巣の中の雛

[ お伽噺のなりそこない ]



 彼の後ろを付いて回る姿も。
 食べさせてと強請る姿も。
 まるで自分の事のように自慢げに彼の話をする姿も。
 子どもの、ようだった。
 それも人間の子どもじゃない。
 鳥の子だ。
 そう、だから彼は多分。
 嘗て巣から堕ちて人に拾われた、野鳥の雛、だったのだろうと。
 そう思う時が、あった。





  夜と巣と涙と





 ふとある晩窓の外を見ていて思い偲ぶ。
 夜のように静かで大らかで、そして他から少しだけ逸れていた人の事。
 あまり喋った事は無かったが、それでも他の後輩に比べれば喋った方ではないだろうか。
 僕がリーダーだったからというのもあるけれど。

(……両手で足りるくらいか)

 二言三言で終わるような会話は数に入れず、それでも一ヶ月の時を共に過ごして両手で足りるほどとは。
 自分の口数の少なさか、それとも彼の雰囲気ゆえか。
 どちらでも良い。
 兎に角あまり喋るような関係ではなかった。
 喋らなくとも、僕は彼の、彼は僕の言いたい事、考えている事を互いに分かり合えていたように思う。
 それは多分、気の所為ではない。

(…あぁ、そう言えば)

 何時か言っていたな、とある事を思い出す。
 影時間の終わった真夜中のラウンジ。
 誰もいない中鉢合わせた僕と彼。
 無言の時を少し経て、彼がぽつりと言ったんだ。
 お前は俺に似ていると。

(最初は、そうは思わなかったけど)

 苦笑を口元に滲ませる。
 あぁけれど確かにそうだった。
 彼が間違えた事なんてない。
 言う言葉、表す行動、その考えに。
 間違いなんて、一度だってなかった。
 それでもあの時は彼を良く知らないままで。
 だから素直に自分の考えを口にした。

『……そう、ですか?』

 首を傾げたかは忘れたが、視界を揺らしたのは覚えてる。
 動揺したのかもしれない。
 そんな僕を見て、彼は一つ頷いた。

『お前も、巣から堕ちた鳥を拾うタイプだろうよ』

 それを聞いて。

『―――それは、真田先輩の事ですか?』

 咄嗟にそう聞いたのは、閃きにも似た確信からだ。
 彼は一瞬驚いた顔を覗かせて、ふ、と笑った。

『〈それ〉がタイプを指してんなら違うが』

 酷く酷く可笑しそうに。

『鳥を指してるなら、…正解だ』

 落とす影を増して彼は、笑った。

『そうだ。あいつは巣から堕ちた鳥で、俺は拾うタイプの人間だった』

 そんな二人が偶然出会ったって事は、俺があいつを拾うのは必然だったんだろう。
 彼はそう思い込んでは偶に自分を慰めるのだと言い、口を真横に引き結んだ。
 聞いて僕は静かに尋ねたのだ。
 出会った事を後悔しているんですか、と。
 その問いに彼は一度その口を緩め、また閉じた。
 視線を僅かに横に逸らして、零す。

『……偶に、な』

 グラスの中の氷が解けてカランと音を立てるような笑みを彼は浮かべ、けれど、と言葉を繋ぐ。
 笑みは消えないまま苦味を増して口元を彩っていた。

『それはあいつの所為じゃねぇ』

 拾ってしまった俺が悪いんだと、彼は闇に溶けかかった声を出す。

『…違うな。拾った事だって、悪い事だとは実際今でも思わねぇ』

 拾ってなかったら、あいつはきっと壊れてた。
 最悪は死んでいただろう。
 それはきっと、想像の範疇を超えた真実だ。

『だからあいつを拾った。そして、距離を置いて付き合ってきた、筈だった』

 何時でも突き放せるように。
 何時でも飛び立てるように。
 何時でも、野生に返せるように。
 そうは言っても、思い返してみれば然程距離があったようには思わないがな。
 そう、彼は言って苦笑した。
 それは一瞬夜空に咲いた花火のように、直ぐにパッと消え失せて。

『ただ、計算外だったって事だ』

 あいつが予想以上に俺に懐いた事も。
 俺が思ったよりあいつに肩入れした事も。
 俺が、最後まで取るべき責任を取れないって事も。

『……最低だぜ』

 野生のモンを拾っちまった時点で、本当はもう駄目だった。
 野生ってのは生まれ持った性質じゃなくて、生まれ育つ過程で育まれるものだから。
 距離を置こうが、…結局無駄だっただろう。

『それに気付いても、俺はあいつを離そうとはしなかった』

 少しだけだ。
 少しだけ手を貸してやって、そしたらこいつも学ぶだろう。
 そしたらもう手を離そうと。
 空に還そうと。
 そう、思っていたのに。

『…俺達は、相性が良すぎたんだ』

 多分お互いの隣が心地良すぎて、離れる事を忘れてしまっていた。
 後ちょっとを繰り返して、気付けばずっとになっていた。
 それに焦って傍から離れても、直ぐに隣に戻ってきてしまう。

『今こうして昔のように同じ屋根の下で暮らしてるようにな』

 自嘲する彼は、そっと息を吐いた。

『――…それも、後ちょっとだ』

 その言葉を、混ぜながら。

(あぁ、確かにあの時彼はそう言った)

 今ならその言葉の意味が分かるのに。
 あの時の僕はただ首を傾げるだけに留めて、もう寝ろ、という彼の言葉に頷いたんだ。
 そうして終わった二人きりの夜会。
 彼がその話題を選んだ理由も、あの夜の談話の意味も、僕は暫く分からないまま忘れていて。
 そしてそれは唐突に意味を成した。
 それと共に彼の言葉が正しい事を知る。

(確かに、僕は――…)

 その続きは。

 ―――コトリ。

 耳を(そばだ)てていなくても聞こえたその音に、粉々に砕かれた。
 けれど気にせず僕は視線をドアに固定する。
 それは確かな音で、空耳なんかではない。
 僕は一つ息を吐いた。
 ただ、それだけだ。
 動きはしない。
 そしてまた、音が聞こえて。

 ―――コト、リ。

 それはドアが開き、閉まった音。
 けれどそれは異なるドアが鳴らした音でもあって。
 僕はまた一つ息を吐いた。
 そして、動く。
 ドアへ足を向け、ノブを捻って外へ出る。
 そして向かった先は、彼の、部屋。
 少し前には其処にいて、もう今は居ない、彼の。

(―――貴方は)

 心の中で、僕は彼に語りかけ。

(貴方は僕にはっきりと言葉で頼む事はしなかった)

 そっとノブに手をかける。

(ずるいですね)

 他の住人が起きないように。

(本当に、ずるい)

 そっとそっと、回して開ける。

(僕が貴方と同じなら、見て見ぬフリなど出来る筈もないと分かった上で)

 そして、身体をその部屋に滑り込ませて。

(…その通りです)

 僕は、見つける。

「―――真田先輩」

 窓から這入る月光に照らされるのは、うつ伏せになった彼の鳥。
 彼が居なくなってから、真田先輩は毎夜無意識に宿を移るようになった。
 それに気付いているのは僕一人。
 他は、誰も。

(あぁだから)

 彼は見越していたのだろう。
 こうなる事は定かでなかったにしろ、彼がどうにかなってしまう事は。

(だから彼は僕に話をしたんだ)

 確かに僕も堕ちた鳥を拾ってしまうタイプだから。

(…そして)

 僕も彼と同じように、この人が、好きだから。

(ただ、僕は)

 溜息を吐く。
 彼があの夜零した吐息のように。

(貴方に似ていても、貴方では、ないから)

 手を伸ばす事は出来なかった。
 伸ばしても意味がない。
 僕は、彼じゃない。
 だから見守る事しか出来なくて。
 真田先輩は眠り続ける。
 僕の目の前で。
 白い首筋を晒し、幼子のように。

「……、…ン…」

 時折寝言を呟きながら。

「……ンジ…」

 そっと、涙を零しながら。

「―――……シン、ジ」

 彼のベッドの中。

(親鳥の帰りを啼いて待つ、雛の、ように)





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 20091012
〈彼は魔女。彼は白雪姫。そして僕は毒リンゴ。〉





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