荊道

[ たった一歩。でもそれで、僕の世界が変わるほどの ]



 さよならほど言い易く、そして言い難い言葉はないように思う。





  夕焼け小焼けで





 俺には付き合っている奴が居る。
 年下で、顔は綺麗め。
 頭も良い。
 俺以上に。
 性格…はまぁまぁ普通。
 Sだけど。
 それでも多分付き合う相手としては好物件。

(男でさえ、なければ)

 溜息を吐く。

(そういう嗜好でも許される国だ、此処は)

 大学の教室で隣に座った奴がそうであっても驚かない。
 今道を通った内の何人かは確実にそうだ。

(……でも)

 俺は自分で言うのもなんだが、普通(ノーマル)なんだと思う。
 思考も感性も性への認識も。
 もっとも性に関してはあいつに会う前はと注釈が入るけれど。
 だが結局は感性がものを言う。
 そいつがずっと俺に言うんだ。
 俺は普通で居たいんだと。

(だから)

 生産性のないあいつとの関係はもう止めよう。
 そう決意したのは、結構、前。





 ジリジリと音が鳴る。
 一日の始まりの音。
 俺の脳を叩き起こす音。
 夢を破壊する音。
 さぁ起きなければ。

「ふぁ…」

 欠伸一つの後、適当に物を食べ適当に服を着て適当に髪を整えてから大学へ。
 その適当具合を何とかしろと奴に言われるが楽なので止めない。
 奴は何時もきちんとしすぎなんだ。
 そして研究室に入ればもう奴は居る。
 何時も思うが早いものだ。
 ドアを背に何をやっているのかと凝視すれば、どうやら顕微鏡で何かを見ているらしかった。
 酷く真剣な様子で俺が来た事も気付いてないのだろう。
 視線はこちらへは向かない。

(何見てんだろ…)

 何かの課題だろうかとぼんやり思っていると。

「ヒート」
「ッ、…」
「おはよ」

 キィ…、と椅子が鳴って奴がこちらを向く。
 にっこりと微笑んでやがるが、多分俺の驚いた顔が面白いんだろう。
 こっちは心臓が跳ね上がったというのに。

「び、っくりさせんじゃねぇよ馬鹿」

 不機嫌にそう言えば、更に笑みを深めたそいつ。
 あぁそうだった。
 こいつは俺が反抗すれば反抗するほど喜ぶような変態だった。
 諦めてそいつの横を通り過ぎる。

「……はよ」

 と挨拶して。

「……ヒート」
「…んだよ」

 そう聞いているのに何も言わないから俺は仕方なくそいつの方を向いてやった。
 そうすれば。

「僕は君のそういうところが大好きだよ」

 はっ。
 まったくこんな所で何言ってやがる。
 満面の笑みを浮かべて。
 まだ誰も居ないから良いものの、いい加減口を閉じろ。
 羞恥の欠片もない奴め。
 ふい、と視線を逸らして奥の棚へと歩き出しながら俺は言う。

「…俺はお前と違って礼儀は仕込まれてんだよ」

 だからお前の為なんかじゃないんだ。
 お前だけになんて思うなよ。

「でもヒート、気に入らない奴には挨拶しないでしょ」

 そんな言葉は聞こえない。





 それから昼になればどちらともなく学食へ。
 奴は野菜中心のセットを頼み、俺はサンドイッチを頼んだ。
 そこそこ専門的な会話をし、ちらちらと見てくる好奇の視線を無視する。
 まったく飛び級の何が珍しいのやら。
 確かに目の前の奴は頭の中がイカれてるんじゃないかと思うほど優秀だ。
 学年最年少、だったか。
 羨ましいもんだ。
 俺もそんな頭があればね。

「……ヒート」

 ふと呼びかけられてるのに気が付いて、同時に自分が今まで相手の顔を凝視していたのに気が付いた。
 さすがに失礼だったなと思い謝ろうとして言われた言葉。

「他の誰に見られても僕は全然気にしないんだけど、君に見られると誘われてるみたいで落ち着かないね」

 ……あぁダメだ。
 笑顔で何を言ってんだこいつは真昼間から。
 そうだ。
 思うほど、なんて生易しいものじゃなかった。
 こいつは正真正銘誰が何と言おうとイカれてるんだ。

「…………………………馬っ鹿じゃねぇの?」

 こいつは本当に馬鹿と天才は紙一重ってヤツを体現している奴だな。
 撤回する。
 お前の頭なんて絶対要らない。

「にしても、みんなヒート見すぎでしょ」
「…厭味か?」
「何が?」
「……何でもねぇよ」

 お前見てんだよ、とは言いたくなかった。
 調子に乗る。
 大体俺が言わなくても分かるはずなのに当人はまるで見当違いな事を言う。

「気を付けなよ、ヒート。変な人が居たら僕に言わなきゃダメだからね」

 一番の変人はお前だけどな。





 午後の授業と研究所での実験を見学してオレンジ色の空の中帰路につく。
 その俺の隣には何故か奴。

「…お前今日の実験受けなくても良いヤツだろ?」

 何で帰んなかったんだよ、と言えば。

「そんなの、ヒートと帰る為だよ」

 当たり前でしょ、と奴は笑った。
 そう言えば俺の前では良く笑う奴だな。
 他の奴の前では滅多に笑う事なんてしないのに。

(…止めよう)

 俺だけなんて思うな。
 こいつにもそこそこ友人は居るはずだ。
 だからきっとそいつらにもこんな笑顔を見せてるんだろう。

(奴への恋人って位置付けが、多分俺をおかしくするんだ)

 あぁそうだ。
 今日言おう。
 今日で最後にしよう。

(ずっと引き摺っていた、この関係を)

 きゅ、と手を握る。
 微かに震えてると感じるのは気の所為だ。
 多分。
 きっと。

(そうこうしている間に、分かれ道)

 あぁその間何を喋っていただろう。
 思い出せない。
 何故か乾いている唇を湿らせて何時も通りに身体を動かす。
 そうするだけでも一苦労なんて。
 まるで緊張しているみたいじゃないか。

「……じゃあ…―――バイバイ」

 そう呟くように奴に言い、パッと身を翻す。

(これで、終わりだ)

 もう会わない。
 もう電話なんか受け取ってやるものか。
 もう、奴とは。

「あ、ヒート」

 …馬鹿野郎。
 何時もの癖で振り返っちまったじゃねぇかよ。
 どうすんだよ。
 振り返らなきゃ聞かなかった事も出来たのに。
 どうしようもなくなった。
 ほらもう遅い。
 あいつの口が開く。
 そして。

「またね」

 なんて。

(お前は何時もそう言って俺に別れをくれない)

 能天気に笑って言ってくれてんじゃねぇぞクソが。
 手を振るな。
 ガキみたいにブンブン音鳴らして。
 こんな時だけ何時も子どもに戻りやがって。

(〈また〉なんてないから〈さよなら〉って言ってんのに)

 誤魔化すように別れ際の言葉に付き合いの終焉すら付加しようとする俺。
 卑怯者?
 知ってる。

(あぁけれど)

「…おぅ」

 なに手を振り返してやってんだか。
 俺ってつくづく馬鹿。
 知ってたけど。

(…後何回、繰り返す?)

 それに満足して帰っていくあいつの後姿を眺める。
 機嫌良さそうに鼻歌まで歌いやがって。
 こっちの気持ち、考えろっての。

(後何回、言えば良いだろう)

 そうして後姿を眺めるのを止めて俺も反対側に歩き出す。
 練習するように、何度も何度もさよならを呟きながら。

「…さよならさよなら、さよなら…さよ、」

 ―――駄目だ。

「っ…ふ…、…」

 畜生。
 何で何で。
 涙なんか。

(くそ…ッ)

 分かってんだ。
 このまま付き合ってても俺達には何も残らない。
 周りを誤魔化すのだって限界がある。
 言うにしても勇気が足りない。
 だから何時かこの関係に終止符を。

(…分かってる)

 そう考え続けて、でもはっきりと別れを言えない、理由も。

「…、ッ…ぅ…、…」

 涙を泣き声を痛みを噛み殺す。
 殺せない想いの代わりに、思いっきり。





 とことこと進めていた足を止める。
 さっき別れた彼を思い浮かべてぽつりと零す。

「……馬鹿なヒート」

 気付いてるくせに無茶をする。
 どうして自分の気持ちに正直になろうとしないのだろう。
 普通じゃないってそんなに怖い事だろうか。
 普通って、なろうとしてなるものだろうか。

「馬鹿、だなぁ」

 知ってるよ。
 君が迷ってる事。
 僕に別れを切り出せない事。
 その狭間で苦しんでる事。

(でも僕には何も出来ないし、だから君を好きだと言い続けるしかないのだけど)

 だから、ねぇ。
 まだ知らないフリしててあげるから。

「早く、気付きなよ」

 僕が本当に君を好きな事。
 君が本当に僕を好きな事。

(この関係を続ける言い訳は、それだけで、良いのに)

 だからどうか。
 …お願いだから。

(君が早くさよならなんて言葉を忘れてくれますように)





 それまで僕はまたねと言い続けるから。





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 20090918
〈幼子のように強請ることはもうできない。だからただ待つ。君の答えを。〉





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