東雲

[ 涙が溢れるほど、ほら、綺麗。 ]



 一人、二人、三人と、そこまでは数えていたのだけれど。
 段々数えるのが億劫になって、何時からか数字は頭から綺麗に消えていた。
 それでももう、いないから。
 殺せと言われた人間を、全員殺し終えたから。
 ふぅと顔を覆う仮面を取り払い、口元を覆っていた布を引き下げる。
 あぁすっきりしたと一息吐けば、その足元にごろんごろんと人だったものが転がっているのが見えてしまって。
 でもそういったものに溜息を零す痛みや感傷に浸る心をなくして久しくて。
 眼に見える事実とだけ受け取って、後ろの木に背中を預けた、その時に。
 頭上から自分を呼ぶ声。
 今回の任務はツーマンセルだったから、それは当然自分以外のもう片方の仲間の声で。
 自分が先生と呼び親しんだ人の声。
 見上げれば彼は自分を見ておらず、何か遠くを見ているらしい。
 なんだろうと思っていれば、中々返事を返さず登ってきやしない自分に焦れたのだろう。
 おいで、と一声かけられて、それを無視するには自分は彼の傍に居すぎてて。
 だから大人しく木の上へ登る。
 彼の隣に立つ。
 そうすれば彼が見ている世界を知った。
 朝焼けが、空を彩っていた。





  宝物みたいな、その空は。





 真っ直ぐ、見上げるでもなく遠くの空を見る先生は、一つだけ感嘆に似た溜息を吐いて。
 あぁ世界はこんなにも綺麗だよと。
 血塗れのままクナイを握り締めたまま、朝焼けの空を眩しげに眺めてそのまま朝独特の空気に溶け消えそうな、そんな風に笑うから。
 …そう、ですね。
 うん。
 綺麗だ。
 でしょ。
 貴方がね、とは、心の中に堕として云わないまま、知らないまま綺麗に綺麗に笑む先生を見て、そのままその時を写し撮るように双つの瞼を閉ざして俺は笑う。
 あぁ世界は綺麗だ。
 人の血を被り、その温もりを奪っても、優しく照らして其処にある。
 残酷なほど綺麗で、自分の存在さえ肯定されているような、そんな幻想を抱く程には美しい。
 目に痛い。
 心に痛い。
 特に、自分のような人種には。
 あぁ、それでもと。
 再び目を開け世界を見る。
 じわりと滲むような感覚を目にか胸にか心にか覚え、それを無視して口を開く。
 それでも何時か消えて行く気がしますよと俺は云った。
 何の話?、と先生はぱちくりと睫毛を瞬かせて小首を傾げる。
 何でもないです、気にしないで。
 云えば、気になる気になると連呼され、相手にしなければ終いにはぷくりと頬を膨らまされた。
 餓鬼じゃないんだからと戒めれば、可愛くないと返されて、それで結構重畳ですと云ってやった。
 頬は膨れたままの形で止まった。
 少しだけそんな何でもない時間が過ぎて。
 空が流れて。
 一つだけ、息を零して。
 その頬の曲線を見ながら、また俺は繰り返す。
 何時か消えて行く気がしますよと。
 先生の頬がへたりと萎む。
 そのまま笑うのかと思いきや、笑わないまま抱き締めてきた。
 きゅう、と、強いような弱いような、頼りない力で、でも何処か強引に。
 抗議のような慰めのような、分かり辛いそれに苦笑が溢れそうになる。
 涙が(こぼ)れそうになる。
 気付いてるなら、知らない振りなんて止めてくださいと云いたかった。
 でもそれはなんだか哀しすぎるから。
 せんせ。
 呼ぶ。
 先生の背に腕を回して縋るよう。
 きゅうと抱き締められたようにきゅうと羽織を掴み先生の胸にぎゅうと顔を押し付けて。
 ―――――――……。
 そうして伝えたかった言葉は喉に引っ掛かって死んでった。





(死なないでと、云えたなら)
(傍にいてくださいと、云えたなら)
(傍に置いてくださいと、云えたなら)
(俺と一緒に生きてくださいと、云えたなら)

 有り得ない「もしも」が増えていく。
 その滑稽さに涙が浮かびそうな程笑ってやりたくて、でも実際は笑顔と言うにお粗末な、ただの泣き顔晒して泣いただけ。
 ひくひくと動く喉と口元、伝う涙の塩辛さ。
 あぁ自分も人間やってるんだなと冷静に思う心を置き去りにして、ただの子どものようにわぁわぁ泣いた。
 ずっと前に、誰か大切な人を亡くした時に、無くしたと思っていた感情と行動と。
 一人で、一人だけの部屋で、泣いて泣いて泣いて泣いた。
 その後味の悪さといったらない。
 これなら誰かに見られて笑われた方が誂われた方がマシだっただろうに。
 なんてきっと、嘘だけど。

(でも心から思うんだ)
(どうか死なないでくださいと)

 自分はどうなっても良いでも貴方は駄目だ。
 生きなきゃ駄目だ死んじゃ駄目だ。
 どうしたって、駄目なんだよと。
 云い聞かせたくて伝えたくて、でも出来なくて切なくて。
 喉に詰まった言葉がまた食道を伝ってそっと腹に戻って行く。
 消化不良を起こしそうだとぼんやりと思って、一つだけ、瞬き。
 見計らったように世界が動く。
 太陽が、地平から顔を覗かせ俺達を照らす。





 綺麗だねと先生が云った。
 そうですねと俺は云った。
 でもきっと世界はもう言う程には綺麗ではなくて。
 溜息が出る程美しかったそれは、まるで薄い氷の張った湖に間違って映し出された桃源郷の空。
 感嘆の溜息のその小さな振動で、薄氷(うすらい)にヒビ。
 行き渡って、堕ちて。
 そうと、分かっているのに。
 綺麗だねと先生が云う。
 そうですねと俺は云う。
 ちぐはぐな心を隠すように抱き込んで、先生と俺は薄氷の空の下、ずっとずっと抱き合っていた。





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 20110114





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