後日譚:黎明 拾弐
[ 杏の花:??? ]カカシさーん、と台所から声がする。
居間で寝転び忍術書を読んでいたカカシが呼ばれて一瞬思ったのは、「あら珍しい」だった。
イルカは基本的に自分が調理をする時、他人を台所へは入れさせない。
それはカカシが破滅的に料理が駄目だからなのか、万人共通なのかは知らない。
兎に角イルカが調理中にカカシを呼ぶなんて、前代未聞。
それでも愛しのイルカに呼ばれてカカシが飛んでいかない訳がないのだ。
「イルカせーんせっ」
ハートマークが確実に付いている呼び掛けと共に、カカシは瞬身でイルカのもとに現れた。
まさか家の中で瞬身されるとは思っていなかったのか、それともそれほど急がなくともと思ったのか、イルカは大きな目を更に大きくしたが、取り敢えずカカシが此処に来たという事実だけを拾い上げて、カカシの口元に「はい」と匙を突きつけた。
「何です? これ」
首を傾げれば、味見です、とイルカは端的に答える。
いやそう云うことではなくこの匙に乗っかっている物体の名称をですね…、と云おうと思って、止めた。
イルカがカカシに変なモノを食べさせる筈はない。
と、思うから。
まぁ良いや、とカカシはぱくりと突き出された匙を口に含む。
つるんと匙から物体を綺麗に舐めとれば、ふわりとした甘さが喉を通って鼻を通る。
「わー、良い香りですね~」
「でしょう。味はどうです?」
「ん。俺好みです」
「それは良かった」
そうにこりと笑うイルカに頬を染めれば、じゃあ向こうに行ってくださいねとポイっと襟首掴まれて台所から放り出される。
「やーん、イルカせんせの乱暴者っ」
それでも怒らせたらマズイと、云うだけ云ってカカシは居間へと逆戻り。
うつらうつらと銀髪が揺れる。
あぁ眠いなぁと午後のお日様の優しさに揺蕩うカカシは、とうとう忍術書を放り出してうつ伏せの状態から仰向けになると、そのまま大の字になった。
穏やかな休日の午後ってなんて良いんだろう。
ふわふわと意識がどこか天井辺りを彷徨っている感じ。
幸せだなぁと思う。
穏やかで、平和で、お日様が気持ちよくて、好きな人が傍にいる。
幸せだなぁ。
カカシはほわぁと笑ってその幸福を享受していた。
ら。
「カカシさん」
「ぅん~~」
「起きてください」
「やぁでーす…」
「…ほわほわしてますね、今」
「はい~…とっても…気持ちいぃ…です…」
「その笑顔見てたら分かりますよ」
でもね、とイルカの声が微かに邪気を帯びる。
あ、この声のイルカせんせはやばいなぁ、とぼんやりと思った、その瞬間。
「ぎゃっ冷たーッ!」
首筋に冷たい何かを宛てがわれて飛び起きる。
「おや、ようやく起きましたか。おそようございます」
「そんな爽やかな声と笑顔でなんつー残酷な所業をなされるんですイルカせんせはっ!」
「いやぁ、ついさっきまで水洗いしてたものですから、その所為ですかね。俺はただ肩を揺すろうとしただけなんですが、うっかり首筋に当ててしまいましたか? すみません」
「うぅ…もういいですよぅ…」
どうせこれ以上続けてもカカシに軍配が上がることはない、決して。
潔いことを良しとするカカシは涙を拭ったところで「で、何です?」とイルカに訊いた。
「これ、どうぞ」
「…なぁに、これ」
はい、と手渡されたのは、オレンジ色の果肉が入ったお菓子。
良くイルカはカカシにお菓子を作ってくれるが、今までに見たことがないそれにカカシが訊けば。
「さっき味見して頂いたでしょう? あれ、杏だったんですけど、それのカップケーキです」
「へー」
「折角なので焼きたてを、と」
「なるほどー」
だから俺は無理矢理起こされたんですね、とは云わず、はむっと一口啄むと。
「うんっ、美味しい」
「本当ですか?」
「はい! イルカせんせは里一番のお料理上手ですねっ」
「そう言って頂けると嬉しいです」
そう云ってカカシが齧った方とは真逆の部分をイルカは齧って。
「ん、なかなか」
と、唇をぺろりと舐めた上でにっこり笑うものだから。
「~~~」
カカシは真っ赤になってしまう。
(な、なんであんなことさらっと出来ちゃうのイルカせんせってば!)
(一つのものを二人でって…)
(普通恥ずかしいよ照れるよ!ってかこっちが恥ずかしいし照れてるよ…っ)
(わーわーもうかっこよすぎでしょうねぇちょっと!)
(きゃあ~~~)
なんて。
心の中では黄色い悲鳴の嵐。
それは訊けないまでも、その顔色でカカシの異変には気づく訳で。
「カカシさん?」
「は、はいっ」
「美味しかったですか?」
「とっても!」
「また作っても怒りません?」
「怒らないですっ、また是非作ってください!!」
と勢い込んで答えれば。
「よかった」
イルカがほっとしたように笑う。
あれあれテンパッてるのが怒ってるように見えたかな?、とカカシが不安になった時。
「あれ、好きなんですよ」
「あ、そーなんですか」
よかった勘違いされてなかったよ、とふわんと微笑めば、イルカは尚も言い足して。
「杏の花の花言葉がね、「乙女のはにかみ」って云うんですけど」
「はい」
「カカシさんみたいでしょ」
「…はい?」
「だから、好きなんですよね」
「……ッ!!!」
も、う。
ほんとに、この人は…っ。
「イルカせんせっ」
「は、はい?」
大好き。
20110223