クー・フーリンが在籍する高等学校に入学してきた、今や三大名物と言われる後輩達と交流を持つようになった背景には、その内の一人、ディルムッド・オディナが彼と同郷であるという接点があったからに他ならない。
 もともと自然豊かな田園地帯に生きてきた彼が都会の学校に進学したのは槍術の腕前を買われて誘われたからで、その当時、既に身近に敵なしだった彼が新たな(しげき)を求めて都会に進出したのも、まぁ彼の好戦的な性格を思えば頷ける話だった。
 ディルはそんな彼に憧れて追ってきたという。同郷と言っても広い地域で、ディルは彼を知っていたが、彼はディルを知らなかった。知名度の差、技量の差と言ってしまえばそれまでだが、さほど年齢差はなく、同じ槍術使いともなればどこかしらですれ違っていてもよさそうで、しかしそれがなかったとなればその広さも分かろうというもの。
 そんなわけで彼はディルと面識がなかったわけだが、自分から人を遠ざける柄ではないし、自分に憧憬を抱く後輩という存在も嬉しいものだ。それに初対面がすこぶる好印象だった。

「あ、あのっ、光の御子、ですよね!? 槍使いの! えと、あの、あ…握手してくださいっ!!」

 頬も耳も真っ赤っ赤、乙女の恥じらい全開で握手を求められ、「お、おう…」と勢いに押されて手を差し出せば、壊れ物に触るようにそっと震える手で包まれて、しかも握って十秒くらい経った後、ようやく実感が湧いたのか、花のようにほろりと微笑んだのだ。

(これが可愛がらずにいられようか。否)

 どっかの金髪バカの言葉を借りるなら、まさに「寵愛に値する」男であったのだ、ディルムッド・オディナは。
 そんな出会いで、また当然のように同じ槍術部に入部してきたディルを、彼は「小さい頃から面倒見てきましたけど?」という態度で可愛がった。自分(オレ)のもの!、と周りを威嚇することも忘れなかった。それはどこまでも恋愛からは程遠く、ブラコンの域の愛情ではあったが、白熱灯に群がる羽虫のごとくディルの整い過ぎた美貌に引き寄せられる人間を弾く効果は抜群だった。
 だがたった二人、彼と同じ年に入学し同じ三大名物に数えられる金髪バカと腹ペコ女には、まったく効果はなかったけれど。





 金髪バカの名前はギルガメッシュ、腹ペコ女の名をアルトリアと言った。
 ギルは均整のとれた長身に金髪赤眼と、ディルとはまた違った美しさをもっていたが、傲岸不遜、天上天下唯我独尊を地でいく猛者(バカ)だったので、「観賞用」というレッテルを女子から貼られている。ざまぁ。また家柄がいいのか、金に糸目をつけない、よく言う必要はないから悪くだけ言おう、極度の放蕩息子だった。しかも世界の金銀財宝、どんな小さな個人の所有物に至るまで「我のもの!」と言って憚らない。お父さんお母さん、どんな教育してたんですか。
 アルトリアは見た目は静謐な泉を思わせる、美少年だか美少女とか、そう言った表現がしっくりくる小柄な容姿だが、その内実は苛烈なマグマを想起させるほど熱い騎士の如き剣客だ。しかも棒状のものを握らせれば華麗な舞を踊るような足運びで相手をボッコボコにする彼女に、「加減? 母の胎内に置いてきましたが、なにか」と翠緑の双眸をひたりと向けられた日にはどんな男も戦意喪失、土下座して逃げ出すだろう。というか、しているのを見た。そして極めつけが大食漢である。
 そんな二人と、性格が穏やかで滅多なことでは怒らず、ただ顔が良すぎて女がところ構わず迫ってくる点のみで三大名物(時に迷物)に並べられたディルは、何故か気があったようだった。
 ギルはその性格から男女共に敬遠されてるし(ただ不思議と嫌われているわけではないらしい)、アルトリアも今時の女子とは考えが合わず自分から避けている節がある(ギルに目をつけられているということで、男子も関わりを持ちたがらない)。そしてディルは、誰からも好かれるが、好かれすぎて一番騒動に発展しやすい。
 似ているような、そうじゃないような、でも彼等の間ではシンパシーのようなものが、あったのだろう。
 ギルはアルトリアを「嫁」として愛で、ディルを「臣」として愛でた。アルトリアはディルを「親友」として友愛を寄せ、ギルと喧嘩ップルのような関係を築いていた。ディルは二人を大切な宝物のように見つめて、彼等の喧嘩と題したスキンシップを愛していた。
 見ていて嫉妬も起きないほど、綺麗な三角形だった。





 ただ一つ不満があるとすれば、それはギルの、ディルへの接し方だった。アルトリアばかり構うのならいい。どうせアルトリアがディルを放っておきはしないから、ディルが独りになる心配はない。だがギルはアルトリアと同等か、それ以上にディルを構った。些か度が過ぎていているのではと、思うくらいに。
 だからクーは一度ギルに聞いてみることにした。弟のように可愛がるディルに変な虫がついては困るのだ、という、ブラコンばりの考えに疑問なんて持たなかった。それは自分の義務だったし、そして権利だと思っていたから。





 部活を抜けだして彼等のクラスを訪ねれば、弓道部に所属しながら滅多に顔を出さないとディルが嘆いていた通り、ギルが所在なげに自身の机に両手を投げ出して張り付いていた。
 ディルは部活でしごかれていたのを確認したし、アルトリアも真面目に剣道部で励んでいるだろう。他のクラスメイトの事情などは知らないが、その二人がいない状態のギルと同じ場所にいたくなかったと見える。教室には他に誰もいなかった。
 都合がいいと教室に足を踏み入れば、俯いているせいで起きているのか寝ているのか分からなかったギルが、最小限の動きでクーを見た。()めつけるような目付きに、最初から起きていたのだと知る。そして習性として気配を消していた自分に気付いたその鋭さに、内心舌を巻いた。こいつは見た目以上に―――できる。
 だが表面上はニッと人好きのする笑みを見せただけに留めた。素直に賞賛してやる義理はない。ディルのことを抜きにしても、クーはギルに対し、敵愾心に似たものしか持ち合わせていなかった。それはギルも同じらしい。

「…何用だ、雑種」

 冷え冷えとし、奈辺に蔑みさえ含んだ声が問う。下から見上げているくせに、遥か上から見下されている。どんなに愚鈍な奴でもそう感じるだろう。それほど、ギルの表情も声音も口調さえ、傲慢さで満ち満ちていた。
 思えば面識はあるものの、一対一(サシ)で喋るのは初めてだ。何度かディルと喋っているのを聞いたことがあったが、当然こんな声ではなかった。あからさまに使い分けているらしいと気づき、やっぱ気に喰わねぇと思ったところで、表情を繕う気が失せた。無表情になって前置きなしに話しかける。

「お前、アルトリアが好きなんだよな」
「…ふん。あれは我の嫁だ」

 それが?、と身を起こし、椅子の背凭れに体重を預けて踏ん反り返る。ここにアルトリアがいれば一悶着あるな、とクーは思いながら、また問う。

「じゃあディルはなんなんだよ」
「あれも我が愛でるべきものよ」

 間髪入れずに言葉が返る。質問を先読みして予め用意していたのだろう。クーが最も気にかける人物を知っていれば、アルトリアの話が主題であるはずがない。その先がある、というのは簡単に分かることだ。それでも読まれたと認めるのが嫌で、敏いねぇ、と悔し紛れに呟いた。

「でも本命はアルトリアなんだろ? だったらディルにあんま構うのって逆効果なんじゃねぇの?」

 それでも重ねて言えば、ギルは面白くもなさそうに鼻で笑った。

「貴様が何を期待して何を忌避したいのかなど、我の知ったことではないが」

 そう、言いおいて。

「それぐらいでなければ気づかんのだ」

 と言う。それは驚いたことに、苦い笑いを伴った。どういうことだと尋ねたクーの声を無視して、ギルは橙の色を増した窓辺に視線を釘づけた。別にそこに何があるわけでもなく、もしかしたら、誰かの姿をなぞっていたのかもしれないが、そこまでクーに分かるはずもなかった。

「なぁ、狗。あれが普通に生きてきたと思うか? それが許されたと、思うか?」

 少しの沈黙の後、静かに零された疑問にクーは応えなかった。ギルが本当に自分に問いかけているとは思わなかったし、そして彼の、ディルの存在を否定しかねない答えは口にすべきでないと考えたからだ。
 何より、ディルがどんな風にこれまで生きていたのかを知らないことに今更ながら気づき、少しばかりショックを受けていた。
 普段ならそんな相手の表情や雰囲気からでも詰る要素を見つけて舌鋒鋭く毒を吐くギルも、今はそんな気分ではないのか、視線を動かすこともしなかった。ただ、口だけを動かして。

「普通など、あれにしてみれば夢物語よ。日常すら非日常。安穏など求めるべくもない。…あれがここに来たのは貴様がいるからと言ったそうだな。それも話半分に聞いておけ。まったくの嘘ではないだろうがな」

 それは、故郷でディルに何かあったということだろうか。…いや、何もなかったと考える方が本当は無理があるのだ。今でさえディルは日頃何かに巻き込まれている。こちらに出てきてから急にそうなったにしてはディルの対応は妙に(こな)れていたし、巻き込まれた時の表情はいつも諦めが先立っていた。

「…お前は、何を知っている?」

 問えば、紅の双眸が深淵に似て見返す。虹彩がとろりと生きた宝石のように煌めいて、小さな太陽のようだ。気づけばいつの間にか笑みは口元から消えていて、気づいたことで夕闇がぐっと近くなったようだった。外から差す陽光が唐突に色褪せる。その中にあっても、ギルは燦然として見えた。
 随分と長く重く、無言が過ぎていった。それに飽きてきた頃、ようやくひそりと口唇が割れたかと思うと。

「知らぬなら、知らぬままでおれ」
「なっ、てめ…!」
「必要な無知もあると言うことよ」

 にやりと邪気まみれの笑みを浮かべ、ギルはクーから視線を引き剥がすとまた最初のように机に突っ伏してしまった。もう何も言う気はないのだと知ってそれに抗議しようとするクーの耳に、どかどかとお世辞にも優雅とは言えない足音が届いた。その直後。

「あ、クー先輩! こんな所にっ」

 ずっと校舎を歩き回っていたのか、頬を赤くしたディルが教室のドアから顔を覗かせた。

「げ、ディル」
「げってなんですか、もー。先輩方、みんな探してましたよ」
「…怒ってた?」
「えぇ、ばっちりと。部活抜けだすなんて、駄目じゃないですか」
「わりぃわりぃ」
「謝るならどうぞ先輩方に。それにしても、先輩、なんでこんな所に…」

 きょとん、と首を傾げたディルが教室に入ろうとするのを、咄嗟にクーは押しとどめた。別に疚しいことは何もない。けれど、そこでギルと二人何をしていたのかと問われた時の上手い返しが見つからなかったのだ。ならば、なかったことにするのが一番いい。

「いや、俺も一年の時この教室だったなぁって、通りかかった時に懐かしく思ってよ」
「え、この教室、クー先輩も使われてたんですか?」
「そうそう。窓際の一番後ろの席、辛うじて屋外プールが見えるんだぜ。今度女子が入ってる時見てみろよ」
「な、何言うんですかっ、そんなことしませんよ!」

 なんて下らないことを喋りながら教室から離れるよう誘導していく。そうしてやっとディルの意識が切り替わったのを見計らって、クーはちらりと教室を厳しい顔で振り返った。
 開きっぱなしのドアから漏れた夕陽が、廊下をしとどに濡らしていた。





 去っていく足音が消えた頃になって、ギルはのそりと起き上がった。気怠げに首を回し、その延長で視線を上に反らし、ぼんやりと天井(そら)を見た。
 しばらくそうしていた彼が次に視線を動かしたのは、黒板を前にした時の後ろのドアがカラリと開いた音を聞いたからだ。顔を仰け反らせれば、上下反対になった世界によくよく見知った女が見えた。ギルが嫁と公言して憚らない、アルトリアだった。

「ギル、貴方だけですか」

 言外にディルの所在を聞いているのだと知っていたが、それに気づいたからといって応えてやる義務はない。ギルはその言葉をなかったことにして逆に問いかけた。

「早かったな。いつもはもう三十分ほど遅かろうに」

 言って答えを待たずに立ち上がり、行儀悪く机に座ってアルトリアに向き直る。アルトリアはその行動に眉間に皺を寄せたが、言っても聞き入れられないことは重々承知していたので、聞かれたことだけ返すことにした。

「顧問が急遽、私用で出かけねばならなくなったのです。監督役がいない状況下で部活は行えませんから」
「責任の所在か。くだらん」

 吐き捨てたギルの様子に、アルトリアが佇んでいたドアから離れてギルへと近づく。すっと手を上げたかと思えば、それを優しくギルの頬へと寄せた。見た目通りきめ細やかな白磁の肌がアルトリアの指に吸い付く。間近で見上げた紅玉の瞳は瞼で半ばほど隠れていたが、それでもやはり美しかった。アルトリアは、それを表に出すのを良しとしていなかったが、ギルの美しさを好ましく思っていた。

「何か、ありましたか」

 そう聞いたのは、ギルの不機嫌な表情の中に心配の色が覗えたからだ。ギルの場合、不機嫌と心配の境目は酷く曖昧で、心配は常に不機嫌の影に隠れてしまう。それを見つけるのがアルトリアの特技で、そしてギルの心配を吐き出させるのもまた、アルトリアにしかできないことだった。
 短い付き合いの中、幼馴染のような容易さでそれをやってのけるのも、ひとえに役割分担というやつだろうとアルトリアは思っている。ギルを不機嫌にさせるのは誰にでもできるが、心配はそうもいかない。アルトリアが知るところではたった一人に限られていた。それは、自分ではなく。

「ギル」

 促すように名を呼べば、ギルはゆったりと一つ瞬きをした。迷うのではなく、思考を整えるための必要な一瞬の区切りとして、その動作はなければならなかった。黄昏色の睫毛がアルトリアの指先を掠める。そしてそれがまた遠ざかった時。

「…クランの狗に、不要なことを言ったやもしれぬ」
「クー・フーリン、でしたか」
「はっ、まさかあれの事情を露ほども知らぬとはな」

 顔を歪めて嘲笑う。それは彼に対してと言うより、ギル自身に向けられた。知らないでいられた彼への嫉妬なのかもしれない。
 あのどこをとっても秀麗な男と出会った時、正直興味など欠片もなかった。どちらかと言えばアルトリアの方にこそあって、アルトリアと気の合う男だという認識しかなかった。邪魔だとさえ、思ったこともあるというのに。
 初めて二人きりで喋ったのは、今のアルトリアと同じで、三人で下校するためにあと一人集まるのを待っていた時だった。手持ち無沙汰にただ待つのも退屈で、いつも笑顔を崩さない男をいっそ怒らせてみようかと思い立って言ったのだ。内心、自分を邪魔だと思っているのではないかと、そういうような内容を辛辣に。
 そしたら、あの男は――…。

『…お前達が、表面上はどうあろうと、どこかしらで認め合い、言葉を交わすさまを見るのは、嬉しい。彼女は、アルトリアは、少々人付き合いが苦手なようだからな。お前のように強引なくらいが丁度いいのだろう。それくらいでなければ、結局彼女は内に篭ったまま外の世界を知らずにいるだろう。それは、アルトリアにとってはあまりよくないような気がする…例え合う合わないがあったとして、それでも知るべきなんだ。世の中がどんなものか。他人とはどういうものか。だから、アルトリアはお前と出会えて幸せだったと思う。俺では力不足だ。口では何を言っても最後には彼女の気持ちを優先させて、同じように内に篭ってしまうだろうから…だからお前でよかったんだ。そう、心では思うのに…二人がそのまま幸せになってしまったら、二人だけの世界を作ってしまったら、置いて行かれるような気がして…お前達を見ているだけで幸せなのに、どこか、怖い、んだろうか…なんだろうな…なんて、言うんだろうな』

 この心は、と胸を押さえて言ったディルは、最初から最後まで笑顔だった。朝靄のように薄く儚い笑みが、最後、ほんの少し困ったように変わっただけだ。ただそれだけだ。ただ、それだけの。
 ギリ、と唇を噛む。胸に渦巻く様々な気持ちを言葉にする術もない。それもこれも、ディルの、所為だ。

「まったくあれは度し難いほど馬鹿だな」

 貴方に言われたくないと思うが、とアルトリアは思ったが、言わずに置いた。ある部分でその言葉が正しいことを、アルトリアもまた知っていたからだ。
 そう、ディルはとある点において徹底的に盲目だった。哀しいほど理解しようとしない…できないのだと知った時、アルトリアは泣き喚きたいくらい切なかった。
 愛されるのが当たり前だと思うほどの美貌を持ち、事実、知人他人を問わず過度な好意を向けられるディルは、なのに自分が好かれているという事実にどこまでも疎かった。寧ろ殆ど自覚していないとも言える。
 ディルは嘗て、心を壊されていた。

『かあさんが…かあさんが、死んで…それで……それから、かな。なんか、分からないんだ。ずっと前は覚えてたのに。ちゃんと、知っていた気がするのに…思い出そうと頑張れば頑張るほど、心がすかすかするんだ。そのすかすかの名前を、当てようとしてるのにね』

 そう言った時の、ディルの顔。笑っていた。困ったように。幼い子どものように。泣けばいいのかどうすればいいのか、分からない顔で、笑ったのだ。

「あれほど哀しい男を知るものか。あんな、〈寂しい〉という言葉さえ奪われた男ほど…――」

 その責任の所在は、もう求めることが適わない。だからギルもアルトリアも、ディルをとことんまで愛すのだ。度が過ぎるくらいで丁度いい。それでさえ、やっと気づかれる程度なのだ。それでも〈いつか〉と願うから。

「ディルには私達がいる…だから、大丈夫です」

 言って、アルトリアはギルの額に口付けた。宥めるような、親が子どもに贈るそれに似て、優しいだけの。物足りないと思ったが、遠く品のない足音が聞こえて諦めた。鞄を持って立ち上がる。そして、アルトリアが入ってきたのとは別の、前の扉がガラッと勢い良く開かれたのを見計らって。

「遅いぞ雑種!」

 ギルはいつもを(かた)って、怒鳴りつけた。





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