夏祭り

[ never ending story ]



 電飾に彩られた人の道。
 水の中を揺れるゴールドフィッシュ。
 ぷかりと浮かんで沈む水風船。
 夢みたいな綿菓子が弾け、飴玉はキラキラと輝く。
 射的の鉄砲を持つ大人は子どもに還り。
 疲れて道端に佇む子どもは大人に孵る。
 藍色の昊は果てしなく、闇に溶けてしまいそう。
 そんな想いを一瞬の爆音が掻き消して。
 そして昊に散った、色取り取りの火の花々。
 それは現し世との別れを告げる音。
 夢の始まりを告げる音。





  彼岸と此岸の狭間にて





 日もとっくに暮れた頃。
 赤い提灯に火が点され、藍色の昊とは対照的な(あか)が上空から見れば一つの道になっている事だろう。
 その他にも好き勝手に点けられた様々な色の電飾が道を照らしている。
 屋台は道の両脇に陣取り、人はそれに釣られて立ち止まる。
 Tシャツ短パン、浴衣など、思い思いの格好をして、けれど一様に表情は明るく笑顔だ。

 ――今日は祭りだ、楽しまなくてどうする。

 そんな言葉すら聞こえてきそうな雰囲気の中、境内の隅に腰掛け盆踊りを見遣る一人の少年。
 倦怠と無感動なその表情はとても祭りを楽しんでいるようには見えず、現に彼は溜息ばかりを繰り返す。
 それはこの場の雰囲気と、そして健康的という形容が似合う彼と、僅かな食い違いを見せていた。
 そんな彼の表情が動いたのは、遠くから聞こえた誰かの声。

「――…せい…燕青?」

 恐らく彼の名前なのだろう。
 彼はちらりと名を呼ぶ誰かが居るであろう先を見て、そして境内から飛び降り、さっと身体を翻した。

「…燕青…、……?」

 また声が遠ざかっていく。
 彼が地を蹴る度に。
 腕が空を切る度に。
 逃げるように彼は走った。
 鬼ごっこで鬼に捕まらぬよう走る子どもみたいに。
 そこまでして彼を呼ぶ声から逃げたかったのか。
 実の所、彼自身もこうして走っている意味は分からなかった。





 随分奥まできたようだと気付いたのは、それから何分経った頃だろう。
 兎に角微かな疲労を感じて上半身を折り曲げ膝に手をついた燕青は、息を整える為に深く深く呼吸する。
 額を頬を首を伝う汗は夜風がそっと拭ってくれるのを感じながら、一度大きく息を吐いて燕青は姿勢を正した。
 きょろきょろと首を回せば、燕青は自分が森の只中に居るようだと理解した。
 漠然と不思議な感覚を感じ取って、燕青はそっと腕を擦った。
 (シン)とした木々に囲まれた此処が、酷く現実離れしているように感じて。

「……何処だよ」

 吐き捨てるようにそう言って、小さく小さく息を吐く。
 胸に疼く自分の苛立ちが、自分でも分からない。

(小姉上、怒ってっかな…)

 燕青、と優しく呼んだのは、彼が持つ二人の姉のうちの下の姉だった。
 別に喧嘩していた訳じゃない。
 ましてや本当に鬼ごっこなど演じている訳もなく。
 ただ自分の虫の居所が悪いだけなのに、と燕青は軽く自己嫌悪した。

(…何だろう)

 この胸の疼痛は、何故だろう。
 何かに苛立ってて、何かを拒んでて。

(何だろう)

 この土地に踏み込んでから、ずっとずっと抱えている痛みがある。
 何年かぶりの帰省が嫌だった訳でも、祖父や祖母に会うのが嫌だった訳でもない。
 逆に凄く楽しみだった。
 幼い頃ずっと住んでいたこの土地に少しの間でも帰れる事。
 離れ離れだった友達と会える事。
 そして丁度行われていた夏祭りに参加できる事。
 どれもが燕青の心を期待で震わせたのに。

(なのに、どうして)

 消せない苛立ちを隠す為に祖父や祖母に素っ気無い態度をとって、気を使わせて。
 夏祭りに誘ってくれた友達とも出かけず、勝手に家を飛び出した。
 きっと小姉上はそんな自分を心配して探してくれていたのに。

「…くそッ」

 分からない疑問にも、そんな自分にも苛立ちが募る。
 どうしようもないそれに後少しで爆発しそうになった時。

「誰、だ?」

 それまで木々の囁きしか聞かなかった耳に届いた、ひやりとした夜霧の声。
 バッと振り返れば、背後から少し距離を置いた所に人が立っていた。
 小さな白い影。
 それが喋ったのだと、燕青はしばらくして理解した。

「お、前こそ…誰だよ…」

 そう反論しながら、驚きに半歩、燕青は後退った。
 気配も何も感じなかったそいつのいきなりの登場に。
 そして、幽霊とさえ思えるその存在感の薄さと、その、姿に。

(消えそう…)

 そんな風に、綺麗、だった。

(薄紫の髪も。翡翠(みどり)の瞳も。雪白(まっしろ)な肌も)

 闇に浮き出るほどしっかりと色を持っているはずなのに、何処か霞みがちで。
 今強い風が吹けば連れて行ってしまいそう。

(そんな訳、ないのに)

 そう凝視する燕青の視線を物ともせず、その燕青よりも視線の低い彼は不意に昊を見上げて。

「……夏が終わるな」

 ぽつりとした言葉。
 言ったそいつは、何処か悲しげな瞳をして風に流れる髪をかき上げた。
 視線の先は昊に咲く花。
 消えては現れ、開いては散る。

「え? あ、あぁ…」

 突然の言葉に思考が付いていかず不自然に途切れた会話。
 それを誤魔化すように燕青は同じように昊を見上げ、そうだな、と小さく同意する。

(花火も佳境。つまりそれは、祭りが終りかけって事で)

 あぁならば、夏が終わればどうなってしまうのだろう。
 その光景は、この夜は、今日限りのもので、だから赤い提灯が消えれば屋台も撤退。
 人も家に向かって歩き出す。
 そして昊には星と月しか残らず、地上はただ夜が横たわるだけ。
 それはきっと寂しい。

(…あぁ、でも)

 ひゅるる、と細い音の後に、パンッ、と爆ぜる音。
 七色の花火が夜空のキャンパスに描かれて、燕青は確信する。
 自然と笑みが浮かんだ。

「夏はまた来るよ」

 確かに今日はもう来ない。
 今日鳴いていた蝉が明日鳴いてるとは限らない。
 全部が全部同じ、なんて時は二度と来ないけど。

「季節は巡り巡ってまた来るじゃん」

 その時にはまた花火はこの昊にあるだろう。
 誰かが言い出し、誰かが望んで。
 それはただ慣習であるという、酷く素っ気無い理由かもしれないけれど。

「また、見られるよ」

 そう言った自分の声音が表情が、自分らしくもなく優しい事に気付きたくなくて。

「………そうだな」

 そう言ったそいつの小さくて、けれど和らいだ声音が耳を擽るのが恥ずかしくて。

(綺麗だ)

 昊に咲く大輪の火の花をただ見つめた。
 そうする自分の心が嫌に穏やかな事にふと気がついて、燕青は首を傾げる。

(イライラがどっかいっちゃった)

 こいつの存在に気付いたあの驚きの瞬間に花火のように散り散りになってしまったのだろうか。

(つか、マジでこいつ誰?)

 落ち着いた心を取り戻した燕青は、答えてもらえなかった最初の疑問へと立ち返る。
 不思議な雰囲気に呑まれてしまったが、自分は今誰と会っているのだろう。
 此処ら辺の子だろうかとちらりと窃視した途端、燕青は僅かに目を見開いた。

「……、あ…」

 突然の閃き。
 何が引鉄(ひきがね)かは分からない。
 けれど。

(…そうだ)

 思い出した。
 昔々の夏祭り。
 俺がまだ小さくて、まだ全然ガキで。
 花火が打ち上げられる昊を見上げるのに必死で、花火を追いかけて、何時の間にか森の奥へと入って行ってた事があった。
 我武者羅に歩いてたから帰り道なんて分からない。
 茂った森は道を指し示してはくれず、夜昊に浮かんだ月も道を照らしてはくれなかった。
 それでも花火は綺麗で。
 それを見続けられるならそれで良いと馬鹿な事を考えた俺の背から聞こえた声。

『―――迷い子か?』

 振り返る。
 視界に入れたその姿。
 俺とあんまり変わんない。
 けれどその神秘さに、幼いながらにどうしてか心を奪われて。

(あぁ、そうだ)

 背まで伸びた薄紫の髪。
 夜の静寂(シジマ)を思わせる翡翠の瞳。
 華奢で白い身体は髪の色を、更に薄めた浅紫の生地に何かの花が描かれた着物に抱擁されて。

(お前、だよ)

 まるっきり。
 そのまま。
 お前じゃん。

(何で、会って直ぐ分からなかったんだろう)

 全然変わってなんかないのに。
 その姿も、その声音も。

(無表情な顔だって、あの頃のままで)

 恐る恐る話しかけた俺に、表情を動かさないまま、けどちゃんと答えてくれた。
 約束までしたんだ。
 また来年って。
 そして、お前を見つけた時何て呼びかければ良いのか分からないと言って、動かない表情のままあの時名前を教えてもらったじゃないか。
 名前は、―――そう。

「――…セイ」

 呼びかける。
 応えなど期待せず、ただ、確かめたくて。
 そうすれば、そいつは静かに緩やかに、微笑を広げて。

「遅かったな」

 それは、俺が正体に気付くのが遅かったと言う意味なのか。
 それとも、また来年とあの時言った言葉に対する皮肉なのか。
 そのどちらかのような。
 そのどちらものような。

(あぁ、けれど)

 笑って、くれた。
 その事だけで、燕青の心は温かい。

「ごめん」

 言い訳はしなかった。
 それが例え子どもの一瞬だけの約束で、忘れる事が許された年齢でも。
 急な引越しで此処から離れなくちゃいけなくて、そして帰って来る事が難しかったという事情があっても。

(ずっと待っててくれたんだ)

 偶然だなんて思わない。
 今日此処で俺とセイが再会出来た事。
 セイはきっと言わない気がするけど、待っててくれたんだと信じてる。
 俺が来るのを、此処で、この季節になると。
 ずっと。

(そんな奴に言い訳なんて出来ねぇよ)

 だから。

「ありがとな」

 何に対してなんて言わない。
 言わなくても通じる、こいつになら。
 思った通り、セイは何も言わず、でも満足げに笑った。

(その笑みは最後の花火に照らされて)

 綺麗、だった。





 ただいま、と言って深夜の門扉を潜れば、上の兄弟達に死ぬほど怒られた。
 それを両親と祖父母が笑いながら眺めてて、小さな妹と弟は何が何やら分からないままキャッキャと笑った。
 それでも珍しく大人しくお小言を食らった俺に驚いたのか、兄や姉達は早々に怒る事を放棄して。

「それにしても、お前は夏祭りに行ったくせに何も買ってこなかったのか?」

 手ぶらで帰った俺に呆れたように長兄が言った。
 それに茶々を入れたのは長姉だ。

「燕青の事だから食べ物ばっかり買ったんでしょうよ」

 で、直ぐ食べたのね。

 途端ドッと起こる笑い声。
 それは酷く温かく、心地良くて。
 俺も笑った。
 でも、と更に笑みを深めて。

「持って帰って来たよ」

 何を?、と俺に向く多くの視線に機嫌良く手を振るだけで返して。
 家族の間を擦り抜けて割り振られた部屋へと向かう。
 パタン、という小さな音を背に受けて、窓の傍へと足早に歩み寄って。
 星の輝きだけが見える夜昊を見た。

「何もないけど、此処にあるんだ」

 思い出した彼の姿。
 花火のように一瞬の後には消えてしまいそうな彼から。

『また、な』

 別れ際に貰ったその約束が、弾ける事なく今も俺の(ココ)で輝いてる。





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 20090831
〈夏休みの宝物。きっともう、失くさない。〉





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