rainy day

[ ちぐはぐな関係続行中(そして多分、これからも) ]



 雨が降る。
 昊から地に。
 あいつから、俺に。





  踏み込まない、踏み込ませない、踏み込めない





 予感はあったんだ。
 朝、仕事に行く前に見上げた昊の色は、薄く広がった青。

(今日は、降るかも知れない)

 空気はからりと乾いていたのに、何故か、そう感じていた。





 一日の仕事を終えようやく家に、という開放感の中自室の扉を開ければ、其処には俺の家である限り居るはずの無い男が居て、なのに当然と言う顔で何処からか出した酒を飲んでいた。

「…………」

 それがもう両手で足りないくらいの回数にもなれば突っ込むのも嫌になる。
 逆に、そろそろかなぁ、なんて思っていた頃だ。
 もう何だか流されやすい自分の性格を改める気にもならない。
 俺は指摘する事も溜息を吐く事も何もかもを諦めて、その男の向かい側に座って予め用意されていたもう一つの器を取り、男の方へ押しやれば、男も流れるような所作で酒の瓶を傾ける。

「………」
「………」

 互いに何も言わなければ視線が交差する事も無い。
 早々に沈黙に飽きた俺は、じぃっと男の顔を見る事にした。

(あーあ、もうちょっと愛想がよければ、ほんとに綺麗な顔してんのになー)

 眉間による皺。
 しっかりと閉じられた口。
 視線を合わせまいと頑なに伏せられた瞳だけが睫毛の長さを主張してくるけれど。
 勿体無い、と思う。
 だけどそれは俺の前だけなのだと知っている。
 普段のこの男は今の様子からは在り得ないくらいの笑顔で人に接している。
 それだって限られた人だけの話だが、他の人間にだってこんな不機嫌な顔はしないだろう。

(まぁ、…分からない訳でもないけど)

 ぽつりと心の中で呟いた途端、伏せられていた瞳が俺を射抜いた。

「何人の顔をじろじろ見てるんですか」

 少し苛立ちの入った声に、小さく笑って。

「もうちょっと愛想がよければ、きれーな顔してんのになーって」
「タンタン君の前以外じゃ私は愛想が良いお兄さんですよ?」
「知ってるよ」

 そう、俺だけなのだ、この男の本心に近い顔を知っているのは。
 それに特別思う事はないし、あまり関心は無い。
 けれどずっと気にはなっている。
 この男は別段俺の事を嫌っているようではないのだ。
 嫌っていたらこんなに何度も無断で部屋に入り酒を飲み喋る事なんてないだろう。
 なのに顔は何時だって怒っているような、そんな顔。

(分からねぇ…)

 どうして此処に来る?
 此処には特別なものなんて何もない。
 質素な家具にまぁまぁ上等な酒、そして俺だけだ。
 何を求めて、この男は此処に来るのだろう。

(あぁ、そう言えば…)

 既に俺から視線を外してしまった目の前の男の表情。
 何処かで見た事があるような。
 記憶を浚っていって、見つけた答え。

「……そっか」

 急にそんな事を言ったから、目の前の麗人が何だこいつという風に睨んできた。
 そんな顔してももう分かってしまったら怖くない。
 にやりと笑って言い放つ。

「あんたの矛は笑顔で、盾が怒った顔なんだな」

 途端、睨みはきつくなる。
 あぁ本当にこの男は賢い、と思う瞬間だ。
 脈絡のない言葉も何処からか繋ぎ合わせてたった一瞬で一つの糸に編み合わせてしまう。
 けれど何も言わないのが答えだとも知ってるから、何だかそんな所はただの意地っ張りの子どもみたいだと笑った。

「いいんじゃないの? 此処でくらい」
「………タンタン君が居るじゃないですか」

 諦めたのか否定はしなかったけれど、拗ねたような口ぶりで反撃する。
 意外なところで子どもなこの男は、けれどきっとこんな口調も此処だけの事なのだろう。
 それを誇って良いのか溜息を吐けば良いのかは、よく分からないけれど。

「じゃあ何であんたは何時も俺んとこに来るんだよ」

 そう意地悪く言ってやれば、答えは返って来なかった。
 分かってるんだ、認めたくないのは。
 この男の矜持の高さは付き合いが浅くても分かってしまっているから。
 けれどそれでも、認めてしまった方が良い時もある。

「……今日のタンタン君は殺してやりたいくらい意地悪ですね」

 そんな気ないくせに、とは言わなかった。
 この男は本当に殺したい時には何も言わず殺すだろう。
 殺したいと思ってもその決意を胸に秘め口に出さずにいるだろう。
 そんな気がするだけだが、間違いではないと思う。

(後一歩)

 そう、思いながらも。

「はいはい。まぁ、無理強いはしないけどさ」

 認めさせるまでの後一歩を、俺は踏み出さなかった。
 ちょっとした勘だ。
 何だかその一歩はとてもとても大きなものに思えて。
 踏み出してしまったら、この男が、どうにかなってしまいそうで。

「まだ飲むだろ? 持ってくる」

 そんな躊躇いを見透かしたのか。
 それともただその瞬間が噛み合っただけなのか。
 背中を向けた瞬間に圧し掛かった重み。

「タンタン君」

 その声を聞いて、あぁ、逆らってはいけないと本能が告げる。
 怒ってもない、殺気立ってもないその声は、とてもとても静かで。
 そんな時、この男はとても寂しい顔をしているはずだから、叶えられる願いなら叶えてやりたいと思ってしまうのだ。
 だから多分、逆らってはいけない、と言うよりも、逆らえない、と言った方が正しいのかもしれない。

「タンタン君…」

 駆け引きは苦手だ。
 特にこの男を相手にしていては。
 多分そんな苦手意識を、相手も俺に対して持っている事だろう。

「はいはい」

 だからこそ、一番感情を曝け出すのが楽なんだろうと思う。
 駆け引きが出来ないからこそ、本音でぶつかり合うしかないから。

「今此処にいるのは」

 じわりと濡れる肩。

「俺と、あんただけ、だからね」

 知りながら、知らない振り。





 此処に来る時、何時だってこの男は不機嫌な顔だった。
 だったら来るなよと思ったし、実際にもそう言った。
 けれどこの男は何を好き好んでか此処に来る。
 此処しかないんだと、その行動で言われている気がして。
 だから放ってきた。
 最初は疲れているのかと思ったんだ。
 この男は俺以外の前ではほとんど笑顔を崩さないらしく、しかも自分の大切なお嬢様の前では決してその仮面を剥がさない。
 一番傍にいる時間が長い人間が一番笑顔を見せていたい相手だから、そりゃ疲れるだろ、と思って納得していたけど。
 不機嫌な顔をしているのに苛立った雰囲気がなかった。
 それどころか落ち込んだ風で。
 あぁ、と分かってしまった。
 その顔はまるで泣くのを堪える子どもの顔だと。
 泣くのが嫌で、眉根を寄せて唇を噛む、そんな表情だと、気付いてしまった。
 泣き場所を求めていたんだと、気付いてしまったから。

(泣いたら良いさ。せめて、此処だけでも)

 泣き場所を求めながら、それでも一言だって漏らさないこの男に少し哀しくなるけれど。

(……あぁ、ようやく降り始めたみたいだな)

 瞳を閉じた所為で敏感になった聴覚に届いた、トン、と窓を叩く小さな音。
 それはきっと連続して聞こえるようになって、けれどそう長くは降らないだろう。
 雲が晴れて、綺麗な星空が見えるかもしれない。

(その頃には、この男も泣き止むだろうか)

 それは、ただ個人的な希望でしか、ないのだけれど。





 雨が降る。
 昊から地に。
 あいつから、俺に。
 それでも何時か、雨は止むから。

(その瞬間を、待ってる)





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 20090401
〈あぁけれど、俺と出会う前、こいつに泣き場所はあったんだろうか、なんて。そんな哀しいことには気付かないふりをした。〉





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