[ (いつかいつか、永遠になると良いね) ]



 風の通り道に佇んで、先程見てきたあの子の寝顔を思い出す。
 すやすやとこちらの存在に気づきもせず、安らかに夢を揺蕩っていた小さな子。
 それで良いと笑んでそっと抜け出し、途端視界に入った月にまた笑んだ。
 見上げて、目を細めて、右手を掲げて、小指を立てる。
 小さく曲げて、三度目の笑み。

「いってきます」

 その言葉を最後に夜道に人影がなくなる。
 月はまんまる。
 知らないふりで、優しく里を見守っている。





  あの日あの時あの場所で





 四代目火影になったよと、まだまだ小さかったあの子に云った時。
 驚いた風はなかった。
 元々候補者である事は云っていたから、そうなるかもしれないという気持ちがあったのだろう。
 そうですか。
 可愛気なく素っ気なく、そう云われたのは多分そういう理由。
 おめでとうございます。
 にこりともせずそう云ったのは、いつもの事。
 ………。
 でもそれって少しだけ冷たくない?、と不満に思ったのも事実。
 大人気ないと云われたって、せめて何かあっても良いと思った。
 褒めて欲しいとか、喜んでくれるとか、そういう事ではないけれど。
 ………。
 しかし自分にだって明確に分からない事を要求するのは筋違いかとあっさり思い直し、じゃあそういう訳だから、とその話を打ち切ろうとしたその時。
 小さなその子がじっと自分を見ている事に気がついた。
 なぁにと聞くと、一度だけ、一つだけ見える目を瞬かせて云ったのだ。
 …火影に、なるんですね。
 ぽつりとしたその云いように、そうしてようやく気がついたのだ。
 あぁ無関心だった訳じゃない。
 何も思ってなかった訳じゃない。
 自分の心の中に、その言葉を沈着させようとしていたのだと。
 言葉の上辺だけの諒解でなく、真実その意味を吟味していたのだと。
 さっきと違い、遠い人を見るような、眩しげに細められた隻眼が、その考えを肯定する。

(馬鹿だな。馬鹿だよ―――ばか)

 途端愛おしさが込み上げて、ぎゅうっと子どもを抱きしめた。
 痛いですよ離してください聞いてますか、先生!
 叫びが鼓膜を震わせて、そしてその最後の呼びかけにどうしようもなく笑みが零れてしょうがない。
 先生。
 四代目ではなく、先生と。

(そう。俺は君の先生だ)

 それは肩書きが代わっても変わらない。
 俺は君の先生だし、君は僕の生徒だ。
 変わらないよ、変わらない。
 だから君も変わらないで。
 君が変わってしまわないで。
 俺から離れようとしないで。
 そんな事、云う訳もなく。
 カカシ。
 …はい。
 何かを云う事も抵抗も、全てを諦めたようなぐったりした声が腕の中から聞こえた事に、小さく小さく微笑んで。
 一緒に木ノ葉を守っていこうね。
 その言葉に声は返らず。
 ただ、戸惑ったようにそろそろと腕が動き、それでもしっかりと俺の忍服を握った感触だけあって。
 笑った。
 それで十分だと、思った。





 三代目は殆ど事務処理に時間を費やされたけど、俺はちょくちょく前線に出て良いみたいだから。
 …へぇ。
 安心した?
 ……別に。
 並んで座り、今後について話せば、子どもは所々気のない合いの手を入れながらも、張り詰めた顔を徐々に綻ばせていく。
 そのくせそんな事を云うから、素直じゃないなぁと頬を突付けば、やめてくださいと払われた。
 邪険なその行為にあららと思いながら、けれどむすっと唇を尖らせたその子の子どもらしい表情に頬が緩む。
 …先生。
 ん?
 その顔やめてください、みっともない。
 ……。
 そんな泣きそうな顔しても駄目。
 手厳しいなぁと作った顔を消して苦く笑えば、ふん、と子どもはそっぽを向き。
 少しの後、小さく云った。
 ……先生。
 んー?
 先生は、木ノ葉を命懸けで守るって、誓えますか?
 うん。
 絶対?
 絶対。
 ………。
 信じられない?
 そう聞く俺に、いいえと子どもは頭を振った。
 そして小さく笑ったのだ。
 なら、安心して俺は先生を守れます。
 命懸けで先生を守ると、誓えます。
 驚き言葉をなくす俺に、そういう事でしょうと子どもは知ったように云う。
 里を守り支える火影を守る事は、木ノ葉を守る事でしょうと。
 あぁそうだね、多分ね。
 でもお前が云いたいのはそういう事じゃないでしょう?
 そう云いたくて、でも云わない。
 云わないのでなく、云えないのだけど。
 兎角言葉を忘れてしまったかのように呆然とする俺に構わず、ん、とだけ云ってその子は突然小指を差し出した。
 ちょこちょこ動くそれに自然首を傾げれば、焦れたように口布の中で唇を真一文字にぎゅっと引き結んで、そうかと思えば無理矢理俺の右手を掴んで小指を立て、自分の小指とを絡めてきた。
 その仕草を知らない筈はなく、でもその拙く幼い行為は自分にとって遥か彼方の事だったから、驚いて口をぽかりと開けて間抜け顔。
 あぁそれでもね。
 それでも。
 知らず唇は笑みの形に固定され、小指を握られた以上に強く強く絡みつけた。
 一瞬痛いのか不快だったのか子どもは眉を顰めたけれど、何も云わず何もなかった風にその痛みと不快を一瞬のうちに飼い慣らす。
 そのいじらしさすら愛おしい。
 思ったけれど言葉にしない。
 そうすれば多分、何かが壊れて死んでしまう。
 だからだから何も云わない、二人とも。
 その行為の馬鹿馬鹿しさと無意味さと、その底辺に微かな希望と願いを押し込めて、小指と小指を絡めあう。
 それは、満月の綺麗な夜の出来事。





「カカシー」
「はい」
「この任務、よろしく」
「はい」
「いってらっしゃい」
「…いってきます」

 渋々といった体でそう返し、あの頃より幾分大きくなった子どもは姿を消した。
 見送って、ふふ、と笑い、持っていた書類を机に放り出し、椅子の背に身体を投げ出して目を瞑る。
 指切りをしたのはあの一度だけ。
 それ以降は全く、一度だってやる事はなかった。
 それで良いのだと思う。
 例えどんな約束だって、あの一度きりの指切りに還元される。
 何も云わなくとも、何を伝え合わなくとも。
 あぁ、それでも。

(君は云ったね、火影を守る事が木ノ葉の里を守る事だと)

 でも結局はそんなもの詭弁だよ。
 だって火影は里の顔だけど、だからこそ負ける事は許されないけど。
 歴代の火影が、死ななかった訳じゃない。
 俺が四代目であるという事は、そういう事。
 代わりはいるの、俺が死んでも。
 そして里が俺と一緒に死ぬ訳でもない。
 云い換えれば、火影は死んでも里を生かさなければならないのだ。
 だから君が守るべきは、やっぱりどうしたって俺じゃなく、里であるべきなんだよ。

(聡明な君なら疾うに知っているでしょうに、そんな事)

 それでも君は俺を守ると云ってくれた。
 その言葉を守るように、俺の傍を離れない。

(その事に、どれだけ俺が救われてきた事だろう)

 知らないでしょう、カカシ。
 君がどういう気持ちであぁ云ったのかは分からないけれど、あの言葉に生かされてる俺がいる事。
 知らないでしょう。

「…ありがとう」

 あの指切りで、死ぬ気で生きると誓った事を。





 戦場へ赴く前。
 任務に行く前。
 何時だって頭の中であの日の光景を思い出す。
 あの時の君と、あの場所の空の様子さえ鮮明に思い出して。
 心の中で、君と何度も指を絡めて誓い合う。

(分かっている、気休めだと)

 意味はない。
 意義はない。

(でも俺は)

 甘受する。
 享受する。
 契約に似たその行為を。
 楔に似た、その行為を。

(何度だって、何度でも)

 本当にその誓いが、破られるまで。





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 20110131





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