世界は僕達だけで完結している

[ 僕らの恋は影時間のようなもの。つまりは僕らの内にのみ存在するという事 ]



「影時間の存在を知ってる事を、損か得かと考えれば、だと?」
「えぇ」

 ベッドに寝そべりながら後輩はじっと窓の外を見続けた。
 その目は何処か燦めいていて、それは緑色の月の光を受けているから、では説明できない何かがあった。
 それについて真田はある種の見解を持っていたけれど、今はその事を置いて彼の言葉を考える。

「まぁ、俺にしてみれば得だな」
「何故?、なんて聞きませんよ」
「ん?」
「〈約一時間、他の人間より多くトレーニング出来るから〉、でしょ?」

 違います?、と聞く彼は楽しげで、笑えば瞳の輝きは隠れて見えない。
 その事にホッとしたのか、真田は言葉少なにこくんと頷くだけに留めておいた。
 素直で幼いその仕草に彼はそっかと真田を愛おしそうに見て、けれどまたふと視線は窓の外へと向いてしまう。
 目標は相も変わらず不気味に光る翠の月。
 真田はそれを少しばかり面白くなさそうに見たが、再度喋り始めた彼に遠慮してか、口は挟まなかった。

「けど、然程トレーニングを必要としていない一般的な学生の僕等から言えば、些か影時間はスリリングがありすぎる」

 命の危険も、ありますからね。

 のんびりと言われた言葉に、真田はくっと唇を引き結んだ。
 忘れている訳ではないが、真田はどうもそこら辺の認識が甘い。
 桐条からも度々言われてはいるが、トレーニング感覚が抜けきらない。
 自分の力を過信してはいないし、当然、真田自身、何時も全力で臨んでいるからこそ無事でいられている。
 けれどそれは、仲間がいる事への安心と、便利な道具に頼り切っているから、と言えなくもない。

(一つ間違えば、俺は…)

 強くなりたいと想う気持ちは何時もある。
 けれどそれに他人の命を天秤にかけてはいけないのだ。
 仲間がいると言うことはつまり仲間の命を背負っていると言うこと。
 自分が仲間にとってそうであるように。
 自分がその引き金になってはいけない。
 自分の為に、誰かを喪いたくはない。
 もう二度と…もう、二度と。

「…そうだな」

 だから真田はさっき以上に素直に頷いた。
 彼は月を見ながら、その返答に満足したように笑みを深めた。

「それに、影時間も一時間は一時間。棺桶にならない僕等はその分他の人より年を取っているんでしょうし」
「む、そう言えばそうだな」
「一年で…十五日くらいですか」
「二十四年くらいで一年分、人より老いている筈だな」
「うわ、気付きたくなかった」

 声を上げて笑う彼は、先ほどとは違ってこの影時間を楽しんでいるようにも見えて、真田は戸惑った風に彼を見て、また思考に耽った。
 そう、知っているだけでこんなにも違う。
 人と違う。
 世界と隔絶している気がする。
 なのに、普通の人と同じように生きて、世界の影で戦って。
 美鶴は贖罪の為に身を捧げているし、せめて自分のように格好のトレーニングとでも思えればいいが、後輩達にはそのような後付けの理由は殆どない。
 力を持っていた。
 それを見込んでこちらが頼んで使って貰っている、という具合。
 見返りなんて見込めないし、ただ危険な遊びと言ってしまうには責任は重く、任務の内容も危なすぎるだろう。
 なのに何故彼等は戦うのか。
 そして何故、此奴は戦うのだろう。
 それは以前から思っていた疑問だ。
 岳羽や伊織、山岸は兎も角、彼だけは常に何故が付きまとう。
 理由が思い至らないのだ。
 きっかけがあるのならまだ良い。
 それもない。
 何故?、と問うた事が一度あるが、彼はただ、ひっそりと笑って「世界を守りたいから」と言った。
 それは大層立派な理由だったが、真田は信じていない。
 そんな大義名分で動かされる人間でないことは疾うに知っている。
 此奴が動くのはもっと自分勝手な理由だと付き合う中で真田は見抜いていた。
 結局分からないまま月日は流れていた。
 その疑問すら薄らいでいたが、思い出した今、また聞いてみるのも良いかもしれない。
 そう思い、そのままの言葉で聞いてみれば。

「あれ、前にも言いませんでしたか?」
「あぁ、確かに聞いたが…」
「じゃあその時の答えと、今も一緒です」
「世界の為、か?」
「えぇ。世界の為、です」

 何かを含んだ笑みを浮かべた彼に、真田は不満げな顔を隠さない。
 肝心な事を言わないのは何時もの事だ。
 彼自身は真田のありとあらゆる事を知りたがる癖に。

「真田先輩」
「…なんだ」
「拗ねないでください」
「…拗ねてない」
「じゃあむくれないで」
「むくれてない」
「意地っ張り」
「嘘吐き」

 すっかり臍を曲げてしまった真田は、彼から視線を引きはがすと部屋を出て行こうとした。
 勘付いた彼が素早く真田の右手を引きベッドに引き入れようとするも、すんでのところで左手が倒れる身体の支えとなり、彼の目論見は中途半端な形で真田を引き留める役目を担った。
 真田に覆い被さられる体勢となった彼は新鮮なその光景に深く笑むも、顔を背けている真田は気が付かない。
 そこでふと、窓から差し込む不気味な緑色の月光すら真田の銀髪にかかればただ美しさを引き立たせる照明に落ち着く事に気が付いて、この恐怖の時間を支配する闇に彼は少しばかり同情した。
 それは本当に少しで、その事で一層募ったのは真田への愛情だったけれど。

「………何ニヤニヤしてるんだ」
「あれ、分かりました? 僕のこと見てなかったのに」
「ふん。見なくともお前の表情くらい、分かるんだからな」

 負けん気の強さと、そして他人じゃ絶対に分からない彼の感情の機微への理解。
 息をするようにそれを実行する真田を、彼は心から好きだった。
 それは彼の笑みに現れ、そして真田への愛しさは彼の手を動かし真田の髪をさらりさらりと撫でる手付きに現れた。

「先輩、綺麗」
「……何が」
「先輩が、綺麗」
「……嘘吐き」

 意地っ張り、と言いたくて、けれど今それを言ってしまえば、折角髪を撫でられて心地よさそうにとろんとする瞳が、敵を射貫くような鋭い瞳へと早変わりしそうだったから、彼は賢明にも口を噤んで呑み込んだ。
 代わりに、彼は。

「ねぇ、先輩」
「ん?」
「さっきの、僕が何の為に戦うのかって理由」
「あぁ」
「少しだけ、嘘吐きました」
「…どんな?」
「僕は、貴方がいる世界を守りたい」
「………」
「それじゃ、理由になりませんか?」

 愛撫に似る程優しく髪を撫でられて微睡んでいた真田は、その言葉に目を醒ましたように彼を見た。
 戸惑いがその瞳の中を駆けたのを見ながら、彼は真田から目を逸らさない。
 長い沈黙と視線の遣り取りの後、真田は観念したよう一瞬瞳を逸らすと、溜息を吐いてまた彼に向き直った。

「それは、その、俺でなければ、ならないのか?」
「当然です。貴方でなければ意味がないし、貴方がいなければ世界なんてどうだって良いんです」
「……」
「なんて、言い過ぎですけど」

 真田の困った顔に、彼はくすりと笑う。
 (あなが)ち間違いではないが、強く言いすぎると真田は拒んでしまうかも知れない。
 拒まれる事は辛かった。
 想い想われの関係が成り立つ今も、それが彼の唯一の恐怖と言っても良い。
 それは彼の足された言葉で危機を脱し、真田は戸惑いを薄め、苦笑を口元に浮かべる。

「お前は思い込んだら一途だからな、お前の言葉は、偶に怖い」
「そうですか?」
「あぁ。どきどきする」
「そういう意味じゃない方でどきどきして欲しいですけど」
「知らなかったのか?」
「え?」

 聞き返した途端、体重を支えていた左腕が肘までベッドに横たわる。
 同時に、彼の身体との密着度が急激に高まって。
 真田は一瞬焦った表情を見せた彼の瞳を意地悪く見つめて、直ぐに耳に口寄せた。

「(お前が俺を見ている時も見ていない時も、俺は常にどきどきしてるぞ)」

 笑みを孕んだそれが何処まで本当かなんて彼に知る術はない。
 それでもそんな睦言を言われるくらいには真田に心を許されているという事実が、彼の頬を熱くし心を強く強く締め付ける。

「先輩」
「何だ?」
「僕も、どきどきしました」
「そうか」

 若干寿命が縮んだという事だな、と憎まれ口を叩く真田の唇を奪いながら彼は思う。

(貴方と出会えて、ほんと良かった!)





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 20100901
〈めでたしめでたし! 〉





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