酒は言葉に羽を生やす

[ 無糖の恋 ]



 眠り姫が決して目覚める事のないキスをした。





  涙の味、恋の味





 この時期は本当にめんどくさい。
 というか、俺の幼馴染みの所為で、とことんそう思うようになってしまった。
 その幼馴染みが普通の男だったら良かったのに、ちょっと普通とは違っていたのだ。
 しかし、だからと言ってどうしてそこまで盛り上がれるのか分からないし、第一熱を上げる相手を間違っていると思う。
 中等部から上がってくる奴が多い月光館学園の高等部。
 とくれば、此奴を知ってる奴も多い。

「シンジ、今日は海牛に行こう!」

 キラキラと目を輝かせて言う姿は、普段の学園の生活では到底見られない。
 普段の此奴に合う言葉と言えば、クール。
 それは俺も認める。
 ただそれが、周りに興味ないだけの、本当の意味でのクールである事を知っているのは、俺くらいなものだ。

「アキ、てめぇ今日ははがくれだっつってただろうが」

 アキ―――真田明彦。
 確かに騒がれるのも納得できる程、ツラは良い。
 俺は幼少期から此奴を知ってるが、最初女かと見間違えたくらいだ。
 妹にそっくりだったってのもあるだろうが。
 育った今でも、中性的な顔立ちが崩れず、偶にまだ間違われるらしい。
 常に横に居る俺がどうみても男にしか見えないのが拍車をかけてるとアキが文句を言うが、俺にどうしろってんだ。
 大体お前、俺が横にいなくても間違われてるだろ、と言えば、大抵拗ねる。
 その拗ね方は本当に餓鬼で、一度キャーキャー騒ぐ女共に見せてやりてぇ。
 …あぁ、それでもキャーキャー言われてそうだ。
 そして顔が良いだけじゃなく、頭も良い。
 確か月光館学園に入学して以来、上位から落ちた事はない。
 馬鹿だが。

「そうしたいのは山々なんだが、そう言えばそろそろ試合が近い事を思い出した」

 減量しなくちゃいけない、と言う此奴は、本当に何処までも抜けてる奴だと思う。
 アキが所属しているのはボクシング部。
 現在進行形で、一度も負けた事がない。
 顔良し、頭良し、そして強い。
 なんつーどっかの少女漫画のヒロインの恋人キャラっぽい奴なんだ。
 いや、少年漫画で言うと、主人公のライバル役か?
 つまりは想像上でしかいなさそうな人間。
 妄想の果てに行き着いた完全なキャラクター。
 まぁだから女達はアキに熱を上げるんだろうが。
 しかし。

「それじゃあそろそろ気を付けろよ、アキ」
「ん? 何にだ?」
「近々あのイベントが待ってるだろうが。減量なら尚更気ぃ付けねぇと…」
「イベント…?」

 おいおい。
 そんな不思議な顔すんなよ。
 毎年朝から放課後、夜まで追いかけ回されて迷惑してるイベントを、何で此奴は忘れられるんだ。
 だから馬鹿だってんだ。
 興味のない事は、一日経てば忘れちまう。
 次もある、なんて、考えもしねぇ。

「バレンタイン」
「………」
「…チョコ」
「…………あぁ!」

 何だその長い沈黙。
 本当に興味ないんだな。
 流石に女達に同情しそうだぜ。

「そうか…また来るのか…」

 去年の悪夢を思い出したのか、僅かにアキの顔が曇る。
 アキが教室にいれば教室に、屋上にいれば屋上に、部室にいれば部室に、保健室にいれば保健室に、何処からともなく女が群がってくる。
 安全なのは授業中だけ…かと思いきや、クラス内にも当然アキを目当てとする女子は居る。
 授業中にバレンタインの約束を取り付けようと、教師の目を気にせず手紙を投げてくる強者の女子も居たりする。
 廊下に出れば、それこそ悲惨だ。
 他クラス、他学年から来た女子に揉みくちゃにされる。
 トイレにも行けやしねぇ。

「休もうかな…」

 余程嫌なのか、思い詰めたようにそう言ったアキ。
 まぁあれは俺でも嫌だ。
 あれは「モテて良かったじゃねぇか」なんて言えるレベルじゃない。
 だからこそクラスの男子もアキに同情的で、バレンタインの日、男子は結託してアキの身を守る事に、何時の間にやらなっていたが。

「休めねぇぞ」
「え!?」
「今年のバレンタインは日曜だからな」
「あ……何だ…そう言う事か」

 なら今年は大丈夫か、と安堵しているアキに悪いと思いつつ、ちゃんと言っておいた方が良いだろうと俺は口を開いた。

「アキ、女子を甘くみんなよ」
「え…」
「学校がなけりゃ、よっぽどの義理チョコじゃねぇ限り、普通家に押しかけてくる」
「うっ…」
「当日、大量に来るんじゃねぇの? 寮に」
「………」
「朝から晩まで」
「……………」
「……おい、そんなに震えんなよ」
「だって!」
「あーはいはい。怖ぇよなぁ、あいつら」

 本当に怖いのだろう、軽く涙目のアキの頭を、ぽんぽんと撫でてやった。
 すると、アキは視線を俺からふいと逸らして地面を向いてしまった。
 その瞳は、何故だろう、恐怖でなく落胆に染まっているように、見えた。
 そしてアキは、その瞳と同様の色に染まった言葉を、零した。

「……俺は何時も要らないって断ってる」
「……そうだな」
「…貰っても返せないとも、気持ちを受け取ってやれない事も、ちゃんと、言ってる」
「………」
「俺は要らないんだ…俺は何も返せない。貰っても、何も……」

 なのに良いと言う。
 くれる子はみんな。
 チョコを受け取ってくれるだけで良いのだと。
 そう言いながら。
 彼女らの瞳の奥では、その願いが燃え続けていると言うのに。

「……俺には理解できないよ、シンジ」

 アキは心底そう思っている声で、言った。

「…どうして、手に入れられないと分かってて、真正面から断られて尚」

 溜息を零すように。

「手を伸ばそうと、思えるんだろう」

 そう、言った。
 そして口を閉ざしたアキの横顔にはもう何もなく、落胆も、ない。
 そうと知りながら、なのにまだ何か胸に(つか)えていて。

「………お前も、何かあるのか?」

 気付けば、俺はそう聞いていた。

「アキにも、そんな物が…そんな奴が、居るのか?」

 その質問に、アキは顔を上げて、俺を見て、笑った。
 それは、伽藍堂(がらんどう)の笑みだった。
 胸を締め付けられるような、笑顔だった。

「…帰ろう、シンジ」

 そう言って、アキは俺の手を引いた。
 道には誰も居らず、けれど例え人が居たとしても、アキがそれを気にしたとは思えない。
 夕暮れの中、アキと俺は無言のまま寮を目指した。
 アキの手は、何処かひんやりとして、俺の手を包んでいた。





 バレンタイン当日、アキは当然のように外に出なかった。
 念には念を入れて、早朝のランニングも自重した。
 それはどうやら正解だったようで、何時もランニングしている時間を少し過ぎた頃、窓から玄関口をこっそり覗いてみると、ちらちらと女の影が見えた。

「おい、アキ、もう居るぜ」
「………」

 自分の部屋に戻り、昨日の夜から明日が怖いと言う理由で俺の部屋に寝に来ていたアキにそう言えば、アキはいやいやと言うように耳を塞いで首を振った。
 もうその顔には先日のようなシリアスな顔はなく、ただ何時ものアキだった。

「しっかし、今日が休日で良かった」
「何故だ?」
「毎回この時期になると、お前に直接渡せねぇからっつって、俺がお前のチョコ渡されるんだよ」

 当日は特に酷いもので、頭に形状や包装紙の柄をしっかりたたき込まないと、自分のとアキのとを混同してしまいそうな時が多々ある。
 自分で言うのも何だが、俺もモテない方ではないから、貰うのだ。
 しかしどう勘定してもアキには到底及びもつかないのは事実だった。

「そうか…すまん」

 殊勝な顔をして謝るアキに、気にすんな、と言ってやれば、アキはちらりと俺を上目遣いで見て、本当にそう思っているようだと確信したのか、ふにゃ、と笑った。
 子どもの時みたいな、そんな顔。
 偶に出すアキのこういう笑顔が、俺は好きだった。

「さーて、折角の休日だが、暇だ」
「何かするか、シンジ」
「何かあんのかよ」
「身体動かしたい」
「んじゃ外行けよ」
「え!?」
「嫌でも女子が追い掛けてくるぜ? 全力で。良い運動になんじゃねぇか」
「シンジー…」
「嘘だ、嘘。取り敢えず、身体動かすのは無理だ」
「じゃ、鍛えよう」
「お前はそればっかだな…」
「運動器具なら俺の部屋にあるぞ!」
「知ってるよ。ただやりたくねぇの」
「うー…」
「じゃあ――…」

 そんな何でもない話。
 何をしようかと悩む、ただそれだけで俺達は楽しくて。
 笑って過ごした。
 今日が何の日か忘れて。
 ただ馬鹿な事で笑い、何でもない事を楽しんで。
 そうして時間はあっという間に夜になった。





「今日は何事もなかったか?」

 土曜から実家に戻っていた桐条が、帰ってきて早々ラウンジで遅い夕食を取って居た俺達にそう聞いた。
 どうやら色恋沙汰に疎い桐条も、アキの人気は知っていたようだ。

「全く外に出なかったからな」
「な」
「…あぁ、だからか」

 俺の言葉に頷いたアキを、呆れたような目で桐条は見た。
 どうした、と首を傾げれば。

「外に、チョコレートが入っていると思わしき箱が山と積まれていた」
「………」
「………」
「会えなければ会えないだけ、取り敢えずチョコレートだけは、とでも思ったんだろう。恋する乙女は(したた)かだな」

 笑った桐条は、疲れたから寝る、と端的に言い置いて部屋へ行こうとしたらしいが、途中で、忘れていた、と引き返してきた。

「ほら」
「何だ?」

 差し出された箱を手に取れば。

「義理だからな、一人一箱用意するのもどうかと思ったから、二人で分けてくれ。お父様がお好きなメーカーでな、買ってみた。気に入らなければ…そうだな、黒沢巡査にでもお裾分けしてくれたら良い。じゃあな」

 そう言って颯爽と去っていった桐条から貰ったのは、チョコレートらしいが、どうやら外国製で原材料も全て英語で書かれてあった。

「さっすが桐条」
「凄いな」

 まぁ桐条からなら、と、俺とアキはいそいそと封を切り、箱を開けた。
 其処には、チョコレートが綺麗に品良く並べられていて、見た目からして市販の物とは違っていた。

「あ、美味い」

 早速食べたらしいアキは、珍しくぱくぱくと口に運んでいた。
 甘い物は嫌いだったのにな、と思い俺も食べてみたら。

「ッ…苦!」

 思わず顔を思いっきり顰めてしまう程、苦い。

(そういやこれ、桐条の親父の好きなメーカーっつってたか…写真で見た事しかねぇけど、確かにあの強面の人が好みそうな味だ)

 しっかし。

「お前、良くこんなん食べられるな…」

 カカオ何%、とか言うのを一度食べてみた事があるが、それの結構高い数値の苦さを、味音痴とは言え、アキが食べられるのか。
 ある意味感心しながらアキを見遣れば。

「…………」

 心なしか、顔が、紅い…?
 いやいや。
 チョコで鼻血が出るとか言うが、顔が紅くなるなんて聞いた事もねぇ。
 …でも、心なし、なんてもんじゃなく、紅いんだが…。
 ……そして何だかすっげぇ機嫌良くて…。
 ………こいつ、何喰ったんだ?

「………アキ」
「…ん?」
「…お前、何喰った?」
「んー、…それ」
「どれだよ」
「チョコ」
「全部チョコだろうが! そのどれだっつってんだよ!」
「うー…これ?」

 アキの周りには色んな種類の包装が落ちていて、どれがどれだか分からない。
 手当たり次第食べたらしいが、疑問系ではあるものの、取り敢えず指さしたチョコを食べてみると。

「…ッ」

 苦いのもそうだが、これは。

「……アキ、お前、……酒入り、喰ったな」

 やっとの思いでそう零すと。

「あぁ、だからか……なんか、ふわふわ、する」

 へにゃ、と笑ったアキ。
 なるほど、顔の赤みも、機嫌の良さも、全ては酒の所為か。

「つーか何でチョコに入ってる酒だけで酔えんだよ…」

 まったく予想出来ない事を次々としてくれる奴だ。
 まさか桐条もこれで酔うとは思わなかったんだろう。

(黒沢さんを名前に上げたくらいだからな、中身がどんなものか、知ってた筈だ)

 俺は溜息を吐いて、まだ食べようとするアキからチョコの箱ごと奪い取った。
 これ以上食べたら、二日酔いなんてしかねない。

「あー!」
「あーじゃねぇの。終わり。お仕舞い。さようなら」
「…けち。いけず。ばか」
「お前は小学生か」

 溜息を吐きながら、それでも箱を背中に隠せば、アキは少しむくれて、机に頬を貼り付けた。

「……ふん」
「おい。拗ねんな」
「………ふん」
「寝るぞ」
「………」
「俺は上に行くけど、お前は此処で寝んのか?」
「………嫌」
「じゃあ立て」
「…………連れてって」
「あ?」
「………………シンジ」
「………」

 止まってしまった会話。
 それは、俺の動揺と逡巡の為だ。
 けれどそれを、俺が怒った所為かと思ったのか、アキはちらり俺を見上げて、そして視線を戻して瞬いた時、ぽろりと涙を零した。
 するりとそれはアキの睫を滴って、頬を滑り、机に小さな水たまりを作った。

「…アキ」
「ちが……お酒の、所為…」

 シンジの所為じゃないよと、アキは机から身を離して目を擦った。
 けれどもどうやら止まらないようで、何時までもその動作を止めようとはしない。

「アキ…止めろ」
「ごめん、…違う、のに…」
「…うん…分かったから」

 頭を撫でて、ほら、と背中を差し出した。
 アキは素直にそれに従って、俺の肩に顔を埋めて身体を預ける。
 まだ涙はやまなくて、濡れていく感触が、服越しに伝わった。
 それでも構わず俺は歩き出した。
 その背で、アキが言葉を重ね続けた。

「…ごめ…ん」
「気にすんな」
「……ごめん…」
「…うん」
「…諦め、きれない」
「……うん」
「駄目だって…分かってる…のに」
「……うん」
「…俺も、一緒、…なんだ」
「………うん」
「…ごめん、…シンジ」
「……うん」
「………ごめ…ん……で、も…」

 ―――……す き。





 そっとアキをベッドに転がす。
 慎重に寝かせた為か、起きる気配はない。
 まだ残る涙痕を、優しく拭って消してやる。

「…泣くなよ、アキ」

 あの涙は、酒と、多分、アキの想い。
 混じり合ったそれは、きっとあのチョコレートより、苦いのだろう。

「……ありがとうな」

 アキがずっと押し込めているのは、ただ偏に、俺の為。
 俺の為を、想っての事なのだろう。

「ありがとう…」

 女子の事を理解できないと言ったアキ。
 本当はそんな事ないんだろう?
 分かってしまうんだろう?
 だからお前は嫌いなんだ。
 この行事が。
 本当の意味で、嫌いなんだ。
 自分と彼女らを、重ねてしまう日だから。

「……ごめんな」

 そう謝るのは、けれど、アキの気持ちを受け取ってやれないからじゃない。

「ずるくて、…ごめんな」

 お前から言って欲しいから、なんていう、甘い理由でもない。

「…気付いて欲しいんだ」

 想いを伝え合うだけじゃ、もう足りないって事。
 お前が想像する程、恋愛が、甘くも、綺麗でもないって事。
 お前のように、殺せるような想いじゃ足りない。
 俺のように、押さえ込む程の想いでないと。

「好きだぜ、アキ」

 だから気付かないフリをし続ける。
 この想いを悟らせない。





 キスをする。
 唇に触れるだけの。
 まだ邪気あどけない少年が。
 それをキスの全てだと思い込んでいるような―――そんな、キスを。





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 20100214
〈震える口づけに、誰の許しもいらない。〉





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