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[ それ以上でも以下でもなく ]



 ―――今更、と、言えれば良いのに。
 吐き捨てるように言えれば満点。
 言えた時点で及第点。
 何も言えない、なんて。

(点数の付けようも、ないだろうに)

 ……落第?
 笑える。
 笑えて―――辛い。

 喉の痛みはきっと歩き煙草をする馬鹿の所為。
 空を見上げ続けているのは空が綺麗すぎるから。
 何も言えないのは、…そう。

(お前も、そんなだから)

 二人して、馬鹿みたいだ。
 馬鹿みたい。
 本当に、…な。

 言うよ、もう少ししたら。
 言うから少し待っていて。
 もう少しだけ、待っていて。
 喉の痛みに慣れたら言うよ。
 空の綺麗さに厭きたら言う。

(だからだからだから、ねぇ)

「    」

 その時は、笑ってくれたら嬉しいな。





  In the name of me.





 日付が変わる少し前に漸く終わった残業。
 ほぼ毎日の事とは言え、疲れる事には何時までも慣れる事はない。
 ただその疲れを無視する事に慣れてしまった自分に、海馬は少し苦笑し身体を解して椅子から立つ。
 疲れに身を任せ座り続ければ、今の疲労状況から言って、そのまま眠って仕舞いかねなかった。
 直ぐ起きられれば良いが、最悪、そうしたまま一夜を過ごし、且つその寝姿を朝出社してきた社員に見られでもしたら…、と考えれば、流石の海馬でも憚られるものがある。
 疲れによる身体の強張りを叱咤し立ち上がり、素早く会社を後にする。
 何時もならば車で出社・帰宅がセオリーだが、今日の海馬は車で出社し、徒歩で帰宅するという選択肢を選んだ。
 残業する事は前もって分かっていたから、磯野辺りからは気遣いの言葉が掛けられたが、それでも海馬は考えを押し通した。
 別に今日、何があるという訳ではない。
 そう言う訳では、なかったけれど。

(……女々しい)

 社の門を出た付近で一度立ち止まり、辺りを見渡した海馬は、それが何を目的とするのかに気が付いて自嘲した。
 彼奴が知る筈はない。
 ならば、居る訳もない。

(帰ろう…)

 落胆の表情を隠すようにコートの襟を手繰り寄せ、海馬はまた歩き出す。
 足早な跫音(あしおと)が一つ、宵闇に響いては溶けていく。
 その繰り返しが少しだけ続いた後、不意にそれは途切れて消えた。
 足下だけを見続けて歩を進めていた海馬が、自身が行く道の先に人影がある事に気付いたからだった。
 それは街灯の下から伸びて、丁度海馬の爪先数センチ前を境に人型を成していた。
 夜中に人が町を徘徊している事など、昨今、別段珍しい事ではない。
 きっと違う、そんな、都合良く世界は出来ていない。

(……あぁ、でも)

 期待に震える心を持て余して、海馬はとうとう俯ける顔をその影の元へと向けた。
 其処には、夜の静寂(しじま)に身を寄せる人が居た。
 否―――はっきり言おう。
 其処には確かに、彼が居た。

「………遊戯」

 呼んだ名と共に吐息が一つ、零れて散る。
 あぁもう白くなるほど、季節は深く過ぎたのか。
 そんなどうでも良い事を考えて。
 そしてどうでも良い事を、思った。

(奴はふと俺が居る事に気付いた風に、何故此処に居るとばかりに驚いた風な顔をして)
(よ、と手を上げ、ニヤリと笑った)
(不敵と言えるだろうそれに、何時もなら不快感を煽られるのに)
(あぁ何故だろう、どうしてだろう)
(きっと秋特有の寂しい雰囲気に流されたのだろう)
(夜の静けさに惑わされたのだろう)
(きっときっとそうなのだ)
(小さく笑んだ自分など)
(きっとだから、錯覚、なのだろう)

 小さな秋の日の事。
 謀られたようにそれは、彼が誕生した日の事で。





 幸せな夢を見た、と、遊戯は海馬が別宅として使っているマンションに着いて早々、外套も脱がずソファに身を沈めながらそう言った。
 道中何も喋らなかった癖に、堰を切ったように喋り出す。
 幸せな夢を見たのだと、良い夢を見たのだと。
 瞳を閉ざし、恐らくは其の夢を目蓋の裏でなぞっているのだろう、口角は微かに上がっていて、それでも憂いが見えたのはきっと自分の主観によるものだろうと、海馬はそう思おうとした。
 遊戯は言った。
 けれどそれは夢なんだと。
 静かな声、夜のように。
 寂しげな月みたいに微笑んで、そんな事を言う。

「…哀しいのか?」

 遊戯の前、立つ海馬は、そう問うて遊戯の頬に指を滑らせた。
 夜の空気に長く晒されたらしい肌は、海馬のそれよりも冷たい。
 遊戯は目を閉じたままそれを享受して、そろりと海馬の手を包んで自身の頬に押し付ける。
 互いの体温が混じらないまま、空調の音が二人の世界を静かに繋ぎ、

「……哀しくはない…ただ」

 寂しいと。
 閉ざされていた双眸がひっそりと開かれて、夢見るような瞳を覗かせる。
 夢を夢だと気付いてしまった、その事が寂しいのだと、遊戯は緩やかに瞬きをしながら告白した。

「そうと気付いて、突然、お前に会いたくなった」

 下を向いて苦笑し、ちらりと海馬を見上げて遊戯は海馬の手を引いた。
 どうしたってすっぽりと収まる、とは言えない抱擁だけれど、どうしたら海馬を包み込めるかなんて遊戯はちゃんと知っていて。

「……お前は、馬鹿だな」
「…そうか」
「夢でも現実でも…お前が何処にいようと、関係、ないだろうが」

 そして海馬も、遊戯を抱え込む方法を知っていた。
 それだけの時を共に過ごした。
 それを忘れたのかと叱るように抱いて言う。

「お前がいる所に、俺はいる」

 そうでなかった事なんて、今まで一度だってなかったじゃないか。





 そうだなと遊戯は笑った。
 太陽を模した姿の彼は、けれど月のように微笑んだ。
 ひっそりと静かに、穏やかなほど哀しげに。
 それが夢をまだ引き摺っている所為なのか、海馬が目前にいるからか。
 理由は判然としないまま、そのままで。
 そう言えばと呟いた。

「……相棒に聞いた」
「ん?」
「誕生日、おめでとう」

 耳元を擽くすぐるように囁かれた言葉。
 求めていたものを不意に与えられて、けれど目的だった筈のそれを忘れていた今頃になってしまえば、その言葉は可笑しい程静かに穏やかにじんわりと心に滲んでいった。
 言われたらどうしようかと、会えばどんな顔をしようかと、惑っていた朝の自分が馬鹿馬鹿しい。

「……もう疾うに過ぎたわ」

 くくと笑って遊戯の肩に顔を埋める。
 時計は敢えて見なかった。
 遊戯もきっと、そう。

「そうか」

 淡々とした返し。
 時など日付など、本当は自分達には微塵も関係ないのだと、それを心底理解した二人の空気だった。





 静かに過ぎゆく季節のような恋だった。
 そこにあるのが当たり前で、また消えて行くのも当然の。
 けれど過ぎることを惜しむくらいには。
 終わる未来を知らなければと願うくらいには。
 その恋はきっと、深すぎて。

(もし終わらなければ…もし過ぎていかなければ…もしずっと、いられたなら)

 もし、もし、もし!
 下らない仮定が心の中に降り積もる。
 否定して否定して、否定しきれないで。
 縋ってしまいそう。
 どうかどうか、どうか―――と。
 そう考え口にしてしまった海馬に。

「俺達の関係に〈if(もし)〉はない」

 今更だろ、と朗らかに笑う遊戯に困ったように微笑む海馬は、だからこいつには何時までも勝てないんだと思って。

「…馬鹿」

 だから好きなんだと、思った。





 穏やかな夢はもう見ない。
 切ない現実を生きていく。
 彼がいる隣を、歩いて行く。
 望まれずとも、願わずとも。

「遊戯」
「ん?」

 耳元に口を寄せて囁く。
 誓うように、祈るように。
 狂おしいほど、

「   」

 ただ、愛を。





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 20111025
〈happy happy birthday!〉





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