[ 見上げた昊から落ちてきた ]



 戦に赴く途中、ふと彼かの人の事を思い出した。
 戦人(いくさびと)とは思えぬ穏やかで静かな人だった。
 それが内面でも違わず、けれどそれが真であったとも思えない。
 恐らく激情を表に出す時とそうでない時の分別がついていたのだ、彼は。
 しかしその外見、性格から、彼を知らぬ者が批判と嘲弄に似た言葉を口にしたのを聞いた事が度々ある。
 知らぬ癖にと何度歯噛みしただろう。
 貴様等にあの人の何が分かると、何度斬り捨ててやりたかっただろう。
 けれどそうすれば彼が悲しむ事は分かっていた。
 彼の目指す世界は、力がものを言う世界ではなかった。
 誇りや矜持の為に刀を振るうなど以ての外。
 その想い、その平和な世界の為にと戦場を駆け巡って居られたが、本当はとても苦しまれたのではと胸が痛む。
 優しい人だった。
 挙措も微笑も言葉も。
 彼の為人(ひととなり)を表す全てが、ただ、優しく。

(その貴方は、今何処に居られる)

 山崎の戦い以後、彼の姿を見た者は居らぬ。
 死んだのか生きているのかさえ分からなかった。
 噂でしか彼の姿は捕らえられず、確証は何処にもない。

(貴方は、何処に)

 義よりも仁を重んじた人。
 だから信長を斬り、民草の為に生きようとした。
 其処に悩みがなかったとは思えない。
 悩んで悩んで、何処までも悩み続けて。
 震える身体を押しつけて、あの魔王と対峙したのだろう。

(そんな貴方は、今、何処に)

 その問いに応えたのは、一粒の雫。
 髪に落ち、頬を伝い、鎧を濡らす。
 それは慈雨。
 優しい、恵みの雨。
 けれど少しだけ、冷たくて。

(―――あぁ)

 唐突に。
 思った。

(泣いていらっしゃるのですか、光秀殿)





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 20100116
〈駆け寄って抱きしめたい。出来る事なら、今。〉





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