後日譚:黎明 弐

[ 桜草(サクラソウ):青春の悲しみ ]



 あ―――ッ!!、と叫んだ少女を、男三人がギョッとして見詰めたのはつい先程のこと。
 今はもうそのうちの子どもふたりはとっとと姿をくらませていて、後に残るは三十路に行き届きそうな男だけ。
 その隣には、先程叫び声を上げ、今なお頬を膨らませ怒ったままの、桜色の綺麗な髪をした女の子が一人。
 カカシとサクラは、今日の任務地だった森の入口付近の樹の根元に腰を下ろしていた。

「ほんと信じらんないっ」
「ごめんってばー」
「足元にあったの気付かなかったって、それでも上忍!?、って感じ!」
「ね、寝ぼけてたんだよ! うん!」
「今日の遅刻の理由を復唱してみて」
「……『昨日久々にAランクの任務で寝不足だったから寝坊したの。でもぐっすり眠れたから今日の任務はばっちりだから。あはははは~』」
「それが遅刻の理由になると思ってる時点でダメダメよっ」

 と怒鳴り、且つ。

「しかも棒読みで完璧に暗唱されるとほんと腹立たしいわ」

 とバッサリ上司を切り捨てたサクラも、手許の存在に対する手付きは優しい。
 サクラの手の中には、少し強めの桃色の花が綻んでいた。
 綺麗なそれは、けれどサクラが触れる茎から根の部分だけ、踏まれたように潰れている。
 いや、踏まれたように、ではなく、踏まれたのだ。
 さっきからサクラが怒りの矛先を向け続ける、カカシによって。

「私云ったのに。『カカシ先生、今日はイノブタとどちらがより綺麗に咲かせられるか競ってた花を見せ合う日だからここにその花置いときますね』って!」

 云ったのに云ったのに云ったのに!

 熱は冷めるどころか薪をどんどんくべていっているようにしか思えない。
 カカシもさすがにまずいなぁと頭を掻いた。
 面倒くさいな、という意味ではなく。
 素直に、悪いことをしたな、という意味で。

「ごめんね、サクラ。綺麗だったのにね。多分、イノが咲かせたその花よりも、綺麗に咲いた筈だったのにね」

 見れば見るほど、美しい花の部分と崩れた茎と根の部分の差が際立つよう。
 その姿は、見ていてとても哀しい気持ちにさせた。

「…分かんないわよ、そんなこと」

 泣きそうな瞳で花を見て、愛おしむように傷を撫で、カカシの言葉に唇を尖らせるサクラ。
 その顔が絶妙に似合う年である少女に、カカシはほんわか微笑んだ。

「分かるよ」
「……なんで」
「俺が生まれて初めて綺麗だと思った花と、同じくらい綺麗だから」





 それはまだ、カカシが上忍になりたての頃だっただろうか。
 夜中突然他人の家に押しかけてきた嘗ての上司が、

『カカシっ、これ!』

 と、そう云って突き出した花は、根っこがついたまま、土がついたまま。
 任務帰りのその人が、その帰り道のどこかで抜いてきたのは眼に見えて明らかだった。
 カカシは花に感想を抱くよりもまず、彼が何故そんなことをしたのかが気になって、ろくに花を見ようともしなかった―――のだけど。

『あげる!』

 その一言で、どこにでもありそうなその花が、突然キラキラと輝きだしたようだった。
 なんでだろう、今でも不思議に思う。
 花屋で包装されたようなものではなかった。
 花瓶に挿してあったわけでも、鉢植えの中に生けられていたわけでもない。
 ただそこらの野原から摘まれたまま、カカシの眼に触れたその花が。
 生きていた中で、一等、綺麗に見えた。

「花とか草とか、実はあんまり興味なくて知らなかったから、今でもその花の名前は分かんないままだけど」

 それでも綺麗だと思った。
 名前がなくても、これだけ綺麗に思える花がある。
 心が打ち震えるとは、きっとあぁ云うことを云うのだろう。
 その感動を、摘んできた彼も気付いてか。
 柔らかく恥ずかしげに、枯らさないでよ、と云った。
 うん、と素直に頷くことは、できなかったけれど。





「目についたからカカシにあげようと思ったって、渡された時に云われたけど。本当は知ってたんだ。その人が花を摘んできた理由」

 その日の数日前が、丁度カカシの誕生日だった。

「けどその人は長期の任務に行ってる最中でね、その任務に行く前も、色々ごたごたしてて。多分忘れてたわけじゃないんだろうけど、何も用意できなかったんだと思うんだよね」
「それでも何かをカカシ先生にあげたくて、花をくれたのね」
「…って云うのは、まぁ、俺の妄想なんだけど」

 へにゃ、と右目を細めて笑ったカカシに、サクラもついに笑顔になって。

「素敵じゃない」
「良い思い出だよ」

 笑い合う。
 でもね、と。
 カカシは続けてポツリと云った。

「その後、今度は俺の任務が立て込んで、一ヶ月に二三日、家にいられれば良い方だってぐらいに忙しくなって」

 その花、枯れちゃった。

 今度はへにょんと笑ったカカシ。
 眉尻を下げたその笑みは、泣く前のそれにひどく似て。

「頑張ったんだけどねぇ。他人任せにするのは嫌だったから、できるだけ自分でしようって。帰ったら栄養剤とか水とか、葉っぱとか肥料にも気を使ってた。植物図鑑なんてものを蔵から引っ張り出しもしたんだけど。でもやっぱり、家に帰れないのなら意地張らないで誰かに任せれば良かったんだよね」

 そうしたら枯れることはなかったのだろう。
 枯らさないでと云ったあの人の言葉を、きっと最後まで守れたのだろう。

「飛んで帰ってさ、枯れてるの見て、なんでかなぁ、なんかすごく虚しかった」

 自分の至らなさを痛感した。
 そんな痛みのようなものが、心に風穴を開けて行ったような感覚。

「ただ枯らしたくなかっただけなんだけどな。ただ、それだけだったのに」

 と。
 その時のことを思い返し、カカシはふわりと目を伏せる。
 心もまた思い出したように、ツキツキと痛んだ。
 その顔を見て。

「…先生は、悲しかったのね」
「え…?」

 サクラは静かに。
 静かに云った。

「悲しかったのよ、カカシ先生は、その時、きっと」

 だから胸が痛んだのよ。
 だから心が軋んだんだわ。

 ふわりと、春みたいにサクラが笑った。

「本当に好きだったのね、その人のこと」

 スキ。
 すき。
 好き。
 音が言葉になっていく。
 言葉が意味に繋がって。

 さぁっと風が通り抜けたみたい。

 あぁそうか。
 そうなのか。

 きっと、やっと。
 この時になってようやく。
 カカシはあの時の痛みを理解した。

「……そう、だったの、かな」

(傍にいたいと思った人だった。)

「好き、だったのかな」

(どれだけ傷ついても、血を被っても。)

「好きなの、かなぁ」

(傍にいたくていたくて―――いられなかった人。)

 その独り言を、サクラは優しく笑んで聞かないふりをしてくれた。
 ただ隣りにいて。
 ただ聞いて。
 頷きもせず言葉を挟まず。
 風の行き先を知るように。
 遠くを見詰めて、カカシに寄り添ってくれていた。





「カカシ先生」
「んー?」

 帰り道。
 とてとてと夜空の下を歩く二人。
 結局あの後イノの所に二人で行き、こういう訳だから再戦を申し込む!、とサクラが挑戦状を叩きつけてイノもそれを受け入れる、という形で今日の事件は幕を閉じた。
 本当にごめんねぇと、歩く中で何度もカカシはそう云って、その度にサクラはもう良いよとそう返した。
 その繰り返しがサクラの家の明かりが見えた所で終わりに差し掛かった頃。
 ふいにサクラが立ち止まり、手の中の花を見る。
 どうしたのかな、とカカシも一緒に立ち止まれば。

「これね、本当はね、イノと張り合う為に頑張って育てた訳じゃないの」
「へ?」
「最初はそうだったんだけど、段々育てていくうちに、あぁこれをサスケ君にあげたら喜ぶかなぁとか、そうだったらもっと丁寧に世話しなきゃとか、受け取った時笑ってくれたらいいなぁとか、そんな事を思いながら育ててたの」

 訊いて、それはそれで悪いことしたなぁ、とまたカカシは頭を掻く。
 その横で、サクラはカカシをやっと見て。
 小さく、大人のように、笑ったのだ。

「だから、多分、そういうことだったのよ」

 笑って、そう、云ったのだ。

「カカシ先生が、この花を綺麗だと思ったのも、先生がその人に貰った花が一番奇麗だと思ったのも、きっとそういうことなのよ」

 と。
 分かるような、分からないような。
 でもきっと。
 心に染みるような。
 そんな言葉を零すから。

「…ありがとう」

 カカシもそっとそっと、零したのだ。





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 20110224
〈蛇足:桜草の他の花言葉は「長続きする愛情」「青春の喜びと悲しみ(始まりと終わり)」「初恋」。〉





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