世界の幸福が此処に在る
[ 笑って、僕の太陽 ]晒せない素肌。
言えない過去。
縛られた身分。
(それら全ては誇れるものではなかった)
誇ろうとも思わない。
…憎んできた、自分、以外を。
深淵に射した光
「人権なんてない事も、人とは違うかな」
嘘なんて言ってない。
僕にはそんなものない。
僕の人としての権利が何処にあるかなんて、探す事も諦めてしまった。
人として扱われない事に、抵抗する事を止めてしまった。
人と言えない僕に、そんな言葉は無用だと気付いてしまったその時に。
(周りは敵ばっかりだ)
種族の差は、憎しみしか生まなかった。
リィンバウムの人は僕を憎んで、僕はその人達を憎んだ。
正当性なんて関係ない。
論理的で人間的な関係なんてない。
対等な関係なんて望めない。
僕は〈融機人〉で、彼等は〈そうじゃない人間〉だった。
存在を否定されるのは、そんな理由だけで充分だったんだ。
(僕の味方なんて、もう……)
それでも死ななかったのは、生きて生きて生き抜く事で迫害しようとした人間に融機人が居た事を彼等の記憶に刻み込む為だった。
それだけの理由で、僕はそれまで生きてきた。
僕達種族の、復讐の為に。
自分の為に生きようなんて、思った事、なかった。
(あぁ、けれど……)
と考え込みそうになって、だけど今はマグナを相手にしている事を思い出す。
そう言えば妙に長い間沈黙を守ってる。
そんな事は僕が本気で怒ってる時でなくては在り得ない話だ。
マグナは何時だって元気で、煩い子ども。
過去の贖罪なんて知らず生きてきた。
そんな彼に目を向けて。
「マグナ?」
思わず、名を呼んだ。
珍しく焦る僕に、けれどマグナは気付いていないだろう。
僕を見ずにじっと下を向いている。
その顔が、とてもとても彼らしくなくて。
昔に戻ったようだと錯覚しそう。
目の前の子どもは、もう疾うに大人に近付いていた筈なのに。
「マグナ…」
(あぁ、何て顔をしているんだ)
(君はそんな顔をする子じゃないだろう)
(君は何時だって、笑ってなくちゃ)
(僕はその笑顔が―――好きなんだから)
好きなんだ。
嘗て少しだけ疎んじた子ども。
けれど、何時しかそれは少しずつ変化して、温かい感情へと育っていった。
僕の心に触れた数少ない人間である彼を、僕は少なからず想ってた。
(君の笑顔を、守りたいとさえ思うのに)
僕はマグナに手を伸ばそうとして、けれどふと気付いた事に自分にその権利がない事を知った。
(違う…。僕は、分かってた)
マグナがこんな顔をするだろう事は、分かってたんだ。
分かってて、言ってみた。
マグナは良くも悪くも表情で全て語る子どもだった。
僕は其処に付け込んだんだ。
(やっぱり君は、優しい)
心の中でそう言いながら、けれど口に出したのは違う台詞。
「まったく、君は馬鹿だな」
馬鹿だよ、本当に。
小さい頃の境遇を考えれば不思議なほどにマグナは人を疑う事を知らない。
素直で優しすぎるんだ。
「どうして、君が泣くんだ?」
そんな綺麗な涙を僕の為に流さなくて、良いのに。
そう言う僕に、彼はごめんなさいを繰り返す。
涙色の声は、それしか知らないとでも言うよう。
その言葉が両手では足りないほどに紡がれた後、僕はしょうがないなとさっき引っ込めた手を躊躇いなく彼の頬に伸ばした。
「マグナ」
優しさと愛しさを込めて呼ぶ。
そうすれば、ようやくマグナは口を噤んで僕を見た。
頬に流れた幾筋もの涙を親指で拭えば、驚いたのか瞠目して瞬いた。
その所為でまた伝った雫が、僕の指を新たに濡らす。
温かさが肌に染み込んだ。
「勝手に僕を悲劇のキャラクターにしないでくれ」
確かに僕の人生は悲劇的かもしれない。
自分でもそう思っていた時もあったくらいだ。
人から憎まれて、人を憎んで。
世界も、憎んだ。
自分以外の全てを。
(けどそれは、そんな生き方しか、知らなかったんだ)
憎まなければ立っていられなかった。
嫌悪しなければ自分の存在が分からなかった。
それほど強い感情でなければ、生きていられなかった。
ラウル師匠に会って、ギブソン先輩とミモザ先輩に会って。
君に、出逢うまでは。
(……マグナ)
たった一人の少年。
僕の種族と同じような境遇の、過去を何処かへ置き忘れてしまった君。
覚えている自分とは相容れない、けれど、どうしたって憎めなかった。
その少年は、意図せず僕の世界を塗り替えてしまった。
「感謝してるよ、マグナ」
今まで一度だって言った事のない事を、君に伝えよう。
「君と出会えて、僕はやっと自分の為に生きる事を選択できたんだ」
憎しみは何処にも帰着しない。
ただ空しいだけの感情を抱き続ける事に飽いたのは、マグナに出会ってからだった。
マグナの見方は僕とは全く違って、その視線に合わせて見た世界は、僕の知らない世界だった。
新たな世界は僕に色んな希望を与えてくれた。
(ねぇ、マグナ。君は僕にとって世界なんだ)
きっと死んでいたのだ、君に出会うまでの僕の世界は。
色のない世界は、色の付いた世界に慣れてしまえば戻れなくなった。
それで良いんだと思えたのも、きっと君のお陰。
「マグナ、君は僕が此処にいる事をちゃんと認めてくれるんだろう?」
それまで僕の言葉に驚いたり迷ったりして固まっていたマグナは、その時やっと動いて、小さくけれどしっかりとうんと頷いた。
(それで良い)
他には何も望まない。
「君が僕を認めてくれるなら、他の人から認められなくても、僕は構わないさ」
にっこり笑えば、マグナは金縛りのような硬直から立ち直って、顔を赤くして呟いた。
「……何だか、すっごい告白を聞いてるみたい」
そんなつもりはなかったんだけどな、と思いながら、けれど嬉しそうな顔をするマグナを見れば、それでも良いかと思ってしまう。
「マグナ」
「ん?」
まだ赤い顔のマグナ。
その頬に流れていた涙はもう乾いて、跡だけが存在を主張してくるだけになった。
僕の手に付いた涙の欠片も、ぱらぱらと舞って落ちていく。
「僕は、幸せだよ」
視線の先のマグナが、今度こそにっこりと笑った。
20090401
〈救われるというのは、氷が溶けて水になること。それだけのことで、でもやっぱり、すごいこと。〉