銀鼠(四)

[ 初夏の一声 ]

 最近ずっと、漠然とした違和感を抱えていた。
 それは少し前に顔見知りになった子どもに会う時にだけ、ふと心に浮かぶ。
 だからこいつに原因があるのだろうと思うのだが。
(…何だ?)
 考えるものの、一向に答えは出ない。
 思い当たらない。
 靄のような不快感が、増すばかりで。
「……どうした?」
 小首を傾げて見上げてくる、翡翠と薄紅藤の色彩。
 そして。
「紅黎深」
 ゆっくりと紡がれた言葉に。
(――…そう、か)
 違和感の答えは、あまりにも簡単で。
 あぁけれど。
(……くだら、ない…)
 思って、何でもないと言い捨てて視線を逸らす。
(本当に、―――下らない)
 そう、言い聞かせるように、繰り返した。


  鈴蘭の離宮


 春が穏やかに過ぎ、あと少しで次の季節へと足を踏み入れる頃。黎深は勝手知ったる禁苑とでも言うように、何度目かの後宮近くまでの侵入を果たしていた。その足が止まったのは、それから少ししての事。
「……?」
 目を眇めるだけで疑問を表した黎深は、くるりと周りを見渡した。探す姿が、其処にはなくて。
(…何処だ?)
 黎深が今居る所は宮城の端。彼との出会いの場所。其処は、何時の間にか彼等が共に過ごす場へとなっていた。けれど其処に、彼がいない。
(何時もは何故か居る癖に)
 約束など彼等にはなかった。また会える確証などなければ、次は何時会えると明確に言い渡せる程互いに暇でもない。自由のきかない身だと彼らは分かっているから。それでもふらりと黎深が此処を訪れる時、彼は自然と其処にいた。約束もなく連絡もなく、それでも其処に。
(なのに…)
 ぴくり、と黎深の眉が顰められた。途端不快の色が見え始めて。
(態々来てやったにも関わらず何故いないんだあの餓鬼め)
 八つ当たりにも程がある事をさも当然のように心の中で言い放ち、黎深は踵を返した。けれどそれは、帰ろうとしたものではない。城門とはまた別の方向へと足を踏み出していた。
(………………散策の続きだ…)
 参内した当初の目的である散策は、黎深の独断で途中で打ち切られたままだった。まだ見ていない所は多分にある。
(……勧めてくれた兄上に悪い、し…)
 そう誰かに言い聞かせるように紡がれる言い訳が底を尽き始めた頃、黎深は足を止めた。視界に入った後ろ姿に、思わず。
(あれ、は…)
 カサリ、と鳴った沓音。微かなその一音で黎深の存在に気付いた相手が、振り返って。
「―――紅黎深、か」
 笑みを湛え零された、深い深い声。その人間を、黎深は。
「……私の」
 殺意と憎悪と侮蔑を込めて。
「私の名を、貴様が、呼ぶな」
 睨み付ける。
「紫、戩華…!」
(彩雲国の王。殺戮の覇王)
 何より。
(兄上を、闇に引きずり込んだ男…——)
 そんな黎深の昏い声と仇視の視線に、楽しそうに愉しそうに歪められた口元。それは明らかな、黎深への嘲笑。
「―――ッ!!
 それを見て瞬間溢れた殺意に、黎深は咄嗟に爪が皮膚に食い込む程拳を握った。そうしなければ動く事を止められなかった。目の前の男を殺す為に足を踏み出していただろう。けれどそうなれば辿り着く前に黎深が殺される。何処かに侍っているだろう王家の『影』に。喩えそれが、彼の実の兄でも。
「……ッ…」
 黎深は渾身の力で戩華から視線を引き剥がした。睨み付けていても殺せない。それに目的は此奴ではない。
(そうだ…こんな奴に構っている暇はない)
 怒りに目が眩んで忘れていた本来の目的を思い出し、何も言わず歩き出そうとした黎深。けれどそれを戩華の言葉が引き止めた。
「探しものは、私の息子か?」
 立ち止まったのは驚いたからではなかった。黒狼とあの狸の宰相を持つ王に、どうして知らない事があるだろう。ただ気に食わなかっただけだ。その、物言いが。
「…だったら」
 なんだ、と吐き捨てようとした言葉を遮って。
「其方には居ない。居るとすれば、離宮の方か」
 思わぬ言葉に黎深は僅かに瞠目した。振り返ったが、その時には既に戩華は黎深に背を向け歩き出していて。
「下を向いた小さな白い花が群れている場所だ。見れば分かる」
 どうでも良さそうに言葉を吐いて戩華はそのまま姿を消した。黎深は消えゆくその背を睨み、舌打ちを零した。余計な世話だと言うように。


 戩華の言葉から離宮に咲く花が何の花か、黎深は凡そ当たりを付けていた。そしてそれが分かれば、其処に彼が居る理由も自ずと分かる。
(母親か)
 確か病弱だったかと思い差し、それでも矢張り面白くないと黎深は憤然とした表情で毒突いた。
(あいつは何時もの場所に居ないし、会いたくもない奴と顔を合わせて尚且つ勝手に場所を教えて去っていくとは)
 厄日か。そうかそうなのか。
(というかあいつが全て悪いのではないか)
 そうに違いないと、黎深は逆立つ神経のまま離宮を目指した。彼等の間には確たる約束もない事をすっかり脳裏の隅に追いやって。そして暫くして見えた白の一群に、其処が目的の場所だと知る。
(さて、来たは良いが…)
 流石の黎深も離宮の中には這入れない。どうしようかと悩んでいると。
「―――紅黎深」
 同じ呼び方、違う声。それは最近漸く耳慣れた、大人と子どもの狭間の響き。その音源に素早く視線を走らせれば探していた人間が丁度離宮の裏から出てきた所だった。それを目にして何かに気付いた黎深は、僅かに眉を顰める。
「…清苑」
「済まない。探させてしまったか」
 そう言いながら黎深の傍に立った清苑は迷いもなく黎深を見詰め、口を開いた。
「今日は、母上とお話しする時間が長く――…」
  パシッ
 突然の鋭い音が、清苑の言葉を遮った。それは黎深が若干の手加減をして清苑を叩いた音。その音が響いただけで、黎深も清苑も、何も言わない。叩いた弁解も、叩かれた激昂も。その事に、黎深の心に鈍い痛みが波及して。
「……お前はまた」
 心の声が、そのまま黎深の口から零れ落ちる。
「私に、嘘を吐くのか」
 清苑が現れた時に目に付いた、僅かな疲労の色。乱れた服。それにこびり付く、少量の血の飛沫。
(それが、母親と話をしてきた姿だと?)
 笑いたくなって、けれど笑えない事に気が付いた。最初の邂逅の時のように躊躇いもなく吐かれた偽りの言の葉。それは余りにも浅はかな、二度目の虚言。
(私が分からない筈はないと知った上で…――)
 溢れるのは怒りではない。深淵を漂うような哀しみが、黎深の心を支配する。
「清苑…」
 そうして溜息と共に吐き出された己の名に清苑は小さく反応して、けれどそれに含まれる感情に気付いてか、何も言い返してこなかった。俯いた清苑の無言の肯定に、黎深はそっと叩いた頬を撫でた。
「…それも良い。所詮、私達は紫家と紅家。その間にあるものなど、真実よりも遙かに虚偽の方が多い。そして猜疑もまた、信頼に勝る」
 生まれた家が違う。それは己と相手の間に絶望的な壁があるようなもの。馴れ合う事は美徳ではなく、裏切りは悪徳ではない。騙し騙されの関係は連綿と続いてきた継承の行為に過ぎず、非難されるべきでも自責するべき事でもない。彼らが彩の名を持つ限り、個ではなく家に重きを置かなくてはならないから。だから間違っていないという黎深の言葉に。
「……ちが、う」
 清苑の、震えた否定。黎深は笑った。
「何が違う」
 お前は現にそれに沿った行動をとったのに。
 言い切った黎深。気付かなかった―――気付けなかった。悲哀に染められた心は、何時もなら気付く筈の変化を見逃した。だから吐いた、その言葉。瞬間、黎深の手が鋭く振り払われて。
(え…)
 払われた事よりも手を払い除けたと同時に上げられた清苑の顔に、黎深は驚いた。見開かれた瞳が写した光景。
(清苑…?)
 言葉を喪う。そして。
「―――馬鹿ッ…!」
 掠れた拒絶の言葉を吐き、清苑は黎深に背を向けて逃げるように走った。涙を湛えた翡翠の瞳を、黎深の心に焼き付けて。


 走っている為に揺れる吐息が邪魔だ。何故か不明瞭な視界が邪魔だ。何より。
『何が違う。お前は現にそれに沿った行動をとったのに』
 その言葉に傷付いた心が、邪魔だ。
(そう言われても当然だ)
 分かっているのに。押さえられなかった。その結果が先程の一場面。ただ、―――哀しくて。
「っ…は、…」
 走り疲れて徐行していき、終いには俯いて立ち止まる。眼の淵で何とか留まっていた涙が、一筋だけ細く零れていった。
「違う…」
 何もかもが違っていた。清苑から見た黎深。黎深から見た清苑。その、どちらもが。
(こんな筈では、なかったのに)
 黎深の情報は掴んでいた筈だった。紅家兄弟の中で最も才を開花させ、長兄を抑えて次期当主とささめかれる第二子。けれどその才を発揮せず、王家を厭い、心許す者は微々たる数。
 そんな彼の関心を奪うのが如何に難しいのか、分からない訳がない。そして清苑は黎深に興味は持てど、懇意にしたい訳では決してなかった。決して、清苑は。
(―――なのに、この状況は、なんだ?)
 初めての邂逅から今まで、何が気に入ったか黎深は度々清苑の元を訪れた。何をするでもなくただ座りただ喋りただ無為とも言える時間を共に過ごして。それではまるで…、と考えて、清苑は小さく頭を振った。
「……違うんだ…」
 昊を見上げる。何処までも広く、何処までも遠い昊。滲んでいく。
「こんな、筈では」
(何処から、間違ったのだろう)
 上手くやってきた筈だ。母に対しても祖父に対しても他の誰に対しても。自分を見失わず感情を動かさず冷静に計算尽くしの行動を取ってきた。心を動かす事も動かされる事も、一度だってなかったのに。ならば頬を流れるものは何だ。震える手は、何故。
(…あぁ、矢張り気付いた時に関係を断っておけば良かったんだ)
 でももう遅い。全て全て、手遅れで。清苑は昊を見たまま立ち竦んだ。その背に。
「馬鹿はどっちだ、馬鹿が」
 乱れる息を抑えた声。それは紛れもなく、黎深の。最早清苑は動かなかった。ただ声を背に受けて、ただ其処に在るだけ。それでも黎深は一方的に喋り続けた。
「まったく、何が気に喰わんのかは知らんが」
 遠い声が徐々に近付いてくる。
「私の来訪、私の存在、私の言葉。それらに思う事があるのなら」
 そして、ぴたりと停まった。
「言葉で示せ。何の為に口があると思っている」
 その言葉を最後に、其処は静寂に包まれた。言いたい事を言った黎深は静かに清苑の返答を待ち、ただ無言を貫く清苑の小さな後姿を見詰めるだけ。
 無音の時が過ぎ去る間、初夏の太陽が彼らの晒された肌を焼く。風は鈴蘭の香を運び、そして木や葉の間を駆け抜けて音を作る。そんな中で。
「……紅黎深」
 漸く清苑が口を開いた。落ち着いた声は、先程の動揺を悟らせない。けれど。
「貴方の、言う通りだ」
 直ぐにそれが、感情を押し殺した冷静さである事に気が付いた。それでも黎深は何も言わず、ただ清苑の言葉に耳を傾ける。今度は心意を零さず受け取る為に。
「私達は紫家と紅家。溝に流れる数多の虚偽と猜疑も否定しない。―――しかし」
 僅かに揺れた、声。
「私達は、でなければならないんだ」
 真実も信頼もない関係は、ただ悲しく空しいだけ。それでも、だ。
「紫家は他家との交流を求めない」
 何故ならそれは。
「相互依存へと繋がるだけだからだ」
 そうだ、黎深の言うように清苑は間違った事などしていない。紫家は孤高であらねばならない。孤独であらねばならない。孤雲であらねばならない。国を任された一族として、共存はしても依存してはいけないから。真実と信頼なんて一握りで良い。それ以上は国が傾く要因にこそなれ、繁栄の道を歩む要因にはならない。
「だから、そうでなければならなかったのに」
 清苑の声が、歪んだ。
「貴方は紅家なんだ。私が、紫家であるように」
 その言葉は、相手に自身に、言い聞かせるよう。実際その理は絶対の筈だった。彩の名を冠していれば幼少の頃より刷り込みのように教えられる。色と色は、決して交わりはしないのだと。
(あぁ、なのに)
「その紅家の貴方に、何の関係があると言う」
 震える清苑の声。まるでそれは、恐れるような。
「私がする事も傷付く事も嘘を吐く事も全て、貴方には何の関係もないのに」
 どうして心配そうな顔をする。どうして傷付いた顔をする。どうして怒った顔をする。私が傷付いた事で嘘を吐いた事で、どうして、貴方が。
「―――『嫌いだ』って、言ったのに」
 だから安心していた。もしかしたら二度と会いに来ないかもしれないとも期待した。けれど、それだけでは終わらなかった。
(終わらなかった? …――違う!)
 知らず、清苑は唇を噛み締めた。あのまま終わったかもしれない黎深との縁。
(終わらせなかったのは、……私の、方だ)
 思い出す、最初の邂逅での黎深を。まるで清苑が偶然見付けた弟のような顔をしていた。寂しいと零したあの子のような。だからなのだろう。黎深が二度目に訪問してきた時、清苑には会わないという選択肢もあったのに、気付けば黎深の前に姿を現していた。自滅にも等しい行為だと知りながら、それからも清苑は黎深が来る度に会い続けた。
 黎深が持つ紅の名の脅威に。黎深の言動の端々に見られる優しさに。それに絆される己の心に。会う度に増えていく矛盾ばかりの言い訳に。清苑は気付いていたのに。
(本当に、私は愚かだ)
 黎深にも言われた事だと自嘲する。けれどそうした所で結局何も変わらない。きっと知られてしまった。隠しようもない。彼には、どうしたって。
(色同士が交わってはいけないのだと教えてくれた、あの人には)
 殺される。殺してしまう。清苑が。黎深を。紅家を。
(私の、所為で)
 震える小さな肩。また溢れそうになる雫を、何と名付ければ良い。それすら分からず、ただ拳を握り締めて耐えていた清苑の耳に届いたのは。
「自惚れるな―――紫清苑」
 世界に切り込む冬風を思わせる声。思わず振り返った清苑を真正面から睨む眼が、それに拍車をかける。
「私は紅黎深。権力に阿る愚行は犯さぬ。財力に溺れる道楽はせぬ。例え唯一が絶対の王であっても、垂れる頭は持ち合わせぬ」
 朗々とした宣言に、迷いなど一切ない。
「私を動かせるのはただ一人。それは決して貴様ではない」
 そう断言した黎深は、ふっと冷たい雰囲気を解いて「第一」と溜息を吐く。
「お前を利用してまで国を動かす気が私にあると、本気で思っているのか?」
「……それ、は…」
「なら私が紅家である事に何の問題がある」
 言い淀む清苑に畳み掛けるように黎深は言った。確かにそうかもしれないと清苑はふと思い差す。黎深は国政にも権力にも財力にも興味がない。それどころか、世界の殆どに興味がない。彼が執着するのは彼の周りに点在する幾人かの人間だけであって、もし彼が兄弟のいない一人の子であれば、紅家の嫡流は途絶えて居た事だろう。そのような想像するのは酷く容易かった。そんな彼と自分が依存し合う関係になるとは、到底思えない。
「清苑、お前は家に拘りすぎる」
 地面を向いていた清苑の視線が、その言葉に戻される。呆れた声と同様、呆れた顔の黎深。
「お前が私を姓名で呼ぶのも、それの表れなのだろうが」
 そうなのだろうか。指摘されて初めて清苑は思った。自分に黎深に、自分達の家は違うのだと無意識的に距離を取りたかったのか。結局無駄に終わったが、と清苑は溜息を吐いた。
(……大丈夫、なのだろうか)
 黎深の言葉に納得はしても、清苑の疑念は晴れなかった。いつ何時、黎深の心が変わるとも知れない。それが、怖い。
「―――清苑」
 その疑念に沈み込んでいきそうな清苑を呼ぶ黎深の声に、清苑は自分の考えが見透かされている事を悟った。僅かに苦笑する。どうして黎深は分かってしまうのだろう。嘘も心も痛みも。けれど、それを不快だとは思わない。
「一度しか言わないからな」
 大きく区切った言葉の間、黎深は初めて、視覚的に分かる程優しく笑った。それに戸惑う清苑の顔を見詰めて、静かに零す。
「私は王家が嫌いだ。大嫌いだ。紫姓を持つ者は全て、分け隔てなく憎んでいる」
 ―――けれど。
は、嫌いではない」
 その言葉に清苑の唇が戦慄く。噛み締めて、悟った。黎深の言いたい事。自分が、言うべき事。
(……詭弁だ。言い訳にも、ならない)
 そうと分かってて打ち震える心はなんだろう。伺い見るような視線を遣っても、黎深はもう何も答えない。後は清苑がその決意を言葉にするだけだ。それは並大抵の事では、なかったけれど。
「………」
 す…、と一瞬瞑目し、直ぐに清苑は黎深を見る。まだ微かに惑うように揺れる視線。それでも、小さく口元が動いて。そして呟いたのは。
「―――……黎、深…」
 黎深の、名。今まで一度だって清苑が呼ばなかった呼び方。その呼び方だって、消えそうに儚く、危うい声。それでも清苑は呼んだのだ、黎深を。紅の名を呼ばずに。
「…それで、良い」
 何処からか溢れた歓喜に声が震えそうになるのを堪えて、黎深はただそう言った。違和感は、何処にもない。


 その事があってからは、徐々にではあるものの清苑も黎深を名で呼ぶようになった。そんなある日。
「ところで、あの時私が母上の離宮に居ると誰から聞いた?」
 ふとした疑問。そんな風に清苑が聞くから。
「適当に歩いて行き付いただけだ」
 大して重要ではないだろうと、王の名を出したくなかった黎深はそう答えた。案の定、清苑はその答えを疑う素振りも見せず頷いて。
「そうか」
 安堵したように、笑った。そんな、彼の名を出せば得られなかっただろう穏やかな時が、ゆっくりと流れていく。


(名で呼ばれる事に、慣れてない)
 それは、呼んでほしい人間が少ないからだろうか。
(―――けれど)
「黎深…」
 しょうがないな、と笑うように兄上が呼ぶのが好きだ。
「黎深ってば!」
 何時も呆れてるか怒ってるかの百合が呼ぶ声も、まぁ、好きだ。
「……黎兄上」
 呆れた声が大半の玖琅の呼び声も、嫌いではないような気がしなくもない。
(あぁ、そして)
『……黎、深…』
 浮かぶ小さな人影。壊れ物を抱くような、声。その声に含まれる感情を、知っている。
(清苑)
 それは多分、温かいもので。
(お前に呼ばれるのも、悪くない)
 扇の下で、黎深は満足そうに笑んだ。


20090521
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