子どもであるという事

[ boys don't cry ]



 目線の差。
 学力の差。
 年齢の差。
 経験の差。
 それらは全て。
 人生の差。

(それって、どうしようもない事)





  喪ったもの。喪いたいもの





 毎朝同じ時間にふと目が醒める。
 時計のアラームなんて要らない。
 いくらタルタロスで疲れていても、ずっと変わらなかった。
 母さんが死んでから、何故か、ずっと。
 そして手早く制服に着替えて、鏡の前で髪を撫で付ける。
 少しクセっ毛の僕は、髪を何とかしようと奮闘しては諦めるの繰り返し。
 それでも毎回頑張ろうとする自分がなんだか凄く子ども染みてて、ちょっぴり自己嫌悪。
 そんな気分を顔を洗う事で払拭し、もう一度鏡で自分の姿を確認してから部屋を出る。
 階下に降りれば、其処には殆どの人が集まっていた。

「おはようございます」

 広いラウンジに点在する人達全員に届くようにと幾分大きめの声で言えば、ちゃんと聞こえたようで、あちらこちらから「おはよう」の声。
 それに満足し、自分の朝食を用意する。
 普通の寮でない此処に食堂はなく寮母さんも居ない。
 自分の食事は自分で、が暗黙の了解になっていた。
 当番制にしようかという話も昔出たらしいけど、何故か有耶無耶のままに終わったみたい。
 誰かがすっごい料理を作ったんだろうか。

(案外、美鶴さんだったりして)

 真田さんも然程料理が得意とは思えないが(食べている物を見て何となく)、それでもボクシングの試合の為に減量している時は自分で色々と作っていた。
 それを思えば、お嬢様である美鶴さんが料理を作るというのはピンと来ない。
 キッチンに立ってる姿、見た事ないし。
 そんな事を思っている間に朝食の準備を終え、テーブルへと向かう。

「よっ、と」

 朝食を乗せたトレイを両手に持ったまま足で椅子を引こうとしたら、見事に失敗。
 けれど諦めず何度か試していたら。

「あ」

 ひょい、と左横から出た手が椅子を引っ張ってくれた。
 パッと仰ぎ見れば、其処には遠くに居たはずの真田さんが、笑みを浮かべて立っていた。

「あ、ありがとうございます」
「気にするな。ただ、少し行儀が悪いぞ」

 そう言いながらも怒った風ではない事に少し救われながら、ごめんなさいと僕は言い、トレイをテーブルの上に置いて椅子に座った。
 その横に真田さんも座り、まじまじと僕が作った朝食を見る。

「凄いもんだな」
「え?」
「ほんと、小学生が作ったとは思えねー」
「あ、順平さん」

 右を向けば、今度は順平さんが居た。
 二人の感嘆の声と表情に挟まれて、何だかちょっと照れくさい。

「そうですか? そんなに難しい料理じゃないんですけど…」

 でも言葉ではさらりとそんな事を言う。
 それは殆ど反射の行動で、絶対に子どもみたいにはしゃいだりしない。
 言わない。
 笑わない。
 そんな僕を最初は戸惑ったように扱っていた彼等は、けれどもう慣れたみたいで、今もその言葉に特別反応する事はなかった。

「そうなのか? まぁ、俺には無理だな」
「俺も料理はてんでダメ。お手上げ侍。自分で作れねぇから、寮に来て外食増えたし。だから天田が食べてるもん見ると、すっげーって素直に感心するぜ」

 そう語り合う彼等は、一体どんな子ども時代を送ったのだろう。
 ふと、そんな事を思った。

(真田さんは今のように落ち着いてたのかな。順平さんは?)

 あれこれを考えながら二人をじっと眺めていれば、その視線に気付いた彼等もまたじっと僕を眺めてきた。

「あ、すみません。何でもないです」

 言って僕は食べる事に集中し始める。
 順平さんは暫くの間僕を挟んで真田さんと話していたけど、ゆかりさんに呼ばれてソファの方へと行ってしまった。
 残された真田さんはじっと沈黙を守ったまま僕の隣に鎮座して、僕の一挙手一投足を見逃さないというように凝視していた。
 それが酷く居心地が悪いものであったかと言うと、そうではなくて。
 その視線が酷く優しいものである事に、僕は気が付いていた。
 それでも変な緊張が僕に圧し掛かり、ただ早く食べ終える事に活路を見出す。

「ごちそうさまでした」

 両手を合わせてその言葉を言い、僕はようやく水面に顔を出した水泳選手のように大きく呼吸をした。
 真田さんはそれを見て微かに笑ったようだが、何も言う事はなかった。
 代わりに僕の頭をぽんぽんと優しく叩いただけ。
 けれどどうもその行為が真田さんの中の僕に対するイメージを表しているようで、僕の中に真田さんに対しては滅多に感じないちくちくとした感情が芽生える。
 そして、それが表に出てしまった。

「…そういうの、止めてください」

 自分自身が驚くほどの、冷たい、声。
 気付いた瞬間、僕は真田さんをぱっと見上げていた。
 けれど、真田さんは予めその反応を知っていたかのように、その表情には何もない。
 怒りも。
 驚きすらも。
 ただ少し、笑みに暗い何かが混じったように感じて。

「……そうか」

 そうして出されたのは、溜息を零すような声だった。
 ひっそりとした静かなそれは、僕の心をきゅうと締め付ける。
 そうさせる何かが、その声には確かに潜んでいた。

「あ、の…」

 まるで真田さんの大切な何かを壊してしまったような罪悪感が胸に湧く。
 正体の分からないそれの為に謝ろうとした僕に真田さんは瞬時に気付き、首を横に振って拒絶した。
 そうして欲しい訳じゃないんだと。
 そしてそっと僕への言葉を紡いで織る。

「…悪かったな。お前があぁいうのを嫌っているというのは、重々承知していたんだが」

 思わず手が出てしまった、と自身の手を眺める真田さん。
 それを通じて何かを見ているのだろう。
 懐かしむように瞳が僅かに伏せられた。

「だが」

 そしてまたその瞳は現実を映して、僕の目を射抜く。
 真田さんがそのつもりでない事は分かったけれど、睨まれているような気が、した。

「大事にしろ、天田」

 思わぬ言葉に、え…、と目を見張った僕を見つめながら、真田さんは静かに言う。

「今この時は二度はない。たった一度きりの、掛け替えのないものだ」

 人生は砂時計ではない。
 戻れないのだ。
 例え逆さにしたところで、
 零れ落ちる砂の順番は、落ちる前のそれとは違うのだから。

「子どもは大人になれるが、大人は子どもに戻れないからな」

 だから、大事にしろよ。

 その言葉を最後に口を閉ざした真田さん。
 僕は一度口を開こうとして、けれど何も言う言葉がない事に気付いてもう一度閉じる。
 真田さんの言う事は、当然、の、事だ。
 当たり前過ぎて、真田さんの口調に混じる真剣さが却って僕を困惑させる。
 それでも何とか返事を、と僕は口を無理矢理抉じ開けて。

「…は、い」

 他に言いようが思い付かず、取り合えず僕は神妙に頷くだけに留めた。
 それに真田さんは小さく笑って、席を立つ。
 そろそろ部活に行ってくる、と言い残し、いってらっしゃい、というたくさんの声を背に受けて扉の向こう側へと消えた。
 じっとその背を見続けた僕は、時間を忘れて考え込む。

(何だろう…何を真田さんは言いたかったんだろう)

 うんうん、と考え続ける僕に声を掛けたのはリーダーの彼で、もうみんな行くけど、と言われて時計を見れば何時も出ている時間を少し過ぎていた。
 すみません、と慌ててキッチンへと行き、帰ってから洗うから、と誰に言い訳するでもなく心の中で呟いて、鞄を持って彼等が待つラウンジへと走っていった。

「大丈夫だよ、天田君」
「そーそ。桐条先輩もさっき行った所だしね」
「遅刻にはならねーよ」

 風花さん、ゆかりさん、順平さんの言葉に、リーダーの彼も微かに頷いて肯定する。
 慰めの連続に、ありがとうございます、と返せば、気にするなと朗らかに笑う彼等。
 子どもの笑顔に大人の気遣い。
 けれどそれが不自然さを感じさせる事はない。
 彼等はそれを自然と実践しているのだ。
 恐らく、無意識に。

(そんな彼等は、子どもなのだろうか。大人なのだろうか)

 楽しそうに会話を続ける彼等を観察するように見ながら僕は首を傾げた。
 そのどちらものような、どちらでもないような。
 結局その回答を得るには至らず途中で挫折する。
 ただ分かっているのは。

(真田さんはもう、子どもではないという事)





 授業を終えて帰宅。
 夜になればリーダーの彼がタルタロスへ行こうと言い、皆で豹変した学校へと急いだ。
 闇はもう怖くない。
 お化け屋敷を更にグロテスクに改造したような学校にも慣れた。
 蠢く異形のシャドウも。
 街の至る所に置かれた物言わぬ棺も。
 嫌な予感しかさせない緑色の月。
 誰も知らない、影時間にも。

(そして、僕自身の、異質の力にだって)

 それらはもう当然のものとして受け止める事柄で、特別な事ではない。
 自然と身についたもの。
 息を吸うように出来る事。
 例えば、そう。

(僕が子どもであろうとしないように)

 そして風花さんがシャドウの存在を感知して、戦闘の始まりを宣誓する。

『敵三体。強敵です。気をつけて!』

 一気に緊張が高まり皆の視線が鋭くなる。
 立ちはだかるシャドウ。
 逃さない。
 誰かがダメージを負っても、他の誰かが助けまた他の誰かがシャドウを攻撃する。
 そんな戦いを繰り返して。

「残りはヤツだけだ!」

 真田さんの昂揚した声。
 僕の、出番だ。

「僕だって!」

 銃口を自身に向ける。
 それは覚悟の証。
 敵を倒す為の覚悟は、恐怖を乗り越えた先にあるのだと。
 僕は引鉄を引く事を決めた。
 何時までたってもその瞬間には慣れないけれど。
 引かない事を選択する事は、もう出来ないんだ。
 人差し指に力を込め、そして呼ぶ。
 僕のペルソナを。

「カーラ・ネミ!」

 弱っていたシャドウは、僕の攻撃に耐え切れず消滅した。

「このくらいは軽いですね!」

 よし、と小さく拳を握った時、緊張を解いた顔の真田さんと目が合った。

「――――」

 口パクで何かを言われて内容は分からなかったけれど、その表情から褒められているのは分かった。
 にこりと笑うと、真田さんは力強く頷いてくれて。
 嬉しく、なる。

(僕だってシャドウを倒す技術は一人前なんだ)

 そう認められた気がして。
 次の探索が始まってもその嬉しさの濃度が薄くなる事はなく、そしてだからと言って失敗もしなかった自分を全て終わった後内心でひっそりと褒めた。

「帰ろうか」

 リーダーの彼の言葉に、ほっと息を吐く。
 喜びに浸りながらも緊張感を忘れなかった所為で身体が強張っていた。
 解すように回す肩を、トン、と叩いたのは、真田さんだった。

「お疲れ様です」
「あぁ、天田も。よく頑張ったな」
「ありがとうございます」

 晴れやかに笑うと、真田さんも微笑み返してくれた。
 その笑みは昼間のそれとは違い、暗い何かを含まない。
 それが酷く嬉しくて、少しだけ、有頂天になっていた。
 だから順平さんが夜更かししようと言うのを、何時もなら断るのに快諾してしまった。
 どうせこんな高揚した気分で寝付けるとは思っていなかった。
 それなら一人ベッドで膝を抱えるよりも、皆と楽しい時間を過ごしたいと思ったんだ。
 けれど。

「ダメだ」

 さっきの笑みを見つけられない、厳しい顔。

「小学生に夜更かしを勧めるな」

 真田さんが、怒ってた。
 叱責は主に順平さんに向けられたけれど、僕の言い分が通りそうにはなかった。
 何より、何も言える雰囲気でも、何かを主張したいと思う気持ちも、最早なくなっていた。
 悲しかった。
 悔しかった。
 何処かが、痛かった。

(やっぱり、僕は)

 その先の言葉を噛み殺して、早く寝ろ、と皆を急かす真田さんへと向き直る。
 怒りは持たなかった。
 ただ分かってもらえない寂しさだけを抱いて、小さく、言った。

「……おやすみなさい」





 パタンと扉を閉じる。
 自分だけの世界に入り込む。
 その世界の中心で、僕は小さく小さく息を吐く。

(あぁほらね)

 不貞腐れた思いで、心の中に吐き出した。

(僕は貴方にとってただのガキなのさ)

 ちぇっ、と僕は舌打ちして、意識の中で爪先だけに掛けていた体重を足の裏全体で受け止める。
 つまり子どもという存在に立ち返ったのだ。
 そうして見えてた世界が一気に低くなる。
 たったそれだけの事で僕は泣き叫びたくなるくらい寂しかった。

(それがどうしようもない事だから、尚の事)

 願ったところで年齢を重ねられる訳でも身長が伸びる訳でもない。
 想いだけではどうしようもないのだと。
 そう突き付けられた気がしたから。

(子どもであると言う事は、つまりそういう事)

 同じ目線で話をしてくれない。
 どれだけこちらが背伸びをしてその差を縮めようと努力したって関係がないのだ。
 意味が、ない。

(それがどれだけ辛い事なのか、きっと真田さんは知らないんだ)

 僕が背伸びして手を伸ばして欲しがっているものは、輝くばかりに存在を主張し取ってごらんという風に悠然と其処に在るのに、決して手の届かない太陽みたいなものなのだ。

(焦がれてる。それを取った後の世界を)

 そうすれば太陽がなくなった世界は暗闇に埋もれてしまうだろう。
 そしてもう二度と戻れない。
 光を欲しても足元を見たくても。
 進むべき道が見えなくなる。
 明るい世界を望めない。
 それが今朝の真田さんの言いたかった事だろうか。
 明るい世界に居たいのなら、太陽を掴もうなどとは考えない事だと。

(あぁ、だとしても僕は)

 窓を、見る。
 銀色の少し欠けた月。
 何処か彼の人を想起させるそれを見上げながら。
 僕は涙を零したような声を出す。

「―――そんなもの、要らないのに」

 夜はその言葉を隠して、知らないフリをする。
 影時間は既に終わって、一日が始まっているのに。
 僕は喪いたくても喪えない差を抱えながら、部屋の真ん中で立ち尽くしていた。





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 20091123
〈啜り泣く。心の中で、そっと、そっと。〉





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