honey sunday

[ (気付かない幸せ) ]



 独特の音が聞こえる。
 それは使い古され、少しガタのきた自転車の車輪の音。
 その音が聞こえたら、何を置いてもベランダに走っていくのがティーダの習慣だった。
 今日もティーダは持っていた雑誌を放り出してガシャンと音が鳴るくらいベランダの柵に体当たりし、落ちそうなくらい身体を前に乗り出して下を見た。
 音の大きさと響き具合から大凡あたりを付けていた場所へ目をやると、ティーダの勘に間違いはなかったようで、ぴたりと彼は目的のものを其処に見付けた。
 ニッ、と口元に笑みが浮かぶ。
 そして。

「のばらー!!」

 町に響き渡れと言わんばかりにクラブで鍛えた大声で彼を呼べば、ぎょっとしたように彼はティーダに顔を向けて呆然とした後、わなわなと震えて辺りを見渡す。
 八つ時で人通りは少なかったもののやっぱり人はいたし、当然隣家に聞こえていない筈はない。
 後で文句を言われるだろうかと少しばかり不安に思ったものの、周りに住む彼等なら大丈夫だろうとティーダは思い直し、近付いてくる彼に腕全体を使って手を振った。
 怒り呆れていただろう彼も、終にはティーダらしいと言うように苦笑してそれに応えてくれた。
 彼がアパートの玄関に入ったのを見届けて、ティーダは自分の家の玄関に飛んでいく。

(それでも多分、此処に来た瞬間、お小言ッスかねー)

 分かっているのに、ティーダはついつい彼を怒らせてしまう。

(叱って欲しいのか? 俺ってマゾ?)

 なんて考えながら、近付く足音を耳にしてティーダはにこりと笑った。
 ただ嬉しいのだ。
 彼が来てくれる事、掛けてくれる言葉、向けてくれる笑顔、その全てが!

(だからだから)

  カチリ。

「お帰りフリオニール!!」
「うわっ」

 チャイムが鳴ったと同時に扉を開ける、外で佇む彼に飛びつく。
 一連の動作は慣れたもの。
 そして、ティーダを抱き留めた彼も危なっかしげに、それでもちゃんとティーダの熱い抱擁を受け止めて。

「ただいま、ティーダ」

 優しく優しく笑ってくれるから。

(馬鹿な真似だってするよ。非常識だって思われても良い。ただ好きなだけなんだ)

 そんな事を思いながら、ぎゅうっとティーダはフリオニールを抱き締めた。





 二人は兄弟?、とその仲の良さから度々周りから聞かれるものの、そう言った事実はない。
 ただのお隣さんで、幼馴染み。
 けれども付き合いはティーダが生まれた頃からだから、優に十年以上の付き合いなのだ。
 最初に彼と出会った時の写真はティーダの一番の宝物で、それには穏やかに眠る赤児の二人が写っている。
 時折それを出しては眺めるティーダをフリオニールはまたそんな古いものを出してと笑うけれど、その笑顔は優しく、そこから昔話に発展するのが常だった。
 そんなフリオニールとの何でもない優しい時間がティーダには何ものにも代え難く、とてもとても好きだった。
 だからこそ高校進学の際、地元ではなくブリッツボールの強い高校へ進学し、下宿の決意をするのは、並大抵の事ではなかった。
 自分のやりたい事、将来を考えればそうする事が一番だと分かっていたのに、ティーダはフリオニールが通う地元の高校を受けるんだと言い続けた。
 両親はティーダのしたいようにすれば良いと頑ななティーダを擁護したが、フリオニール自身がその甘えを許さなかった。

『やだ、嫌だッ』
『ティーダ!』
『俺が行きたくないって言ってンの! 良いじゃんそれで!』
『目先の幸福に囚われるな! お前の夢は何だ! その為に今しなきゃいけない事、諦めなければいけない事を間違うな!』
『でもっ、ヤだ、よぉ…!』
『ティーダ…』
『会えなくなるんだぞ、寮に入っちまったら、あの高校行ったら…ッ』

 だから嫌なんだとティーダは泣いた。
 頭では分かっていたのに。
 自分が選ぶべき高校も、どうすべきかも、フリオニールを困らせている事だって。
 フリオニールを理由に高校を選べば、何時かきっとティーダ自身じゃなく、フリオニールが後悔する事は容易に想像できる事だった。
 ティーダが夢に躓く毎に、自分の為にティーダが、と悔やむだろう。
 ただそれくらい、ティーダにとっては大切だった。
 夢とフリオニールを天秤にかけるくらい、それ程に。
 結局寮には入らず下宿を許可して貰い、ちゃんと生活しているか確認するという名目でフリオニールが週末必ずティーダの家を訪問する事を条件に、ティーダはとうとうブリッツボールの強豪校への入学に頷いた。
 泣き腫らした目で、「がんばる…」と力なく言ったティーダを、フリオニールは優しく、けれど少し強く抱き締めた。
 その時ティーダはそれに何も返せなかった。
 何かを言う事も、抱き返す事すら。
 今ならごめんねと、ありがとうと言えるのに。
 フリオニールが腕に力を込めた以上の力で、力一杯抱き締めてあげるのに。
 今もそれは言えないまま。
 ティーダの心に、埋もれたまま。
 気付けばもう夏休みが目前に迫っていた。





 ティーダの想像通り少しお小言を貰って近況を話し合ったその後、フリオニールは首を傾げてティーダに問うた。

「おばさんに聞いたけど、夏休み、帰ってこないって?」
「ん? あぁ、そうなんッス。合宿あるし、どうせ夏休み関係なく練習は毎日あるからと思ってさ」
「そうか」
「さみし?」
「まぁな」

 照れもなく頷いたフリオニールは、すっと手を伸ばすとティーダの髪を優しくくしゃりと撫でた。

「でも、お前が思うようにすれば良いよ」

 その瞳に宿るのは紛れもない優しさと家族に対する愛情で、ティーダの求めるものとは少しだけ違ったけれど、構わずティーダはそれに微笑んでうんと素直に頷いた。

「じゃあさ、フリオ、夏休みになったら一週間くらいドカンと泊まりに来てよ」
「あぁ、それは良いかもな。俺もクラブの練習があるから、今は何とも言えんが」
「ほんと? 来てくれる? 二週間でも三週間でも、夏休み終わった後も居てくれて全然構わないけど」
「だから、夏休みの予定はまだ分からないんだって」
「え、予定が空いてたら二週間も三週間もいてくれんの? ほんとに!?」
「さぁな」
「―――ッ、い、意地悪! 健気な男心を弄んでー!」
「はははは」
「のばらの馬鹿ー」

 少しだけ本気で期待して、それは無邪気な心と言葉でぶち壊されたけれど。
 文句を言いながらもティーダは笑った。
 真意に気付いていないフリオニールを愛おしげに見遣って眼を細めた。
 特別な愛情を欲した時もある。
 自分だけを見て欲しいと願った事も、自分だけの人であったならと独占欲が心を占めた事だって。
 それを必死に押し殺している訳じゃない。
 乗り越えた先の、今がある。
 その今を、ティーダは心の底から、愛してたから。

「…ん?」

 ―――フリオニール、ねぇ、フリオ。

「ティーダ?」

 ―――好きだよ、好きだよ、大好きなんだ。

「おい、ティー…」

 ―――ずっと傍に居てね、ずぅっと…傍に…。





「眠くなったのか…」

 窓から差し込む光は既に夕陽のそれ。
 フリオニールは話に夢中になっていた事実にくすりと笑い、テーブルに突っ伏しその陽光に照らされる年下の幼馴染みを見て更に笑みを深めた。

「蜂蜜みたいな色」

 ティーダの髪が、光に透かした蜂蜜のようにキラキラと輝いていた。
 それは彼自身の天真爛漫な性格のよう。
 幸せそうな寝顔は、そんな蜂蜜みたいにとろとろの甘い夢に微睡んでいるからだろうか。
 そうであったら良いと、気の良い幼馴染みはさらりとティーダの髪を撫でて立ち上がる。

「さぁて、何から手を付けようかな」

 部屋を見渡してフリオニールはする事を頭の中に思い描いていく。
 そうしてティーダが起きる頃に偶々買い出しに行って、帰ってきた途端涙を流すティーダに抱き付かれ泣き言を言われるのは、それから数時間あとの事。
 そんな未来など知らない振りをして、優しい蜂蜜色の日曜の午後は過ぎていく。





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 20100901
〈たとえ夢でも、夢だと気付かせないで、神様。 〉





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