罪と罰
[ 僕は悔しいほどに僕だった ]記憶戦争に勝利し、手に入れたのは古代エジプトのファラオであったオレの名前と記憶。
ようやくオレを見つける事が出来た。
と思うと同時に、考えたのはアイツの事。
高慢で直向きで綺麗な、…オレの、恋人。
(……どうして、だろう)
オレは自分自身を探し当てた。
それはオレがずっと求めていたもの。
知りたいと、欲していたものだ。
(なのに、どうしてなんだろう)
一抹の不安と、微かな悲しみを感じるのは。
(そしてオレはまた罪を重ねる)
古と今の交差点で立ち尽くす
バトルシティが閉幕しまた穏やかな日常が惰性的に続いていたある日、オレは海馬の家に行った。
海馬は一度アメリカへ旅立ったのだが、日本の本社で問題が起きたらしく、一時帰国していた。
勿論、その事を教えてくれたのは海馬自身ではなくモクバだ。
一応会いに行くと伝えておいてくれと言ったのは、オレが海馬邸の門に着いた直後。
そして、当の海馬に伝えられたのはオレが海馬の部屋に入る直前だった。
当然、
「貴様、来る時はアポをとれとオレが何度言ったか覚えているか!?」
「モクバには言っといたぜ。つーか、とったらお前会ってくれるのかよ」
「それを事前に言う為にとれと言ってるんだ!!」
「どうせお前の事だから、絶対に理由なく断ると思ってな」
「理由ならいくらでも並べ立ててやるわ!!」
なんていう、オレ達にとっちゃ挨拶代わりの言い合いはあったが、けれど何時だって最後には海馬が折れてくれる。
その事に言葉では言わないが、何時も感謝していた。
ふとそう考えて、思わず苦笑する。
(あぁ、なんで)
過去形、なんだろう。
感謝していた、なんて。
過去形で思ってしまったんだろう。
「――――遊戯」
「ん?」
気づけば、海馬がオレをじっと睨むように見ていた。
「どうした?」
聞くけど、海馬は答えない。
「海馬?」
見つめてもらえるのは嬉しいが、そう睨むような視線は遠慮したい。
まぁ、それがお前らしさでもあるんだが。
「……何でもない」
ようやく視線を逸らした海馬。
けれど、まだ眉を顰めたままで。
「何か気に障る事でも?」
した覚えは無いが、一応聞いてみる。
すると、
「貴様の全てが気に障るがな」
そう鼻で笑われてしまった。
「お前な…」
あまりの言い草に、思わず脱力。
全く、口が悪いのは何時まで経っても直らないものか。
……素直な海馬もそれはそれで怖いが。
「……やっぱり今のままが一番ってな」
そう、一人頷いていると。
「何か言ったか?」
「いや、何も」
また海馬の刺すような視線を頂いてしまった。
そして、そう言えば、とソファから立ち上がり、仕事を続ける海馬に近づいて聞いた。
「お前最近忙しいらしいけど、ちゃんと寝てるか?」
顎に手を副えて海馬の顔を覗き込むと、うっすらと眼の下に隈を作っていた。
「っ! 貴様に心配されるような事ではないわっ」
パシンと手を叩き落とされる。
「…やっぱ寝てないんだな…」
ついでに、と。
「なっ、何をする貴様っ!?」
「え、何って。抱きついてる?」
海馬の腰辺りに抱きついて。
「あーあ。食事も碌にとってないのか」
海馬は太りにくいが痩せやすい体質だ。
だから、食事を二、三日とってなかったら抱いただけで分かってしまう。
「こら、離せっ!」
じたばたと海馬が暴れるが、やはり何処か力が無い。
それ以上暴れさせると倒れてしまいそうな気がして、オレはぱっと離れた。
「? …今日は聞き分けがいいんだな」
驚いたように眼を見開く海馬。
そんな海馬に、意地悪く笑って。
「もっとやって欲しかった?」
と聞けば。
「―――そんな訳あるかっ!!」
と、なんとも海馬らしい答えが返ってきた。
それに凄く安心している自分がいて。
海馬が海馬である事に、ほっとしたような気持ちを抱く。
そんな気持ちを、今まで感じた事は無かったのに。
「お前仕事に熱心になるのもいいけどさ、倒れたら元も子もないぜ」
それが正論である事は、海馬が一番分かっているだろう。
だからオレに言われても唇を噛み締めたまま何も言わない。
そんな海馬を、何処かで見たような気がして。
少しして、あぁ、と思い出す。
「お前、何時も修行でオレに負けた時、そんな顔してたな」
連鎖して、他の事も思い出した。
「よく自分より年下の子供に負けたのが悔しくて鬼みたいな
そりゃあ怖かっただろう。
見目麗しい美人なだけに、怒った顔は人一倍怖かった筈だ。
また神官の中では一番優秀であった為に畏怖の念を抱かれる事は多かっただろう。
オレは別段怖いと思った事は無いが。
「折角綺麗な顔してんのに、ってオレはずっと思ってたけどな」
だからと言って勿論わざと負ける事はしなかった。
それは相手にとって屈辱的な事だし失礼な事だと、オレも十分に分かっていたから。
「けど普段お前表情出さないから、オレは―――」
「遊戯」
苛々とした海馬の声が、唐突にオレの言葉を遮断する。
「どうした、海馬」
「―――どうした、だと?」
更に苛々を募らせたような海馬の表情。
そして。
「貴様、何を訳の分からない事を口走っている」
(―――…え…?)
「誰を、―――オレに重ねている」
はっきりとしないオレの反応に、海馬は言葉を重ねる。
静かに、けれど、怒りを含んで。
そしてようやく、オレは海馬の言葉の意味に気づく。
「―――……ぁ…」
(今オレは、何を言っていたんだろう……何を、言った…?)
先ほどまであれほど鮮明に思い出していた風景を。
あの海馬に似た男の表情を。
今はもう、朧げにしか思い出せない。
残っているのは、―――僅かな幸福感。
「な…んでも、ない」
思わず口元を手で覆った。
そんな事をしてもさっきの言葉を取り消せないと分かっていても。
そうせずには、いられなかった。
「何でも、…ないぜ…」
ごめん、という言葉は口の中で消えた。
誰への謝罪なのか、誰への懺悔なのか。
分からないまま、誰かに言わなければならなかった言葉をオレは辛うじて飲み込んだ。
「―――帰れ」
海馬の声は冷え切っていた。
その視線すら極寒の地に芽吹く氷を思わせた。
そしてまた感じた、既視感。
「海馬…」
「帰れ!」
確かに海馬の言葉の中に、オレへの拒絶を感じた。
何故と考えるよりも先に、海馬と重なる影の事を考えた。
(被る面影は―――誰だ?)
そんな悲しそうな顔をしないでくれ。
オレは悲しませたくないのに。
泣かないで欲しいのに。
何時だって悲しませるのは泣かせるのは。
オレで―――。
「―――――――ごめんッ…」
先ほど口の中で消えたその言葉を、今度は躊躇いも無く口にした。
と同時に、強く強く海馬を抱きしめる。
「離せ遊戯…!」
抗う海馬を、けれどオレは離さない。
「遊戯…っ」
「ごめん……ごめん、海馬…!」
そしてオレは、その言葉を口にする。
「オレはまた、お前を置いていく…!」
知らないくせに、覚えてもいないくせに。
けれどそれは自棄に強固な確信で。
「――――――な、にを……」
いきなりのオレの言葉に驚愕する海馬の声を聞き流し、オレは海馬に謝罪する。
「……またオレは…お前を悲しませる……」
あの時のように。
お前独りを置いて。
「ごめん……ごめん、海馬…!」
またオレはお前を置いていく。
ずっと抱えていた言い知れぬ不安と小さな棘のような悲しみは、恐らくこの事だ。
二度目の喪失。
そうさせるのは紛れもなく、―――オレ。
「ごめん…!」
幾ら謝っても許される事でない事は重々承知していた。
けれどオレにはそれしか出来なくて。
他に、してやれる事はない。
いくら何かをしてやりたくても。
(あぁ、だからこれは、―――罰だ)
唐突に、思った。
これはオレが犯した罪の、オレがこれから犯す罪の、最も重い罰だと。
「――――――――ごめん…っ!」
だからひたすらオレはその言葉を延々と紡ぐ。
海馬を、この腕に掻き抱いて。
それは記憶戦争に赴く数週間前の出来事だった。
オレ自身薄々感じていたのだろう。
これから何が起こるのか、何が始まるのか。
あの無意識に思い出した記憶は、その予兆だったのだろう。
今、相棒達を背に来世に向かおうとしているのは、その結末。
(けれど皮肉なものだ。今この時に思い出すとは…)
闘いの剣を置き、安らぎを得る為進むオレが今思うのは、相棒の事でも、城之内君達の事でも、これからの事でもない。
今この場にいない、アイツの―――海馬瀬人の、事。
高慢で直向きで奇麗な、オレの恋人。
エジプトに行く事を、還る事を告げた時、海馬は静かにただ一言、「そうか」と言っただけだった。
目を閉じて、オレを見る事無く。
その仕草で海馬がどう思っているのか分かるくらいには、オレは海馬の傍にいた。
けれどよく考えれば、何千年もの間ずっと闇を彷徨っていたのにオレがこの世にいたのは一年にも満たなかったと、漠然とそう思った。
…相棒と沢山ゲームをした。
城之内君や杏子、本田君や獏良や御伽と学校で行事を楽しんだ。
時には相棒に代わって授業を受けたり、放課後みんなでゲーセンに行ったり、体育祭というものにも出たな。
決闘王にも、なった。
相棒に支えられて城之内君達に応援されて、そして海馬にも励ましてもらって。
その中で大きな存在だったのは、やっぱり同じ身体を共有する相棒だった。
諦めそうになった時、オレを支えてくれた。
その存在に何度救われたか。
そんな相棒とは真逆の遣り方で俺を支えてくれた海馬の存在も、オレにとっては相棒と同じくらい掛け替えの無いものだった。
城之内君達も、今まで会った彼や彼女も。
それらを今、オレは喪おうとしているけれど。
(それでも、後悔はしていない)
一年にも満たない短い間だったけれど、みんなと会えた事や過ごせた事。
様々なゲームに出会えた事。
決闘王になれた事。
舞やマリク達に出会えた事も。
勿論、海馬に出会えた事も。
(後悔なんてしない)
もうみんなに会えないけれど、この世で生きた短いあの時間を、悔やむ事は絶対に無い。
だって誰よりも。
(オレは、幸せ者だったから)
優しい相棒に出会えた事。
城之内君達という力強い友人に出会えた事。
好敵手であり恋人であった海馬に出会えた事。
みんなみんな、心から好きになれる人達だった。
そしてオレを好きになってくれる人達だった。
そんな沢山の人に出会えたオレが幸せでなくて、誰が幸せだと言うんだろう。
(……ありがとう)
相棒、城之内君達。
オレを好きになってくれて、ありがとう。
助けてくれた事、支えてくれた事、本当に感謝している。
マリクやイシズ、リシド、舞も。心から、感謝を。
そして、海馬。
オレを愛してくれて、ありがとう。
何だかんだ言ってもオレを許容してくれた事、存在を認めてくれた事も。
海馬が口に出して言ってくれた事は無いけど、多分その考えに違いは無く。
だから自信を持って言おう。
(後悔はしていない。そして―――ありがとう、と)
還ってみんなと過ごしたこの時を思い出す時、きっとみんなとの色々な出来事を周りの者にも聞かせよう。
オレの自慢出来る友達の事を。
恋人の事を。
(きっときっと、思い出す)
寂しく思う事はあっても、みんながオレを思い出してくれる時があるのなら、オレはそれを糧としよう。
だから、どうかどうか―――みんなもオレと出会った事を後悔しないでくれ。
(―――……もう時間がない)
それ以上考える事をやめて、オレは足を踏み出す。
みんなの視線を背に。
前を見据えて。
そして光の先に、オレがこれから歩むべき道を見つけた。
オレは砂の海に回帰し。
そして。
アイツは涙の海に沈む。
それはこの世の予定調和で。
けれど後悔はしない。
(相棒、城之内君、杏子に他のみんな………それから、海馬)
オレの物語は光の中に完結し、そしてまたみんなの物語も光の中に完結すると信じている。
20060802
〈そうして王者は王者らしくなく、それでも優しく微笑んだ。〉