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[ 始まりの風 ]「悠太、4組」
「祐希は3組だね」
隣同士、掲示板を見上げてそう零す。
離れるのは想定内だった。
今まで一度だって同じクラスだった事はない。
それに幼稚園の頃は不満を覚えていたが、年を経るにつれてなくなった。
慣れたのか諦めたのかは、もうどうでも良い事だ。
ただオレ達はその状況を受け入れていって、今に至ってる。
だから不満など、抱える事すら忘れていた筈なのに。
「あ」
声を出したのはオレだけ。
悠太は何も言わない。
視線をなぞらせていた掲示板から目を離し、隣を見る。
悠太の横顔が見えた。
その視線は、オレがさっき見ていた場所を彷徨って、ゆっくりとオレに向けられた。
悠太の背後に桜の木が見えた。
「…うん」
要と、一緒なんだ。
それは、風に攫われる桜のように、ひっそりとしていた。
新学年
「……祐希君、どうかしましたか?」
ぼぅっとしてますけど…、という春の声に視線を動かせば、心配そうな春と、どうしたどうしたと覗き込む千鶴が見えた。
後二人足りない、と思って、あぁ此処は3組の教室なんだと思い出す。
居る訳がないんだ。
彼も。
彼も。
「…なんでもない」
そう答えれば、春はまだ腑に落ちない顔をしたけれど、千鶴が単純にそのまま受け止めてくれて、話題を変えた。
「ねぇねぇ春ちゃん」
「あ、はい」
千鶴のそう言う所が良い所だよ、とぼんやりと思ったのに。
「次の六限の授業、何?」
その言葉で、一瞬前の評価は掻き消えた。
昼休み。
何時も通り屋上に集まれば当然のようにオレ達しかいなくて、でもそれはやっぱり当然だから気にした風もなく五人はそれぞれの昼食を広げて食べ始める。
新しいクラスがどーだとか。
隣の席の子が可愛いとか。
担任が前と一緒で盛り上がりに欠けるとか。
そんな事をぐだぐだのんびりと、何時もの調子で喋っていた。
そこには三年になっても変わらない五人の姿があって。
春の天然と千鶴のボケが良い感じに合わさって、それをオレが引っ掻き回したり悠太が宥めたり、でも最終的には要が突っ込んで。
当たり前の風景。
何時もと変わりのない雰囲気。
だからぽろりと零れてしまった、あの言葉。
『そろそろチャイム鳴るぞ』
『あ、要』
『何だ?』
『次の授業、何?』
『は? そんなの春に聞けよ』
『え?』
『だってオレとお前、もう同じクラスじゃねぇだろ』
何言ってんだよ、と要は当然のような顔をして言い、弁当箱を片付け始めた。
言われて呆然とする、オレに気付かずに。
そっか。
そうだよね。
もう要の小姑みたいなお小言に煩わされる必要もないんだ。
そんな強がりさえ、言えなかったのに。
「……まったく、人生とは時に酷ですな」
そんな昼間の事を思い返し、唐突に呟けば。
「ほんとだよ! 次、小テストとか知らないってのー!」
騒ぐ千鶴。
「さ、最初ですからきっと簡単ですよ…多分…」
宥める春。
そんな微笑ましい彼等を見ながら、それでもやっぱり何故彼が居ないんだろうと、思ったんだ。
「悠太、どうかしたか?」
ぼーっとしてっけど、と言ったのは、片手に次の授業の教科書を持った要だった。
あぁもう六限か、と教科書を見てそう思い、また要を見上げてふと思い出す。
「そう言えば要、副会長になったんだっけ」
「ん? あぁ、まぁな」
「忙しいの?」
「そりゃ、一応二番目に偉い事になってるし、何しろ、学年の始めは行事ごとが多いだろ?」
それの所為で、と溜息を吐いた要。
(……あぁそっか)
それを見ながら、ぼんやりと思い返す。
(そう言う、事か)
昨夜。
晩ご飯を食べた後のまったりとした時間の中。
ソファに座って読書をしていたオレは、突然肩に重みを感じて本を取り落としそうになった。
そんな事をするのは、我が家では一人しかいない。
『…どーしたの、祐希』
本を閉じる。
振り返ろうとしたけれど、後ろから抱き締められてそれも出来ない。
だから諦めて前を向いたまま、ただ視界の端に映る自分と同じ色の髪が揺れるのを見た。
空白が過ぎる。
それが、何分か続いた後。
『…変わって』
聞こえた、祐希の静かな声。
『変わってよ、悠太』
願うようなその言葉。
何を、と聞こうとして、口を、噤んだ。
(何を?)
そんなの、分かり切っているのに。
『…決まった事、だから』
祐希だって分かっているだろう答えを返す。
どうしようもないのだと、言外に言い添える。
けれど。
『大丈夫だよ…髪型とか、変えてさ、そしたら、分かんないよ…気付かれないよ』
だから、ねぇ。
『変わってよ、悠太。一生の、お願い』
祐希の声が、震える。
『要と同じクラスに、いさせてよ』
初めてだった。
きっとそうだろうとは思ってた。
(祐希は、要の事が、好き)
けれど口に出して言われた事はなくて、それらしい行動や言葉もなかったから、だから聞かずにいた。
ただ長年双子でいた自分だからこそ分かった、その程度の、勘のようなものだった。
それを肯定された今、漠然とした心配事は消えても良い筈なのに。
依然としてモヤモヤしてる。
なくならない。
ピースは揃ったのに、パズルは完成した筈なのに。
まだ、何かが欠けている。
それが分からないまでも、オレは。
『……ごめん、祐希。無茶、言わないで』
冷たいと分かっていながら、そう言うしか、ない。
『それに絶対ぼろが出るよ。顔が似てても、祐希は祐希で、オレはオレだから。要も絶対間違わない。そうでしょ?』
返答はない。
それでも、強まった腕の力で、祐希がどんな風に思ったかは分かるから。
『……祐希』
宥めるように名前を呼んだ。
祐希は少ししてから、ごめん、と掠れた声で言って、けれど抱き付いたままでいた。
オレはその重みを受けながら、これが最後だろうかと、些か暗鬱として思った。
「…要」
一瞬の考えの後、腰を捻って去りかけた要を呼び戻す。
何だ、と振り返った要に。
「行事って大抵どっかのクラスとどっかのクラスがくっついたりするものだけど、その振り分け方とか、決まってるの?」
「いや? 多分、特別そんなものはなかったと思うけど…何でだ?」
本当に、何故だろう。
僅かに後悔しているのだろうか。
昨夜声を詰まらせた弟の期待に応えられない事が。
どうしようもない事だと分かってる。
どうしようもない事だと分からせた。
なのに。
「じゃあ、4組は絶対3組とくっつくって事で、副会長権限で決めといてよ」
よろしく、と言い添えて要から視線を外す。
寝る体勢で、机に突っ伏した。
「は? 何言ってんだ…って、六限今から始まるっつーのに寝んなよ」
要のぼやきが聞こえる。
そんなのは、無視。
「…ったく、本当に、お前はおにーちゃんだな」
笑みを含んだ言葉も、無視。
(…しょーがないでしょ)
何年、あの子のお兄ちゃんやってると思うの。
(こればっかりは、変われない)
学年が変わっても、色んなものが変わっていっても。
(…ううん)
変われない、というよりは、寧ろ。
(譲れない)
淋しいね。
お兄ちゃんと慕ってくれた子が、別の大切な人を見付けてしまった。
もう自分だけが彼の世界ではないのだ。
力を抜けば、視界が滲んでしまいそう。
そんな無様な事、しないけど。
(あぁ、どうなるだろう)
学年が変わって、一年前とはクラスの組み合わせが変わって。
自覚した想いを兄にぶつけた弟は。
ぶつけられた兄は。
気付かない、彼は。
何か変わっていくだろうか。
それは多分、淋しいだろう。
今より変化する事は怖くて、淋しくて、哀しいかも知れない。
それでも、変わらない事など不可能だと知っているから。
(お兄ちゃんである事だけは、やっぱり譲れないかな)
それは絶対に変わらない事だから。
「……悠太」
昨夜の事があったからか、気まずげに自分を呼んだ弟に。
「帰ろ、祐希」
優しく笑んで、兄は先を歩き出す。
弟は大人しくその後に付いていく。
そして肩を並べるまで、後、少し。
20100701
〈変化していく人間模様。楽しめるようになるには、まだまだ時間がかかりそう。〉