secret number
[ それは流れ星のように ]誰もが寝静まる夜の真ん中。
大人達の寝室は直ぐ隣。
何か大きな音を出せば起き出してしまいそう。
それを恐れながらそっとそっと身体を起こし体育座り。
その上から布団を被って夜の帳に彼らの微かな寝息を聞く。
大丈夫、と一つ頷いてからパチリと電話を開いてリズミカルに数字を押していく。
何度も押して覚えた番号。
これでさぁ何回目?
そう考える傍ら、耳を澄ませば相手に繋がるコール音。
早く出て早く出て。
逸る気持ちに応えるように。
『―――シンジ?』
確認も挨拶も返事も、全ての言葉を省略し自分の名を紡いだ電話の向こう側の彼。
そんな相手に募るのは、ただ友情と言ってしまうには熱い何かで。
「よぉ、」
アキ。
囁くように呼んでやれば、擽ったそうに笑った気配。
それは特別な夜の恒例行事。
始まりの、合図。
ヤミのナカ、キミをオモふ
出会った先は小さな孤児院。
それぞれの理由で其処に送られた俺達は、長くなる筈の人生の中で一時生活を共にした。
どうして仲良くなったのかも、そもそも何が切欠で会話を交わしたのかすら忘れたけれど、それでも今こうして別々の人間に引き取ってもらった後も連絡を取り合うほどに、俺達の絆は強く強く育っていった。
「元気か?」
『うん。シンジこそ、』
「俺は大丈夫。でもお前、最近寒いからまた風邪とか、」
『引いてないよ。ボクシングしてるお陰かな』
近況報告が続く。
その長さと声の調子、話の内容に、アキが引き取ってくれた家族や環境にやっと馴染んだのだと知れた。
気付かれないようにほっと息を吐く。
別れた当初を思えば、それは大きな進歩だった。
「お前、嫌だっつって泣きまくったもんな」
『だ、だって、そりゃあの時は…!』
あぁ今きっと暗闇の中真っ赤になっているに違いない。
からかった訳じゃないから、恥ずかしがる事はないのに。
(しょうがなかったんだ)
突然の施設生活にやっと慣れたと思えばまた別の環境へ。
人見知りで環境の変化に弱いアキにとって、引き取られる事を了解したのはとても大きな決断だったに違いない。
了承した後も、夜中に俺の布団に潜り込んでは泣いていた。
大丈夫だろうか。
向こうの家族と仲良くなれるだろうか。
また最初から自分の居場所を作れるだろうか、と。
その度に励ましながら握った手。
それが離れたくないという意味も持っていた事に、アキはきっと今でも気付いてやしない。
「でも今は幸せなんだろ?」
言い訳を続けるアキの息継ぎの合間に滑り込ませたその言葉。
すっと出たそれは少しだけ自分自身を驚かせて、けれど撤回はしなかった。
ずっとずっと、気になってたから。
そして。
『……うん』
沈黙を隔てて来た返事が本当に幸せそうだったから。
「そっか、―――良かったな」
心から、そう言えた。
幸せだと言い切れるのなら、あの時離した手も意味があったのだと慰められる。
俺には見えない世界で、アキは幸せな環境を着々と築いてるんだな。
それは少しだけ寂しいけれど。
(今アキと俺は繋がってるから)
普段全く異なる生活をしながら、けれど今は同じ時間同じ国で同じように互いの声に耳を済ませている。
少しの物音に肩をびくつかせ、家族の寝言に息を呑む。
自分の声に驚いてしまう事さえある中で、それでも電話を切ろうなどとは考えない。
(―――声が聞きたいんだ)
最初連絡を取り合いたいと言った時、二人ともが出した条件がそれだった。
メールのやり取りは確かに楽だけれど、嘘が紛れてしまうから。
本当の状況が知りたい。
疲れてても良い、苛付いてても良い、泣いても良いから。
本当の気持ちに、触れたい。
だから一ヶ月に一回、電話をしようと。
そしてそれは感情や真偽を暴くだけでなく、他の事も教えてくれた。
(…少しだけ、低くなったな)
楽しそうに学校の事を語るアキの声。
声の高さだけではなく、ふわふわとした喋り方から芯の在る喋り方に変わったように思う。
それはアキが成長した証なのだろうか。
あぁならば身体的にも成長しているだろう。
まだ俺より小さいかな。
なんて思っていると。
『…俺、シンジの声、好きだな』
ぽつり、と、脈絡もなく言われた言葉。
「は…? と、つぜん、何だよ」
ビックリして一瞬止まった息を密かに吐き出しながら冷静を装って聞き返す。
突然跳ね上がった心臓が痛い。
『ん? いや、思ったままを言っただけ』
優しくて心地の良い声だって、思ったんだ。
その言葉を聴いて。
(―――あぁきっと今)
想像する。
(アキは酷く子供っぽい笑顔を浮かべて、けれど心底そう思っているような顔をしているのだろう)
それはとても容易に想像できた。
だって何度も見てきたのだから。
アキは何時だって、素直な言葉しか吐かないのだから。
「……変わんねぇな」
成長したかと思えばこれだ。
変な所で子どもなのだ、この幼馴染は。
(あぁ、でも)
そんな所は変わらなくて良い。
ずっとずっと、そんなアキのままが良い。
『ん、何か言ったか、シンジ?』
俺がそんな事思ってるって事も、知らないままで。
「何も言ってねぇよ。でさ――…」
変わる話題。
乗るアキ。
真夜中なんて事を忘れて。
電話越しだという事を忘れて。
まるで其処に互いが居るように話し続ける。
偶に夜だという事を思い出し、笑いを抑えようと力を入れすぎた腹が痛い。
それで少し出た涙を拭ってまた笑い話に逆戻り。
それを延々と繰り返す。
(―――そんな夢のような時間にも、限りはあって)
ふと惹かれるように時計を見る。
途端暗澹たる気持ちが心を占めようとするけれど、それをどうにか振り払って。
「アキ」
話し続けようとするアキを呼ぶ事で押し留める。
『…時間か』
少しの不満とそれより多くの寂しさを合わせた声。
けれど、まだ話したいとは言わない。
それもまた俺達が決めたルールだった。
(互いの家族に迷惑を掛けない事)
それを守る為にはもう寝なくては。
「んじゃ、な、アキ」
『あぁ、また』
一ヵ月後に。
どちらともなくそう約束し、電源を切る。
別れを惜しむ事なく終わった通話に苦笑しながらもその方が良いのだとも知っているから、シンジは何も言わず光を失った画面を撫でる。
掌に収まってしまうほど小さいそれは、シンジが少し前に初めて買い与えてもらった携帯電話だった。
(俺が初めて強請った物)
これまで何かを強請るという事をしなかったシンジ。
それは新しい家族への遠慮も確かにあったけれど、元々物欲はない方だった。
施設という環境にあった所為かもしれない。
そんなシンジがどうしてもと強請ったのがこれだった。
(何か自分達の記憶以外に、あの時間を残して置きたかったんだ)
夜目に分からない画面には、まだ通話記録が残ってる。
あの時間、シンジが確かにアキの家に掛けたのだという証拠がこの中に。
そう思えば思うほど、シンジの手は優しく画面を行き来する。
あぁあと少し、アキには内緒にしておこう。
ふとそんな事を思い付き、小さな笑みがぽろりと零れる。
そうだそうだ、そうしよう。
大体お前の為に買ったんだなんて恥ずかしすぎる。
だから今は言わない。教えない。
(けれど何時か笑い話として話せる時が来たのなら、その時は)
そう考えながら、心に灯る感情を抱きしめるように身体を丸めて横たわる。
「おやすみ」
誰も居ない部屋。
その就寝の挨拶に返す声はない。
けれどシンジは何かを聞いたように満足げに笑って、少しの後、夢の国へと旅立った。
翌日、夜更かしした事など感じさせずにシンジは元気に登校した。
午前の授業を無事に終え、昼休み。
早々に給食を食べ終え窓際の自分の席でパチリパチリと携帯を弄ぶ。
ふぁ、と欠伸をしては携帯を睨み付ける、の繰り返し。
彼がこの電話番号を知る訳ないと分かっていながら何を待っているのだろう。
そんな自分に欠伸交じりに苦笑した時。
「あ、荒垣、けーたい持ってんじゃん」
気付いた何人かが寄って来る。
かっこいー、だの、持って来ちゃ駄目なんだよ、だの。
珍しげに携帯電話を眺めながらそれぞれの事を言う子ども達。
そんな彼らの中で僕も持ってるんだと取り出した一人の子。
「交換しよーよ」
ね、と無邪気に笑う彼には悪いけれど。
「悪ぃ。これ、家族とでしか使えねーんだ」
一回こっそり友達とやったんだけど、バレてすっげー怒られたの。
なんて真剣な顔で言えば、そっかと納得してくれる素直な彼。
少しだけ罪悪感を抱きつつ、けれどごめんなと言う言葉に全ての意味を込めてそれで良しとした。
(家族以外で電話帳に入ってる電話番号は、一つで良い)
それに。
(家族以外で俺の番号から掛ける人間は、一人で、良い)
あぁそうだ、今日も掛けてみようか、とぽかぽかの陽気の中、夢見心地にそう思う。
突然の思い付き。
彼は当然知る訳もなく、一ヶ月後を思い描いているだろう。
だったら出ないかもしれない。
出たとしても彼ではないかもしれない。
それでも良い。
彼が毎晩待っててくれているのではという夢を見たい。
だから掛けよう、本当に。
(俺の〈
20090923
〈真夜中の密会、二人だけの秘密。 〉