去り行けど君は

[ 名は恋歌にも優る ]



 想うのは、去ってしまったキミの事。





  唯一つ問ふ





 ある日曜日、会社を休んで朝早くからオレはある場所にやって来た。
 其処は都会から離れた小さな丘。
 かつてオレが最愛の者と一緒に訪れた場所。
 オレが唯一愛した、お前と。

(…覚えているか?)

 忙しくて中々構ってやれなかったお前に、やっと取れた休みの日、何処に行きたい?、とオレは聞いた。
 すると迷わずに言われた。

『昔、兄サマと一緒に行った、あの小さな丘に行きたいぜぃ!』

 其処は、孤児院にいた頃によく遊びに来ていた丘だった。
 適度に伸びた草が昼寝には丁度良く、二人して寝転んで戯れた。
 特別何かをしたと言う記憶はない。
 けれどとても穏やかで、ゆっくりと流れる時間が、嫌いではなかった。

(お前が傍にいた)

 そんな、幸せの中にいたのに。

『……ねぇ、兄サマ』

 横で寝転ぶお前に話しかけられて、視線を空から移す。

『なんだ?』

 しかしお前はオレを見ず、何時もとは違う顔をして空を向いたまま。
 そんなお前は、躊躇いつつ口を開いた。

『もし…もしも、だよ?』
『ああ』

 念を押すお前に違和感を覚えながらも、オレは頷いた。
 そしてお前は硬い表情のまま、あの言葉を口にしたんだ。

『もし、オレが死んだら――』
『―――…っ!』

 聞こえた言葉に、思わず上半身を勢いよく起こす。
 気付いてお前も慌てたように上半身を起こし、ようやくオレを見た。

『だ、だからっ、もしもの話だってば…!』
『仮定の話であったとしても…!!』

 例え仮定の話であっても、死んだらなどと言って欲しくない。
 死ぬという事は、存在が消えるという事。
 オレの隣から、お前の存在が消えるという事に他ならない。
 それにお前が言うように、お前が死ぬという話が仮定の話ならば。
 もしもの話だと、主張するならば。

(どうして)

 どうしてそんなにも真剣な顔をする。
 どうして泣きそうな顔をして、そんな話を。

『お前がいなくなるなど…そんな事は許さない!』

 きっとオレは耐えられない。

(二人で生きてきた。そうして耐えてきた。だから生きてこられた。なのに一人になれと? ―――冗談ではない!)

 睨むようにきつくお前を見る。
 そんなオレの視線をしっかりとお前は正面から受けて、少しの沈黙の後、また口を開いた。

『……オレも、ずっと兄サマの傍に、隣に、いたいと思うよ』

 一つ一つの言葉に、想いを込めるように。

『でも……〈でも〉、なんだよ』

 悲しそうに。
 切なそうに。

『オレは兄サマより年下だけど、でもそれだって兄サマより長生きできるっていう保証にはならないんだ。これから何があるかなんて、誰にも分からない』

 悟ったように、笑って。

『オレが兄サマより早く死ぬなんて可能性は、ゼロじゃない。…だからね』

 小さな丘に。お前とオレの間に。

(風が、啼いた)

『もし、オレが死んだ時は――…』



 それから半年後の事だ。
 秋に入りかけた頃。
 静かに、穏やかに。
 お前は死んだ。

(まるで、眠っているようだ)

 病はゆっくりとお前の体を蝕んで、だから痛みはあまりなかったようだと、お前の死に顔に触れながら思った。
 微かに笑んでいるようにも見えたそれに哀しいながらも安心できたのに。
 其の後には絶望が待っていた。

『な…に……?』

 聞かされた言葉に喉が強張る。
 上手く声が出せない。
 こじ開ける。

『知っていたと、言うのか…?』

 言葉を吐く為に。

『半年前には、既に…死期を…?』

 驚愕を吐く為に。

『………は、い…』

 怒りを、吐く為に。

『ならば何故っ、何故オレに言わなかった!!』

 医者の胸倉を掴んで、怒鳴った。

『何故このオレに、病気の事を言わなかったっ!!』

 オレの剣幕に、医者は数瞬躊躇ってから答えた。

『あの方が…瀬人様には絶対に言わないでくれと……』

 愕然とした。
 指が震える。
 ひくりと喉が戦慄(わなな)く。

(お前が、言ったのか…? どうして…何故…!)

『瀬人様の邪魔だけはしたくないと…心配をかけたくないと申されて……』
『―――そんな心配は無用だ…!!』

 医者の胸倉を掴んでいた手を、力なく下ろした。
 そして今度は、掌を力いっぱい握り締めた。

(なんて事を…)

 知っていたら出来た事があったかもしれなかった。
 仕事なんてどうだって良かった。
 お前と共にいる方が大切だったんだ。
 何の為に生きてきた。
 誰の、為に、…!

『………馬鹿者がっ……!!』

 呟いた言葉と共に、雫が頬を伝った。





 それがもう三年前の事だ。
 つまり今日でお前がオレの隣からいなくなって三年。

「まだ、三年、か…」

 もう、何年も経ったような気がする。
 毎年そう思うのだけれど。

「……久しぶりだな」

 オレは今、あの小さな丘に来ていた。
 お前が望んだ、小さな丘に。
 海に臨む、この小さな丘に。
 此処にあるのは、お前と共に来た時には咲いていなかった小さな花と、小さな墓。
 小さかったお前の、小さな、墓。
 片手に持っていたクチナシの花束を、その墓前に置く。
 クチナシは毎年この墓に供える花だ。
 お前の好きだった花を供えようと思っていたけれど、オレにはお前が好きだった花が分からなくて。
 代わりに、お前が生まれた日の誕生花を供えてきた。
 思えば、お前の事をあまり知らない事に気づき愕然とした。

(好きな花さえ、分からないとは)

 だから何時も此処で問うのかもしれない。
 懺悔に近く。
 謝罪のように。
 三年経った今年も、オレは問う。

「……お前が生まれた日の花と同じように」

 その墓に彫られた、お前の名前を指でなぞりながらオレは問う。

「お前は幸せだったと、言ってくれるだろうか…」

 其処にアルファベットで彫られている名前。

  KAIBA MOKUBA

 オレが唯一愛した者の名前。
 オレの最愛の弟の、大切な名前。

「オレはお前を幸せにしてやれただろうか?」

 何時も笑っていてくれていた。
 忙しくて構ってやれない事がほとんどだったけれど。
 それでも、気にしないでと笑ってくれた。
 それに甘えていたのかもしれない。
 笑ってくれている事に安心して、オレはずっと仕事をしてきたから。
 数ヶ月に一回しか会えたなかった時も。
 オレの所為で怖い思いをさせた時も。
 兄サマ、と笑ってオレに抱きついてくれた。
 変わらず、オレを慕ってくれた。

「幸せ、だったか……?」

 孤児院に入った時も。
 海馬の家に養子に入った時も。
 何時の時も。
 ただそれだけを思い、頑張ってきた。
 お前を幸せにしたいと願い、オレは海馬コーポレーションを発展させてきた。
 けれど、幸せに出来たとは自信を持って言う事は出来なくて。

(あぁ、だからかもしれない)

 聞かされなかった真実。
 それを知って絶望したのは、最後の最後で見放されたと感じたからだ。
 幸せにしてやれなかったから、見限られたのだと。

(だから聞きたい。答えが欲しい)

「この、クチナシのように…――」

 言い掛けた時、一陣の風が通り過ぎた。

(……あの時と、一緒…)

 思い出して、小さく笑む。
 オレを包み込むような優しい風。
 お前のようだ。
 まるで、返事をくれているかのよう。

(幸せだったと、言ってくれているのか…?)

「モクバ」

 愛しさを込めて三年ぶりに言ったお前の名前は、風に攫われて、空に消えた。





『もし、オレが死んだ時は、この丘に墓を作ってね。死んじゃって、兄サマの隣にいられなくなるのは凄く寂しくて悲しい事だけど…。この海がある丘にいられるなら、何時も兄サマと一緒にいる気分になれるから。海は、兄サマの色だから。死んでも、兄サマを傍に感じたいの』

(モクバ……)

『ねぇ、兄サマ』

(ん…?)

『大好きだぜぃ!』

 そう言って、花のように笑ったお前は、もういない。
 それでも、心にお前はちゃんといて。
 オレの心の中に、存在している。

(モクバ)

 その呼び掛けに。

(オレも、好きだよ)

 心の中のモクバが、照れたように笑んだ。





去り行けど君は

我の心より去り行く事はなく

常に心は共にあって

我に微笑む


死して尚

我と共に歩め






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 20060401
〈クチナシの花が揺れる。「私は幸せ者」と、キミは言う。〉





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