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[ セピア色の回想録 ]世界が廻っている事を知らず眠り続ける幼子のように。
コスモス荘は都心から少し外れた住宅地の一角にあった。
最寄り駅に普通電車しか止まらないという難はあったが、それ以外はスーパーマーケットが数店あり、コンビニも五件、商店街も近く、少し足を伸ばせば大きな本屋もあると言った好物件だった。
何より大家が綺麗な人で、その所為で借り手希望者の倍率が高くなっているという噂もあるくらいだ。
しかし当然、大家目当てで住まれては大家も困るというもの。
そこで何故か人の感情を読む力に優れた大家はそういった人間を下見に来た時点で片っ端から弾いて来たそうで、今まで問題は一度も起こった事はないと言う。
そんな大家に住む事を認められた人間は、現在総数一〇名。
様々な年齢、職種、家族構成を持つ彼等は、今時にしては珍しく近所付き合いがとても良く、同じ屋根の下に住んでいると言うのに互いの部屋に泊まりに行く事も珍しくなかった。
『まるで本当の家族のようね』
ある日誰かが何時も世話になっているコスモス荘と大家の為に庭を掃除しようと言い出して、それは良いと宿題ゲーム家事を放り出して庭に集合した一〇人。
せっせと腕を動かし足を動かし身体を動かし庭掃除をするそんな彼等を、大家が酷く優しげに見て嬉しそうにそう言ったのだ。
その言葉の通り、彼等は家族だった。
血の繋がりなんてない。
境遇もそれぞれで、送ってきた生活も異なる。
偶々同じ時期にこの荘に集まり、けれど何時かは一人消え、また一人消え、そして新しい面子が加わってこの荘は成り立つのだろうと知りながらも。
そうッスよ!、と自慢げに微笑んだ子どもは誰だっただろう。
こいつらと?、と嫌そうな顔をしながらも笑みを浮かべた彼は。
………、と何時ものように無言で、でも諦めたように佇んでいた彼は。
…悪くない、と呟いたように見えた彼は。
皆と居ると楽しい、と花のように笑った彼女は。
良いね!、と本当に楽しそうに頷いた彼は。
嬉しいな、と綺麗な顔を綻ばせた彼は。
別に僕は…、と言いながら満更でもない顔をした彼は。
言葉もなく、けれど大きく頷いた、彼は。
(――――誰、だっただろう)
そして後一人は。
(だ、れ?)
俺は知らない。
どうしてその荘の事がすらすらと出て来るのかさえ分からない。
彼等がそう言った事とそんな感情を出した事は分かるのに。
肝心の彼等の名前が分からない。
(自分は一体どうしてしまったんだろう)
あぁ、そして。
(どうして、こんな事に)
痛みが左腕を行き来する。
熱が身体を飲み込もうとする。
その痛みと熱に思考が溶かされて、上手く考えられない。
考え続けて、いられない。
(どう、して…)
どうして自分の中には、何も、ないのだろう。
まるで人形みたいだ。
身体はあるのに中身はない。
記憶がない。
思い出がない。
何も、ない。
そんな、
あぁならば。
(何で、涙が出るんだろう…)
哀しい訳でもないのに。
苦しい訳でもないのに。
痛い訳でも、ないのに。
どうして、涙が。
(人形の癖に、変、な…の…―――)
そして流れた涙一粒。
その行き先を、誰も、知らない。
1日目 9:40
20091223