#discord

[ 僕らの代名詞 ]



 人として壊れていた。
 螺子(ネジ)が緩んでるとか世界観がずれてるとか音が外れているとか、そんな感じにきっと。
 人として駄目だった。
 誰とも合わず合わせずに、独走するランナー、独奏するプレイヤーの様に。
 人として終わってた。
 だからきっと合ったのかもしれない。
 だから会ったのだろうと不意に思う。
 それは、運命と言うよりは奇跡に近いのかも、知れなかった。





  調律など不要





 彼方から彼が、此方より彼が。
 混ざり合う学年、性別、組の生徒等を意に介した風もなく。
 銀糸のような灰白の髪の彼は真正面を睨み据え。
 濡羽色の長髪を靡かせる彼も真正面を見据えて。
 近付く。
 彼等の距離は肩が擦れ合う程近くなり。
 遠離(とおざか)る。
 視線は一度も噛み合ず、正面を見せ合っていた彼等は最早背面を見せ合うだけ。
 ただ其処にあったのは、見知らぬ人間同士の不可侵の不文律。
 一度だって目を見て会話をした事がないとでも言うような人間関係。
 しかしそれは、恋人同士という彼らの関係に(なぞら)えば、偽りでしかないのだ。





「あれ、今日は弁当じゃねぇの?」

 言ったのは、左手にパンを、右手に野菜ジュースを持った完璧コンビニ昼食スタイルのバクラの隣に座った、城之内だった。
 ほんとだとほんとだと、その言葉に何時も通りの面子はそれぞれにバクラに視線を集め、無言でその理由を問えば。

「…何でもねぇよ」

 構うなと言い捨てパンに噛み付くバクラ。
 その言い方も眉間の皺も、パンを食すその姿すら、何処かしら苛々としたもの。
 昨日弁当を何も言わず、それでも機嫌良さそうに食べていた雰囲気からは程遠い。
 その理由が挙げ連ねる程ない事など、妙にそういった事に敏い彼等は直ぐさま勘付いて、納得した様に一言。

「「「「「「喧嘩か」」」」」」
「…………」

 異口同音の解に、バクラはふんと鼻を鳴らしてちゅーと野菜ジュースを吸い込んだ。
 ともすれば頬を膨らませかねないバクラの子どものような仕草に、一同は驚きを交えつつ苦笑しながらも、バクラを励まそうと口を開く。

「まぁ、繊細で秋空のような女心を理解しろと、お前に求めるのはどう考えても酷ってもんだからなぁ」
「気にすんなよバクラ。お前態度と素行と言動は悪ぃけど、顔がある。その顔で謝ればどんな女も機嫌直すって!」
「そうだよ、使えるもんは使わなきゃ。まぁ僕は女の子を怒らせるだなんて、そんなヘマはしないけどね」
「早く謝っちゃった方が良いよ。…謝るだけだよ、喧嘩売っちゃ駄目だからね。バクラ君凄んだら怖いから、彼女さん泣いちゃうからね」
「多分絶対お前が悪い」
「今すぐ謝れ、土下座しろ」
「てめぇら…」

 本田と城之内、バクラの兄と遊戯の弟、遊戯、そして海馬へと続いた、慰めと言うにはあまりにもな言葉のオンパレードに、バクラはオレがお前等に何かしたかと問いたい気持ちをぐっと堪えて、苦虫の代わりに購買のパンを噛み締めた。
 それと同時に心の底から思うのだ。
 あぁ本当に。

(オレにどうしろってんだ)

 それは他でもなく、未だ喧嘩の内実を好き勝手喋る悪友の彼等でもなく、バクラが今日、弁当をその手にできなかった理由の根源に向けられた。
 午前の授業中、ずっとずっと考えた。
 板書なぞ後で遊戯か本田かに借りようなんて思いながら、教師の声をBGMに、この半日という時間を掛けて考え続けていたのだ。
 なのに今でもバクラは分からないままで居続けている。
 解決策をではない、考えていたのは、そっちではなくて。

(大体、何であいつは怒ってんだ?)

 大本である、その理由の方。
 分からないのだ、正直に。
 全くと言って良い程、完膚なきまで。
 バクラは彼が怒っている理由を、原因を、一つだって知らないのだ。
 思い付く限りを挙げ連ねて、丁度その分だけ消えていった。
 一つだって残りゃしなかった。
 思い込みではなく、思い当たらないのではなく、思い付かない訳でもない。
 だったら何だと考えた。
 考えて考えて考え抜いて、バクラは一つの答えを出した。
 出して心底、恐怖した。

(―――理由が、ない…?)

 そんなの、そんなのって。

(存在を否定されたくらい――――最悪じゃねぇか)

 最悪で最悪で最悪だ。
 最悪の三乗くらい、最悪だ。
 理由なく存在を嫌われ無視され否定されるなんて。
 そんなのって、ないだろう。
 けれど本当にそうならば、考えなければならない。

(この関係を、どうするか)
(最悪、)
(この関係に、終止符を)

 考えて、ヒャハハ、と笑えないのに笑ってみた。
 笑える笑える、滑稽だ。

(―――一体何を止めるってんだ?)

 止める事象も行為も関係も、最初から存在しない。
 この関係を知るのは当事者の二人だけ。
 それ以外は自分達が誰に心を傾けているかも知らないのだ。
 人一倍心に気配に聡い遊戯も海馬も、片割れの兄だって同じ事。
 バクラの心など誰も知らない。
 そうなるように振る舞って、結果案外上手くその振る舞いは功を奏していた。
 この世界に、この地上に、この中で。
 バクラと彼の想いの遣り取りなぞ、無いに等しいのだ。

(それで良いと思ってた)

 この想いも好意も、自分達だけが知っていれば良い事だと。
 それは彼が願った事であったし、バクラも気にするような性分ではなかったから。
 でも何処かで自惚れていたのかもしれない。
 永遠とは言わないまでも、自分達の道が分つのは、もっとずっとずっと先なのだと。

(…こんなもんか)

 終わりとは、こんなにも呆気なく遣って来るのか。
 自分と彼の、確かに在って共有した過去を、こうもあっさり奪っていくものか。
 随分な事だ、知りたくなかった。
 何も遺らず欠片さえ拾えず、誰も自分達の関係を証明出来ずに。
 この関係は―――終わるのか。

「ヒャハハ」

 笑ったバクラ。
 その笑声に気付いた面子はフェンスに背を預け頭を預け、そうして空を仰ぐバクラを見遣る。
 可笑しそうに笑っているバクラは、その視線に気付いた風はない。
 まぁ良いか。
 とバクラの奇行に慣れた彼等はそう判断を下し、数瞬滞った会話を再開させる。
 それすら気付かずバクラは思う。

(あー本当に)

 知りたくなんて、なかったぜ。





『弁当作んない…無理…』

 朝突然鳴った携帯電話。
 開けば彼の名、聞けば彼の声。
 けれどその内容、片言と言って良いようなその言葉に、バクラは何も返せなかった。
 と言うよりも、事実は返す前に通話を切られてしまったのだ。
 それは時間にして十秒にも満たない。
 弁当の受け渡しの時間にすら届かない。
 切られた携帯電話を持て余しながらも、耳から離す事が出来ずにバクラは虚空を見て体を強ばらせるしか出来なかった。
 窓から差し込む朝日の空々しい明るさが煩わしくて、それを遮る為にカーテンを引いた時、漸く携帯をベッドに放り投げたけれど。

『………』

 胡座をかいて静止する。
 無感情な声と、その言葉を思い出して溜息を吐く。
 意味が分からない。
 頑張ると、昨日言ったばかりなのに。

『………』

 一日にも満たいない、一夜にして変わってしまった理由を知らず、バクラは長い銀髪に顔を隠して笑った。
 嫌なざわめきが心を占めて、落ち着かなかった。





 放課後、バクラは心が命ずるまま、昨日も訪れた彼のマンションを訪ねてみた。
 チャイムを鳴らして数十秒、返答はない。
 沈黙を守り礼儀正しく待つのも飽きたその数十秒後、バクラは遠慮無く合鍵を取り出して侵入を試みる。
 無視しているのかただ気付いていないのか、それともまだ帰っていないのか。
 理由は様々あるだろうが、それにしたって待たされる事に慣れていないバクラにしてみれば頑張った方で、だから良いだろうと勝手に結論を出して部屋に入る。
 適当に靴を脱げば、其処には彼の靴もある。
 なんだ居るんじゃないかと、やっぱり無視されたのかと、バクラは安堵と苛立を抱えて廊下を抜けダイニングへ。
 しかし其処に、彼はいない。
 静止画のような風景が其処にはあって、バクラは居心地の悪さに驚いた。
 彼と共にいる時、または彼が居る時に、そんな感想を抱いた事などなかったのに。
 こうも違うものかとしみじみと見渡し、しかしあいつは何処へ行ったのだろうという疑問に立ち返る。
 トイレか風呂かとも思ったが、使用している風ではない。

(…だったら)

 後は一つしかないだろうと、バクラは踵を返してもと来た道を引き返し、一つのドアの前に躊躇いなく立ち止まる。
 彼の部屋の前。
 一つだけ、深呼吸。

「……入るぜ」

 小さい宣告に返る声はなく、バクラは一呼吸の後、扉を、開いた。





 果たして彼は其処に居た。
 シンプルすぎる寝室のベッドの上、倒れ込んだように制服姿のままで。

「―――御伽っ」

 予想外の光景にバクラは慌てて御伽に近付き手を握る。
 その熱さに、驚いた。

「お前…熱が……」

 思わず呟けば、薄らと翠の瞳がバクラを見た。
 潤み切って、それは逆に痛々しく、薄く笑む唇から漏れる荒い呼気さえ、痛ましい。

「バク、ラ…」

 掠れた声にあてられて、バクラは怒気を顕にした。

「馬鹿、なんでオレに言わねぇ。弁当作れねぇって言伝るくらいなら、熱出てるって言えば良いだろうが」

 朝のあの時に言ってくれれば、時間も学校も関係なく、直ぐ様此処に走ったのに。
 言えば、御伽は尚も笑いながら、弱々しくバクラが握る手を握り返して。

「朝はまだ、体調が良くない、って、…程度だったから…変に、心配させるのも、どうかと、思ったし…」

 それに、と、一息ついて。

「弁当作るの、は…約束、だった、し…ね」

 頑張ると言って、頑張れなかったから。
 だからだと言う、その言葉に。

「………馬鹿…」

 バクラは脱力し、次いでククと笑った。
 おかしいおかしい、滑稽だと。

「あーあ、ったくよぉ…」

 自分も御伽も、成績的には優秀と言える部類に入るのだが、それにしたってこの状況は、午前いっぱいの自分の状況は、一体なんだったのだろう。

(そんなの―――決まってる)

 馬鹿としか言いようがない。
 馬鹿だ馬鹿だ、大馬鹿だ。
 どっちも駄目だ、心底思う。

(勝手に気を使って、勝手に諦めて)

 相手の事なんて何にも分かっちゃいない。
 あれだけ言われて切られたオレの気持ちも、あぁ言うしかなかった御伽の気持ちだって。
 でも多分、もうちょっと考えれば辿り着けた筈だから。
 今回はちょっと、手順を間違えただけだから。
 あぁ、だから。

「御伽ぃ」
「…ん?」
「今度からは、遠慮無く言えよ」

 そしたらオレサマが朝から晩まで看病してやるよと、そう言えば。

「……なんかやだ、それ」

 御伽はそう言って、でもくすくす笑い。

「…そんな事言われると、甘えちゃうよ」

 なんて、可愛い事を言うから。

「……そーゆー事は元気になってから言え」

 ―――弁当の代わりに食ってやるから。

「…ばぁか」

 恥ずかしい事を言うなと小突かれる。
 それでも笑みは色付いた唇の端にそのままあって、伝染する。
 御伽の手の、額の、頬の熱に浮かされて。
 あぁ本当に恋ってやつは病気に似ていると、バクラは笑んで御伽の熱い唇に口付けた。





 それは許される筈のない背徳の、けれど言い訳など一切合切無意味でただ神聖なだけの恋心。
 成就する筈ではなかった。
 成就してはいけなかった。
 それでも出会ってしまったのだから―――仕方ない。
 誰にも祝福されない恋で良い。
 さよならに怯える想いで良い。
 出会い、恋し、愛したこの記憶を、その心を。
 たった二人で守り切る。

(絡み合わない歯車が奏でた、不協和音のようなこの恋を。)





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 20101226
〈偽りの中に咲く花を、増やすも手折るも、俺次第。(なーんてな)〉





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