「さすが、貴方の子どもだね――…」
眠るその瞬間の、無意識の囁きのようなその言葉に。
彼の夢の一端に触れるかのようなその言葉に。
嘗て彼が同じ事を云われた事を。
それが誰であったのかを知る。
届かない人、もう誰も。
彼の心に鮮烈に遺されたその面影を奪う事すら出来ないまま。
僕は呆然と彼を見る。
僕は呆然と声を聞く。
僕は呆然と目を伏せ。
カカシ先輩、と、小さく呼んだ。
瞼を閉ざし陽光の中を揺蕩う彼に、その声が聞こえた風はなく。
宙に浮いた言葉は、銀髪を優しく揺らす風に乗せられ、遥か彼方へ消えてった。
『何時か何時か、たんぽぽの綿毛みたいに、ふわってどっかに行っちゃいそうだってばよ』
再びあの子の声が頭の中で繰り返される。
『何時か何時か』
蓄音機から零されるような不確かさで。
『たんぽぽの綿毛みたいに…』
遠い昔の、出来事のように。
20110118