銭葵

[ 花言葉:初恋・説得 ]



「どちらへ」

 背に涼やかな声をかけられて振り返る。
 視線の先、夕陽の橙が磨き上げられた宮廷の床を乱舞する中で、ひっそりと学生服に身を包んだルルーシュが佇んでいた。
 見て、密やかに紅の眸が眇められる。
 星刻はこの少年が苦手だった。
 それを云えば彼の腹違いの兄、シュナイゼルの方がよりその感は勝ったけれど、兎に角星刻はルルーシュと面と向かうのを嫌った。
 だからできるだけ此処に来たくはなかったのに。
 厭うように一つ吐息を零して思う。
 体調が優れぬとシュナイゼルから連絡が来た時から嫌な予感はしてたのだ。
 ならば会合は先送りに、と返信しようとした所へあの言葉。

『だから宮へ直接来ては貰えないだろうか』

 …躊躇った。
 元よりシュナイゼルという男を星刻は信用していない。
 だが利用するには(あた)う相手で、中華連邦とブリタニア帝国との橋渡しには持って来いの男だったから懇意にしているにすぎない。
 しかしだからこそ、無碍にできない理由にも成り得た。
 ままならないものだと星刻は諦めの溜息を吐いてシュナイゼルの提案を承諾した。
 会合の内容が早く纏めねばならない事案であることも事実だと、ささくれだつ心を宥めて。
 そして赴いてみれば、謀ったようにルルーシュに呼び止められた。
 細身の体に紫がかった艶やかな髪、優雅な身の熟しはさすが皇族と云えるだけのもの。
 明朗な声は彼が如何に慧眼であるかを余すところ無く紡ぎ、しかし穏やかな微笑はそれを嫌味に見せない魅力さえ持つ。
 だがそれらは、星刻に否応なしにシュナイゼルを想起させた。
 全く同じでないにしろ、違う所を探さなければならない程度には同じだった。
 最初の出会いから数度の邂逅を経てすら、星刻はルルーシュという人間を掴めないまま苦手意識は高まるばかり。
 それを前面に押し出す事は外交上不利であると自制してはいるものの、恐らく二人には悟られているような気がしてならない。
 食えない人間が二人も揃う王宮を、だから星刻は避けていたのに。

「…シュナイゼル殿下に呼ばれて参ったのです、ルルーシュ殿下」

 余の儀を脳裏から払い星刻は無機質に問に答えた。
 それを受けたルルーシュは些か苦く笑んで「黎武官」と呼び掛ける。
 大人の歩幅で四五歩離れた場所からのその声は、夕焼けの中、煌く薄緋の空気に反射して遠く聞こえた。

「分かっているでしょう」

 問い掛けの形を取られたそれは、けれど決して問うてはいなかった。

「分かっているでしょうに、貴方は」

 呆れた色を影に潜ませ、全てを見通した眸をした少年は、星刻へと迫る。
 一歩一歩、大人にはまだ届かない少年の形を持った彼は、けれど確かに近づいてくる。
 五歩六歩と近づき、そしてルルーシュは恭しく星刻の手を引くように取ると、騎士の如く口付けた。
 濡れた音が静謐な回廊に響く。
 星刻はそれを何も云わず見詰め、その視線をルルーシュは掬い上げるように下から見た。

「今は良い。だが結局兄上は貴方を良いようには扱わない。政治的にも、…そうでなくとも」

 云い終わると共に浮かべられた笑みは、嘲りと云うより憐れみで、酷薄と云うより清々しい。
 総合的に見れば、それは酷く慈愛の篭った笑みだった。
 寒気さえ、するほどに。

「…それは貴方も同じ事」

 少々長い無音の時を超えて、星刻はそっと呟いた。
 それに対して言葉はなかったが、ルルーシュの笑みが深められたことに解を得て一層星刻は無表情を極めた。

「離して頂こう、殿下。約束の時間に遅れますので」

 金属の冷たさを纏った声、冷めた双眸。
 慇懃無礼と取れる態度にもルルーシュは何も云うことなく素直に離せば、星刻はその瞬間、身を翻して歩き出す。
 長い黒髪が堕ちる太陽の色に染まり切らず、綺羅綺羅と輝いて背に揺れる。
 武人らしく実直に歩く星刻。
 その背を見送るルルーシュは、何処までも優雅な姿で佇んでいた。





「殿下、少々後れて申し訳―――ん、ぅ…っ」

 抱擁と口づけは、一時にやってきた。
 激しいそれに、背は入ってきた扉に打ち付けられ、その場所が痺れるように痛んだ。
 ―――殿下。
 薄っすらと瞼を開けば酸素を奪われて潤む視界に自分を呼び出した相手の端正な顔が滲んで見えた。
 行為の激しさとは対照的に観察するような冷めた視線を感じて、羞恥に震える。
 けれどそれも口腔を舌でなぞられれば分からなくなった。
 最初は抱く役割だけをこなしていた手は星刻の体の線を辿って悪戯に触る。
 それに一々戦慄く星刻を楽しむよう。
 口付けと手による刺激だけを与えられて喘ぐ星刻を散々翻弄した後、シュナイゼルは漸く離して座り込みそうな星刻の額に優しい接吻をした。

「でん、か…」

 荒い息遣いの中、ぼうっとする意識の狭間で呼び掛ければ。

「星刻」

 柔らかな、何時ものシュナイゼルの声が紡ぐ自分の名。

「…おいで」

 引かれる手を、今度は拒みはしなかった。





(―――中華連邦の為、か)

 中央が腐敗した中華連邦は増え続ける人口を持て余すだけが特徴の国に成りつつあった。

(そこで目をつけたのがブリタニア帝国…その着眼点は悪くない)

 国内に目をやることに見切りを付けたブリタニアは今は外国に手を伸ばそうとしていた。
 どんな形にせよ同盟国と云う名の領土が増えるのならば、ブリタニアは見下しはしても拒みはしないだろう。
 それを承知で選んだ辺り、あの男の頭の良さを窺えるようだ。

(その傲慢さを逆手に取り、着実に国内を変革し、技術を取り入れ、そして行く行くは…)

 他を軽視することに慣れたブリタニアは恐らく他国の活動を瑣末なものとして見逃すだろう。
 俯瞰して見ればそれらが何を示すのかを知るだろうが、パズルの一片だけを見て問題ないと看過するに違いない。
 完成したならば、そのパズルが描いているのは恐らくブリタニアを従える中華連邦、という訳だ。

(悪くない…その為に兄上を取り込もうとした、その心意気もな)

 恐らく誘ったのはあの男だ。
 靡かねばそれでも良いし靡いたのなら重畳…その程度だったのだろうが。

「悪いな」

 少年は笑む。
 酷薄さを通り越してどす黒いまでのその微笑は、彼の美しい顔をそれでも凄絶に彩った。

「こちらには、俺がいる」

 その言葉と共にキラリと輝いたのは少年の左の目。
 元来紫の筈の眸が、紅く、禍々しく輝いていた。

「ふふ、はははははは…!」

 画策されたものだと知れば、あの男はどう思うだろう。
 しかも何れは効力の切れる恋愛ごっこ。
 兄には既に自我はない。
 俺の命令通りに踊る人形(ドール)の一つ。
 そしてまた人形が増える。
 今度は愛玩人形が。
 けれど今は。

「今は何も知らず踊っていろ」

 理想を夢見て、勝者の立場に佇むと良い。

「敗者として、この腕に抱かれるまで」





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 20111028
〈(もしあの時手を取ってくれたなら、その時、僕は。)〉





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