I Think So.

[ 滲んだ世界はそれはそれで綺麗で ]



 僕は、そう思ったんだよ。
 そう言った恋人を、彼は静かに見ていた。





  kiss me





 それはとても必要な物なのだ。
 長い長い付き合いで、ある事が当然とも言える物。
 発明した人は凄いと思うし、それを改良した人もまた凄いと思う。
 多分自分という存在を構成する上でも認識される上でも不可欠な物なのだ。
 そう、分かっていても。

『眼鏡なんてなかったら良かったのに』

 そうしたらきっと視界は不明瞭で、ぼやけてて、何かにぶつかって転けたりするんだろう。
 信号が赤と気付かないで道路を渡って事故に遭うかもしれない。
 愛しい君の顔すら、良く見えないんだろうね。
 ねぇ、それでも。

「眼鏡なんてなかったら、君と僕を隔てるものは、何もないのに」

 そう言いながら、そんな事は嘘だと知っている。
 眼鏡だけ?
 そんな訳ない。
 頭が良く生徒会役員であった君の事だ。
 教師という仕事に就いている僕の事だ。
 多分普通の子どもよりも大人よりも、世間というものを知り、常識とやらに縛られている。
 模範とならなければならない立場なのだ。
 なら君と僕の関係を隔てるものは数限りなくあって、それを眼鏡の所為だけにするのはとてもとても理不尽な気はするけれど。

(そう思ってしまう)

 眼鏡のある分だけ、君から遠ざかっているような気がするのだと。
 そんな僕に。

「…難しく、考えすぎ」

 はぁ、と溜息を吐いて君は言う。
 呆れられたかな、と思ったけれど、何処かその声は優しくて。

「眼鏡がなきゃ、あんたはきっと黒板も教科書も見えないから勉強が出来なくて、先生になんてなれなかっただろう。そしたら、俺達は出会う事なく別の人を見付けて、結婚して、家庭を築いて、老いて死んでいくような、そんな平凡な人生を、でもきっとそれはそれで幸せな人生を、歩んだと思う。…でも、俺達は出会って、好きになって、付き合って、高校卒業した今でもその関係は続いてて……そんな人生を、選んだんだ。それは眼鏡があったお陰だと俺は思うけど、あんたは後悔してるの?」
「………して、ない」
「ならそれで良いじゃん」

 それにさ、と君は言って自分の眼鏡を取り、僕の眼鏡を奪い、一瞬だけのキスをした。

「……したくなったら、外せば良いだけの話」

 違う?、と笑った君。
 そんな君に、僕は。

「か、要君…」

 すごい!天才!大正解ッ!、と抱き付いた。
 何時もなら五月蠅い暑い離れろと邪険にする君も、今日はよしよしと背中を撫でてくれるだけ。
 嬉しい。
 幸せ。
 君と出会えて、本当に良かった。
 眼鏡くんありがとう。
 と心の中で呟いた僕は。

「今日は、眼鏡なしで過ごそっか」

 買い物はもう終わってる。
 掃除も今朝した。
 後は夕ご飯が待っているけど、それは追々考えるとして。
 兎に角僕は君と眼鏡なしで過ごしたい。

「……それはつまり、こういう事?」

 と、君はもう一度僕にキスをした。
 長い長いキスをした。

「うん」

 僕はにっこりと笑った。
 君もちょっと微笑んで。
 こくりと一つ、頷いた。





 不明瞭でぼんやりとした視界の中。
 確かなものは君の唇の感触と熱と零れる吐息。

 それで良いじゃないか。

 今君と僕を遮る物は、何もない。





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 20091230
〈キスして、愛して、傍にいて。〉





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