世界が閉じた音を聞いた
[ 紅に染まる蒼空 ]甘い恋など、望むべくもない。
元より私達はそのように出来ては居なかったのに。
それは、冬の終わりかけの、教室で。
in closed room
「副会長、お疲れ様です」
「お先に失礼します」
礼儀正しく帰って行く後輩の言葉に、一つ一つ頷いて見送る。
パタンと扉が閉じられたのを見て、一息入れるように息を吐く。
窓の外を見てあぁ確かにもう帰らなければならない時間かと、下校時刻を知らせる鐘が鳴った時にも考えた事を再度思った。
夜はもう直ぐ其処まで迫っていた。
「まったく…」
考えてみれば、何故二年生の副会長の身で此処まで頑張らねばならないのか。
本来なら自分が手に持つ書類も、後輩への見送りも、全て生徒会長がやらねばならない事ではないのか。
憤りは顰めた眉に表れて、あぁけれど、と密やかにその力を抜くように溜息を吐く。
『生徒会長って誰だっけ』
学内生に尋ねれば、こんな答えが平然と返ってきそうで怖い。
自ら立候補し選出されたにも関わらず、 生徒会長の役職を手に入れたその人間はそれ以降まったくやる気を出さず生徒会とは何だとでも言いたげに学校生活を送っていた。
許される筈がない。
直ぐにも失脚か。
副会長に選ばれた自分は、そう思って高みの見物を決め込んでいたのに。
『お前に任せる』
その一言で、気侭な副会長という役職は生徒会長の権限も背負う役職へと一瞬で変化した。
拒否できるのならしたかった。
そう言うという事はつまり、出来なかったのだ。
生徒会長命令は絶対、などという悪習、けれど意外と何処にでもある校則の為に。
一瞬だけ生徒会長の権限を手に入れたそいつは、自分に全て押し付ける為に生徒会長になったのではないだろうか。
有り得ないことではないと、時たま本気で思う。
思えばおかしかった。
今まで何事も不真面目に適当にやりながら(それでも他人からの評価は愛想以外完璧だった)生きてきたあいつが、いきなり生徒会長になりたいなどと言い出した時には、明日から地球は逆回転でもする気なのかと思った。
まぁ当選する訳がないだろうと、普段の生活を見ていて考えた自分の見通しの甘さも祟った。
ついでにお前は副会長になれ、という誘いに適当に応じていたのも悪かった。
あいつは生徒会長に成り果せたし、自分も何故か副会長という座に収まった。
スピーカーを持って朝から演説、などという粋な事をする対抗勢力が確か居た筈なのだが、何故全く何もしなかった自分が当選したのだろう。
まぁあいつを生徒会長に選ぶような人間が大勢居るくらいだ。
そういう意味ではおかしくはない。
それにしても、と今更ながら考える。
「何であいつは会長になりたかったのだろうか」
そして自分は何故副会長…。
嫌がらせか?
有り得るな。
昔から何かと言えば自分の行動にあれこれ口を挟んで私を悩ませてきたあいつの事だ。
この年になってもまだその時の癖が出たのだろう。
だがしかし、限度がある。
そう腸が煮えくり返ったのを、昨日の事のように思い出せる。
副会長兼生徒会長。
順序のおかしいそれは、けれど決して間違いではない。
そしてその兼業によって自分の手で出来ない事はなくなった。
それに嬉しいと感じられれば、これほど悩む事はなかったのだろうが。
嬉しいものか。
吐き捨てるように、思う。
書類は毎日湯水のように沸き、留まる所を知らないし、何故か行事事の多いこの学校、一ヶ月に一つは必ず何かの行事について頭を悩ませなければならない。
そして何より――多分それが一番大きな問題だろう――自分が生徒会長より生徒会長らしくなってしまった事。
あいつの存在は最早問題児であって生徒会長とは認識されない。
生徒会室を覗けば居るのは必ずこの私。
朝礼の挨拶も、行事の時の祝辞なども自分が全てやっている。
学校の内外問わず、生徒会長は私、という認識が広まるのは、そう遅い事ではなかった。
だからこうして今もこんな遅くまで帰れずに居る。
「…どうしてくれよう」
今まで我慢し続けてきた。
私にしてはもった方だ。
感謝しろ。
「そろそろ何かが起こっても良い時期だ」
そう考えれば熱く沸いた心も少しばかりすっとする。
さて帰るか、と散らばった書類を調えていると。
ガラッ
突然扉が開いて。
「―――遅い」
そんな声が聞こえた。
この室でその声を再び聞こうとは思わなかった私は、ハッとそちらへ素早く視線をやった。
当然、思い描いた人物が閉めた扉に寄りかかるようにして立っていた。
「…どうしてお前が此処に居る」
引き摺り出した声は、無闇に掠れた。
それに鼻で笑ったそいつは悪びれもなく言い切った。
「生徒会長が生徒会室に居て何が悪い」
悪い。
理由がなくとも悪い。
取り敢えず、悪い。
「不満げだな」
「当たり前だろう」
素気無くこちらも言い切れば。
「私に八つ当たりするな」
「八つ当たり!?」
正当なこの怒りを何とする。
自分が何をしたのか時を遡って思い出せこの馬鹿が。
そう煮え滾る怒りを瞳に宿す私に、涼しげな顔をしてそいつは言い切った。
「私は生徒会長の権限を持っている。その権限においてお前に生徒会長代理を任せた。それを引き受けお前は不本意にも多忙に塗れた生活を送っているだろうが、それは正当な任命の結果だ」
それに対し怒るのは的が外れているにも程が在るぞと。
断れるものなら断っていた。
でも出来ない理由があった。
それを知っているのにそんな事を言う。
―――いっぺん地獄に落ちろ。
理性を掻き集め心の中で毒を吐いて均衡を保った私は、そいつの存在を無視して帰り支度をする。
「おい」
「………」
「こら」
「………」
「聞こえんのか」
「………」
「……」
「………」
「……清苑」
溜息と共に、ぐ、と腕を掴まれる。
振り払おうとして、けれど、出来ない。
力が違いすぎる。
くそ。
こいつに関しては、出来ない事ばかりだ。
逆らえない、抗えない、無視できない。
どうして。
「、なせ…ッ」
私はこうまでされても。
「離せ…!」
こいつを、嫌えないのだろう。
「―――離せ黎深!!」
そんな自分が大嫌いなのに。
変われない。
八つ当たり、という黎深の言葉は正確だ。
確かにそうに違いない。
焦りと苛立ちと嫌悪が綯い交ぜになった結果の怒り。
黎深はだから此処に来たのではないかとふと思う。
そろそろ何かが起こっても良い時期だと、私が思ったように。
そう考える私の耳を、黎深の声が、擽った。
「…誰が離すか、馬鹿が」
その言葉を証明するように、力が更に込められる。
痛い、と言う言葉は唇の痛みに消えた。
前髪で顔を隠すように俯いて、決して黎深を見なかった。
それでも手に取るように相手の表情が分かるのは。
声が教えてくれるからだと、思いたい。
「例えお前が私を嫌いでも」
清苑、と呼びかけて黎深は言う。
「私はお前を離さない」
雫が零れるようにひっそりと。
「私に縛られておけ、清苑」
花弁が舞うようにしっとりと。
「今までそうだったように、これからも」
だから。
「泣くな」
腕を掴む力が、弱められる。
と思ったら、引き寄せられて。
引力の変わりように驚き顔を黎深に向けた時。
「――――」
唇が、合わさる。
冬の木枯らしに似た秋風にかさつきもしない、黎深の。
気付き、慄き、突き放そうとした。
なのにまた、出来ない。
逃げようとするのに、逃げられない。
追って追って追われて。
突き放そうとしても、その手をとられて抱え込まれる。
終わりが見えない迷路に入り込んだような。
そんな心地に、似ていた。
息も継げない口付けが、言葉を奪い去って沈黙を作る。
何も言わないまま、何も言えないまま。
鍵のかけられていない密室の中で。
闇がその室を、食い尽くすまで。
20091020
〈嫌えない自分が、大嫌い。〉